「日出処の天子」63

 麗華が、

「私はレビ族の話をします。レビ族は祭祀部族で目は茶色、杖刀を扱います。西晋末、中原から高句麗を経由して五世紀に列島には遅れて渡来します。東漢氏の頭領として西漢氏の頭領になるダン族と共に瀬戸内を進みレビ族は飛鳥の檜隈に定着します。シメオン族大国主命の十四代に男子が生まれなかったため、大和秦王国の大王位を継承します。レビ族は祭祀だけでなく土木工事も得意で墳墓も水運も手掛けました。二代目の時、筑紫に侵攻し倭国を駆逐し、俀国と呼ばれ、遣隋使を送ります。第一回は文帝に、第二回の煬帝の時、有名な「日出る処の天子、日没する処の天子に致す。恙無しや」の国書を送ります。その後、隋と国交断絶を通知した時期に倭国の反撃を受け戦死し、三代目は飛鳥に戻り秦王国に戻します。白村江の戦いのあと新羅占領政権の大和侵攻までレビ族が大王位を努めます。島津、伊集院、伊地知、細井、中村、中島、小柳、宮田、後藤、大和田、中川の姓はこのレビ族の系統です。島津家の紋章は丸に十字紋ですが、これはイスラエルの紋章です。島津家の祭祀の時はイスラエル大使館から正式の祝いの使者が参加したりするそうです」

 由紀が、

「私はガド族ね。目は茶色、ガド族は孔子、孟子の末裔と言われ、秦帝国始皇帝の焚書坑儒を嫌い、半島を南下、BC八十六年、対馬を経由してヘレニズム文化を携えて鉄鐸、銅鐸文化の祭祀者として博多に上陸、吉武高木に伊勢国を建国します。猿田彦が初代王になり青銅器文化の先進国が誕生します。二代目の猿田彦は近くの平原に王宮を作ります。九州の地の縄文人や、稲を携えてきたシュメール人の苗族を支配下に置きヘレニズム文化を九州全体に広めていきましたが、AD百六十三年、吉野ヶ里のシメオン族大国主が東表国と連合し吉武高木と平原の王宮を襲撃し超大型青銅鏡を始めとする、祭祀道具を破壊します。やむを得ずガド族は二手に分かれて東進し一隊はスサノオノミコトの開いた出雲国に合流し、一隊は大和に入り東鯷国を建国します。更に、もう一隊は伊勢に入り伊雑宮を祭ります。しかしながら、シメオン族が大和に侵攻したため、伊勢に逃れ伊勢国を建国します。

 時は流れ、新羅占領政権が奈良朝を立ち上げ、シメオン族の不比等が占領軍司令官郭務悰の仲介でガド族の娘、宮子と結婚し聖武天皇の母親になり、ガド族は聖武天皇を御ガド・ミカドと呼ぶようになるのよ。津守、服部、田辺、比留間、内山、石川、岡部などの姓がガド族の系統です」