「日出処の天子」56

 道庭は上宮聖徳の立太子式を槻広場で盛大に催した。上宮の乳母を務める土師氏達に見守られ煌びやかな衣装に身を包み道庭に譲られた馬具を装備した馬に跨り広場を巡った。久し振りの明るい儀式に飛鳥は沸き立っていたが、上宮聖徳の弟の乳母を買って出ている太秦の若党が苦い思いで見物していた。

 「綱手様、そろそろ弟君の大王位就任に向けて手を打って参りましょうよ」

 「未だ、次期尚早じゃ」

 筑紫敗戦の反省もあり、秦王国族長会議は定期的に開催されるようになっていた。東漢、西漢を中心とした体制から、太秦の秦氏や蘇我氏の台頭が著しい体制となり、次の大王位は東漢の一存で決めさせない雰囲気が醸成されていた。太秦秦氏の族長に就任していた継手は、

「上宮様は文に片寄る嫌いが見え、弟宮は武に秀でておられるようじゃ。道庭殿、弟宮様を後継にされたら如何じゃ」

 大和飛鳥の秦王国は豪族たちの鬩ぎ合が激しくなり、筑紫の倭国は本拠地を奪回したが同盟国百済が新羅の台頭に呻吟し、新羅は花郎軍団の参入に軍事大国への変貌をあからさまにし、高句麗は隋を一蹴したものの新羅との衝突を懸念していた。中原は隋が滅び、唐が勃興し大国への道を走り始め、周辺国は一斉に唐へ擦り寄り始めた。