紅葉に彩られた柳井水道の王宮に竹斯王ミチタリからの急使が飛び込んできた。
「足庭様、日田の奥の九重山中で不穏な動きが見られます。倭国の挙兵と考えられます」
「羅尾、飛鳥と出雲国と文身国に出兵の連絡をして下され」
「畏まりました」
「三郎、高句麗の坂上隊に帰還を指示して下され」
「畏まりました」
「それから、豊の国に出向いて、殯の次郎を急ぎ埋葬して下さい。それから愛用の馬具も一緒に葬って下され」
足庭は身狭隊を引き連れ竹斯へ急行すると共に北九州各地に戦闘準備指令を出した。玄界灘に掛かるとき、宗像氏と海上警備の強化を協議し、半島からの百済兵阻止を依頼した。
数日後、足庭は春日の王宮に入り太子のミチタリと状況確認を行っていた。
「父上、倭国の挙兵は間違いありません。太宰府と日田の柵を間に兵三百を駐屯させました」
「有明海の監視が必要だな、柳川にも兵を出そう」
北九州各地からの兵の参着が陸続と始まっていた。
「末羅国から西漢の部隊が到着しました」
「豊の国から東漢の部隊が到着しました」
足庭が、
「歓迎の閲兵をする。整列させて下され」
俀国と倭国の激突乱戦の最中、足庭は物部の放つ矢嵐に眉間を穿たれ、雑兵の刃に掛かり重傷を負い、春日の王宮に運ばれたが絶命。太子と三郎は直ぐに九州撤収を決断。
柳井水道奈良島に帰り着いた足庭の亡骸は太子ミチタリの手で殯がなされ、後宮の六后女御女官の悲しみに包まれた。
太子ミチタリは足庭の殯を叔父の三郎に委ね、大和飛鳥に帰還し東漢の族長に就任した。そして、族長達に推挙され大王の地位に就いた。
「都を柳井水道から此処、飛鳥の地に戻すと共に、国の名も俀国から秦王国に戻します。我は道庭と改名いたします。皆様、よろしくお願いします」