「日出処の天子」19

 長門の深川湾で待つ、三郎に送った伝令の復命を確認し、宗像、壱岐、対馬からの復命が届いた翌日、足庭は全船団に発進を号令した。

 第一船団先頭の弾達が馬韓海峡を抜けた所で、深川湾を出て哨戒巡察する三郎の出雲隊と合流し彦島で船泊した。

 翌未明、第一船団は弾の平群隊を先頭に響灘を西に向かった。空が白む頃、黒崎鼻と地島の間に船影を見付け、弾はカゴメ紋の幡を掲げさせた。河野衆と同じ旗印掲げた宗像衆の船であった。弾は船団を接近させ、

「我等は秦王国、改め俀国の連合船団でござる。我は平群の長の弾でござる」

「我は宗像の長でござる。途中まで水先案内を務めまする」

「これは忝い、宜しく頼む」

 宗像衆は志賀島を過ぎ糸島半島の鼻先迄、船団を先導した後、船を返し河野隊の後尾についた。平群隊は更に西に進み、正午過ぎ、唐津湾沖に達しカゴメ紋の幡を掲げた。玄界灘と響灘と豊前の瀬戸内側に千艘を越える軍船が並び一斉にカゴメ紋の幡を掲げ昼餉を取った。

 その頃、筑紫の人々は沖合の異変に右往左往していた。大伴王家は額田王を交え鳩首協議を始めていた。重臣の多治比広手が、

「女王様、物見の報告に由れば、玄界灘も響灘も数え切れぬほどのカゴメ紋が翻っており、秦王国改め俀国の連合船団と称しておるそうです。そうであれば、彼等は三百年を掛けて筑紫に戻ってきており、そうして退けと威圧している様でござる。此処は我等も捲土重来を期し、一旦は撤退するのが得策かと存じまする。十年もすれば何かの綻びがありましょう」

「判った、直ちに南遷する」

 慌ただしく大伴王家は額田王を守り日田から九重山系に向かい、別働隊が久留米から有明海に向かった。

 連合船団は大伴王家の移動開始を斥候に確認させ、陽が落ちる前に上陸を始めた。平群隊、坂上隊、檜隈隊、東日流隊、河野隊は唐津湾から上陸。東漢本隊、三郎の出雲隊、身狭隊、川原隊は博多湾から上陸。東漢の太郎の飛鳥隊、三輪隊、葛城隊、和爾隊、太秦隊は遠賀川河口付近から上陸。東漢太子隊、呉原隊、蘇我隊、寒川隊、塩飽隊、直島隊、笠岡隊は豊前の瀬戸内沿岸から上陸し野営の準備に入ると共に、警戒の周辺巡察を開始した。

 翌朝、弾は自ら威力巡察に出た。唐津湾の沿岸は見事な棚田が巡っており、緑のままの稲穂の帯が連なっていた。段丘を上り、草取り中の立派な農民に弾は気さくに声を掛けた。

「精が出ますの、我等は瀬戸内の一番奥の大和から参った秦王国改め俀国の連合船団で我は平群の長を務める、弾と申しまする。この、菜畑の長はどちらに居られますかの」

「わしが菜畑の長じゃ。昨日から、海が賑やかだの」

「これは、失礼をば、いたしました。どの辺りが末盧国ですかな」

「ここから見える範囲がそうじゃ」

「王宮は何処にござるか」

「あれに見える末盧川の上流の久里にござるが、昨日からバタバタしておった故、大方、有明海に落ちたかも知れぬ」

「そうでござったか、我等末盧国に駐留いたす故、菜畑の長殿、宜しゅう頼みまする」

「我等、千五百年前から、この地を耕す苗族の裔じゃ。最初はエビス王家、次がシメオン王家、その次がウガヤ王家と代わりましたがの」

「我の平群も苗族の裔の長が耕してござる。聞けば、遥か南のバンチェンからメコンを下りオケオの港から渡って来たと申しておる」

「わし等も同じじゃ、バンチェンから参ったと言い伝えられておる。大和に入った苗族は我等より五百年ほど遅く渡来したと、運んだフェニキア船から伝えられておる」

「秦王国は大国主様が代々治めてこられたが十四代様に男子が出来なんだで、東漢の広庭様が継がれて当代は二代目の足庭様でござる。協力下され。兵站にも合力下され」

「平群の長殿、我等は今、鉄製品の入手に苦労しておる。国東の重藤の砂鉄がのうなって、東表国のエビス王家の多くは鉄資源を求めて海の向こうの半島に渡り、残った人達も大国様が亡くなられ二代様の東遷の折、付いて行かれたそうじゃ。鉄製品の供給を約束して下されば応じましょう」

「それは、お困りであろう。我等の務めは常に殖産振興が重要でござる。今、砂鉄を産する出雲の部隊も一緒に参って居る。大王様に相談して供給に便宜を図ろう」

「我等の祖先が遥かバンチェンからこの地に渡来したのはフェニキア人が運航するタルシシの採鉱船団が国東半島の重藤に大量の砂鉄層を発見しヒッタイト人がタタラの製鉄基地を築き、エブス人が殷の地に鉄製品の供給を始めたと、フェニキア人が我等の先祖に伝えたからじゃ。鋤や鍬を始めとして鉄資材が無ければ水田稲作農業は出来んでのう」