その頃、牛窓を出た第二船団は直島、塩飽、笠岡などの多数の島々を巡り水軍への参加を募った。塩飽の島々では小競り合いがあったものの圧倒的な軍団を背景に制圧し参加隻数を増やした。
船泊は宇野、児島、尾道と重ね、因島、大三島、伯方島などの島々で引き続き水軍への参加を募り竹島で船泊した。
第一船団は新居庄から越智一族の根拠地今治に入り歓迎を受け、弾は直ちに早舟を出し、第二船団の礼尾に連絡を取った。折よく竹原に入っていた礼尾は次の船泊呉湊での終結を指示した。
呉湊で邂逅した両船団は併せて千艘を越える大陣容となった。
「弾殿、ご苦労様でした」
「いやー、河野衆と漕ぎ比べをいたしましての、心底疲れもうした。河野の船は早いの早いの」
「河野衆には、いずれ水軍を担って戴こう」
「それは良い」
呉湊で軍議を開いた礼尾は、
「第一目標である周防の柳井水道が望めるところまで参れました。御参軍の皆様のご尽力の賜です。御礼申し上げる。柳井水道は二代様が東遷の折、最初に分国を建てられ、宇佐八幡を奉じてこられた東表国の方々は最初に八幡を建てられ、相協力して周防国を建てた所縁の地でござる。猿田彦の一族にとっても東遷の折、最初に日代宮を始め数々の社殿を建てられた所縁の地でござる。皆、故なき争いは慎みて参ろう。直ぐに物見の船団を出し、安全が確保され次第、順次出立の運びにいたしまする」
周防国に残留していたシメオン族、ガド族、ゼルブン族、シュメール人達は皆、歓喜を以って迎えたと物見の軍団からの復命が届き、礼尾は全軍団に進発を命じた。
周防の半島部と屋代島の間にある大畠の瀬戸を通り、半島部と大嶋が作り出す柳井水道一帯を連合船団の船が埋め尽くした。礼尾は直ちに奈良島に上陸し本営を定め軍議を招集した。
「参軍を頂いた全船団の皆様に感謝を申し上げる。突然ではありますが、秦王国は本日を以って、大和の飛鳥から、此処、柳井水道の奈良島に遷都することを宣します。国号を秦王国から俀国と改め、元号を吉貴と改元いたします。我は足庭と改名し天子を号しまする。筑紫奪還には、この瀬戸内航路の要衝であります柳井水道を継続的に前線基地にすることが必須の事柄です。ご理解を賜りたい。筑紫の状況については極秘裏に偵察部隊を送っております。復命があり次第、進発の判断をいたします。それまでの間、陣割地にて暫し休息下され」
太秦の河勝が、
「後宮はどうされる」
「我は直ちに王宮の建設を開始いたしまする」
河勝が続けて、
「我は此処まで良く参れたと思うが、これからは太子と交代しても良いかの」
「結構です。太子を呼び寄せられた上で、どうぞ御帰還くだされ」
弾が、
「我も長の館を建設してもよいかの」
「他のご参軍の皆様も館建設を望まれるのであればお造り下され。妻子を呼び寄せられるのも夫々の判断で進めて下され」
軍議を終えた足庭は詩音の長男の羅尾を呼び、
「羅尾、柳井水道では食料は賄い切れぬ、備前、播磨、摂津、大和から運ばねばならぬ、航路の確保と運搬に塩飽衆たちを加え兵站部隊を拡充してくれ」
「畏まりました」
「それと、大和に戻り、詩音に後宮の柳井水道への遷移を伝えてくれ」
「分かりました。王妃様には」
「手紙を書く故、届けて下され。もう一つ、大二郎叔父の長男の太郎殿に護衛を兼ねて一緒に周防に入って参軍されたしと言って貰おうかの」