西園寺が、
「鉄を求める旅は更に続いて、再び天の鳥船に乗り福建省の南平で鉄を作り、河南省南陽に移り『宛の徐』となって一大製鉄基地を建設し東表国と共に殷文化圏の鉄供給の一端を担ったんだ」
島津が、
「安住の地を得たと思われたニギハヤヒ一族ではあったが、紀元前二百二十一年、突如バクトリア知事ディオドトスが怒涛の勢いで殷に侵攻し秦帝国を建国し始皇帝に就任するんだ」
美佳が、
「アレキサンダー大王の遺志を継いだシメオンの頭領ね」
香苗が、
「最先端の軍装備で殷文化圏の倭人達は手も足も出なかったのよ」
西園寺が、
「北支にあったウガヤ王朝の大扶余は満州の地に移り北扶余を建国し、南陽の宛の除のニギハヤヒ軍団は再び再び、アマツマラを船長に天の鳥船に乗って長江を下り黄海を北上し、渤海を更に北上し遼河を遡り遼東に除珂殷を建国するんだ」
島津が、
「北倭記第三十一章に『是よりさき、宛の除、海を濟り、舶臻し、殷に倚り、宛難に居り、地を闢くこと數百千里、弦牟達に築き、昆莫城と稱し、國を除珂殷と號す』と書かれているんだ」
美佳が、
「ホーチミンから南陽に飛んで」
香苗が、
「河南省の南陽から瀋陽に飛べばいいのね」
西園寺が、
「南陽から遼東に移ったニギハヤヒは除珂殷を建国しアグリ王朝を建てアグリナロシを名乗ったんだ。その頃、始皇帝が急死し秦帝国は脆くも滅亡し、権力の空白を埋める様に漢が勃興し帝国を建て周辺国の再編が始まる中、衛満が殷に大遼河を背にして漢の侵入を防ぎたいと申し入れ、殷はこれを入れ、衛満を大遼河と遼河の間に封じました。衛満は漢に説いて言いました。殷は秦の亡命者を匿っています、私はこれを滅して漢の郡を置き後患を断ちたいと申し入れます。漢は喜んで衛満に兵を与えます。衛満は殷を急襲し領土を奪い、漢は蒼海郡を置いて除珂殷を阻止しました。殷王は除珂殷に亡命し、秦族は半島に逃れ、殷は滅びます」
香苗が、
「それから、どうなるんですか」
西園寺が、
「アグリナロシは衛満の策謀に怒り、殷のために仇を討とうと思い漢に撤回を計り、漢は郡を置かないと約束し王印を与え誓いましたが、漢は楽浪郡と玄菟郡を置いたのでナロシは怒って自刃します」
美佳が、
「それから」
西園寺は続け、
「ナロシの子、アグリイサシは父の憤怒を思い、蒼海郡を襲い、郡主を切り殺し一族を率いてメソポタミアとペルシャ湾での縁を頼りウガヤ王朝が建国していた北扶余に合し、扶余は強大になったんだ」
島津が続け、
「軍事力に勝るニギハヤヒ達は忽ち北扶余の実権を握り王権をウガヤ王朝から簒奪してしまいました。やむを得ずウガヤ王朝は東扶余に遷移しました。アグリイサシは名を改めて北扶余後期王朝の東明王と名乗りました」
西園寺が、
「その後、東扶余で王権争いが生じ、他の七人王子と対立した朱蒙が卒本に亡命し建国していた高句麗が強大になり周辺諸国を略奪破壊で脅かし始めたので、ニギハヤヒ達はその膨張政策を嫌い二百四年、連合大船団を組み再び再び、アマツマラを船長に天の鳥船に乗り遼河を下り遥々渡海し、先に九州に亡命していた陜父の末裔を頼りバカンの多婆羅国に参入したんだ」
美佳が、
「それから先は良く知っているは、東扶余王の罽須が高句麗王子五瀬命と共に公孫氏と同盟し博多と吉野ヶ里の大国主命の委奴国を攻撃、三年を掛けて勝利し、その勢いでニギハヤヒの多婆羅国を攻めるも弾き返され、東表国の仲介で和睦したのよ」
香苗が、
「和睦に応じたニギハヤヒの尊は北扶余でウガヤ王家から奪った王権を変換しアグリの姓と十種神宝を奉呈するのよ」
西園寺が、
「以後、これが三種の神器による天皇譲位の魁になり、そして、二代目大国主命の東遷と大和の秦王国の歴史の始まりになるんだ」
美佳と香苗が、
「これで日本に帰れますね」
島津が、
「早く、コメの飯と味噌汁を食いたいな」