平成二十四年七月、期末試験を終えて古代史サークルのメンバーが部室に集まり、新入部員の自己紹介が始められた。黒木麗華が、
「薫君から、お願いします」
「伊集院薫です。島津家と同じ薩摩の出自です。杖刀のレビ族と言われています。趣味は剣道です。桐野利秋が使った示現流の稽古中です」
美佳と香苗が、
「おお恐わ」
と声を揃えた。麗華が続けて、
「次は、由紀ちゃん、お願いします」
「中曽根由紀と申します。高句麗から琉球に渡った長髄彦の末裔と言われています。王妃族粛氏の神官、キキタエ様の血も入っており美人が多いそうです。島袋ほどではありませんが。趣味は勿論、古代史です」
西園寺と島津が声を揃えて、
「素晴らしい。古代史サークルはこれで安泰だ」
坂上大二郎が、
「お二人は、学園祭の白村江の展示はどうでしたか」
由紀が、
「勝って進駐した新羅も百済も高句麗も支配階層は、北倭や南倭で北倭ウガヤ王家の崇神が南倭エビス王家の開化王女を娶り皆親戚になり、括れば全て倭人諸国なんですね」
西園寺が、
「白村江の後、百済の支配階層や技術者の殆どが列島に渡来移住し、高句麗の支配階層は渤海、契丹を建国。統一新羅もその後、滅亡し支配階層や残留していた花郎軍団達は列島や満州に移動しており、半島には倭人の支配階層はほゞ残留していないんだ」
伊集院が、
「秦王国も東日流の荒吐五王国も白村江の戦いに船団を参加させたんですね。倭国と百済遺民の連合軍は結局、寄せ集めで指揮官不在の烏合の衆になったのが最大敗因なんですね」
島津が、
「南倭の代表、東表国の後継国が金官加羅で、その分国が新羅ですが出自を隠蔽するため偽史を編み、中臣、蘇我を消し、金、昔、朴、三氏の連合国家と偽ったんだ。東表国の残留者は倭の大乱後、秦王国建国に参入していますが、白村江以前に筑紫倭国と大和の秦王国は国交を回復していたと思いますね。南倭の琉球狗奴国は東日流に荒吐五王国を建国していて、秦王国のシンパなんだ」
西園寺が、
「白村江の戦いの攻防に参加した支配階層の全てが倭人であり、多くはユダヤの失われた十部族とも十二部族とも言われる人達なんだが、そのほぼ全ての人達はシュメール人とセム族の混血なんだ」
美佳が、
「古代のユダヤ人はメソポタミアでセム族がシュメールの都市国家に侵入し始めるBC二千年頃からヤコブを長としたセム族の一部族が今のイスラエル地方に住み始めヤコブの妻達が十二人の子を産み育て十二部族としてイスラエルの各地に割拠しイスラエル部族と呼ばれたのよ」
香苗が、
「その後、BC千年頃にソロモン王という英邁が現れイスラエルを最大版図に伸張させ、タルシシ船と呼ばれる、フェニキア人が運航する交易採鉱船団を定着させたのよ」
麗華が、
「そのタルシシの採鉱船団が豊後水道を通り国東半島の重藤海岸に莫大な砂鉄の堆積層を発見しヒッタイト人がタタラ製鉄を始め、エブス人がその鍛鉄を殷文化圏に売り、千年王朝東表国に発展するんですね」
島津が、
「同じ頃、メソポタミアにはセム族のアッシリア帝国が勃興し周辺国を圧迫し始め、製鉄と戦車のヒッタイト王国が早々と滅亡に向かい、海に浮かんだカルディア人がヒッタイト人達を吸収しニギハヤヒ一族となり、他のシュメール都市国家の王族の末裔たちと共にアッシリアに立ち向かい一度は勝利を得るものの、その後は圧倒され海のシルクロードを東に向かい、また、シュメール人とフェニキア人達が混血したウラルトゥ人はトルコのヴァン湖周辺に逃れウラルトゥ王朝を樹立しアッシリアと戦うものの幾度も敗れウガヤ王朝に変身し陸のシルクロードを東に向かったんだ」
後輩たちが一斉に、
「そうなんだ」
西園寺が、
「アッシリアの暴虐の嵐は止まずBC七百二十二年イスラエル王国に侵入し根こそぎ十部族を拉致し捕囚にしたんだ。その後、南のユダ王国の二部族も拉致されるもユダヤに戻され、アレクサンダー大王東征時に従軍したのがシメオン族達なんだ」
美佳が、
「アレキサンダー大王が遠征を終え、バビロンで病没した後、総督の地位についたシメオン族のディオドトスがバクトリアに大秦を建国し、アレキサンダー大王の遺志を継ぎ、中国に侵入し秦帝国を樹立したんだ」
後輩たちが一斉に、
「それが、大和の秦王国に繋がるんだ」