平成二十四年十二月、古代史サークルのメンバーがサンドイッチ店で四年生の送別会を開いていた。西園寺が、
「坂上、鬼が笑うかも知れないが、来年の学園祭のテーマは高松塚とキトラ古墳にしないか」
美佳が、
「何よ唐突に来年の事は後輩に任せなさいよ」
島津が、
「白村江前夜の国際情勢を側面から見る良いテーマだよ」
香苗が
「島津君まで何よ」
坂上が、
「まあ、まあ、来年の事は我ら後輩に任せてください。でも、両古墳の事をよく知りません、少し教えてください」
麗華が、
「壁画にカビが生えたって報道は何度か記憶がありますが本質的な事は何も知らないので教えてください」
伊集院と由紀も、
「是非、ご教授ください」
西園寺が嬉しそうに、
「両古墳共に飛鳥の官衙の西方に築造され、玄室の四周の壁に極彩色の四神と群像が描かれ、天井には宿星図が描かれているんだ。築造年代は七世紀でキトラ古墳が少し古く、キトラ古墳の宿星図は天空図でもあり、六十八の星座と三百五十を超える星が精密に描かれており、天の赤道と黄道や地平線下に沈まない限界線の内規などの同心円が複数描かれているんだ」
坂上が感嘆して、
「七世紀に精密な天空図が描かれるって凄いですね」
西園寺が続けて、
「科学技術の専門家は平壌の大同江に沈んだ石刻星図の拓本を元に描かれており、内規と赤道半径などを比較して緯度計算すると北緯三八度から三九度の高句麗の平壌付近と推測されるとしているが、最近、国立天文台の人や天文学者が老人星カノープスなどの五つの星の位置から観測地点は北緯三四度付近で西暦三八四年頃と結論しているんだ」
島津が確認するように、
「北緯三四度で西暦三八四年頃、天文観測が盛んだったのは洛陽か長安が候補地だね」
西園寺が、
「そう、西晋末の洛陽で観測された天文図を元に、平壌で観測修正され石刻星図が作られ、その拓本が飛鳥に運ばれ、キトラの天井に宿星図として描かれたんだ。石刻星図はその後の戦乱で大同江に沈んだと言われており、キトラ古墳の天文図は大変貴重な史料で中国では十一世紀を待たないと現れていないんだ」