「白村江の戦い」2

 BC213年、秦の始皇帝による焚書坑儒のため、孔子・孟子のガド族は亡命者となり、BC86年、九州の博多に渡来し、伊勢国を建国し猿田彦を王に戴きます。また、秦の滅亡により始皇帝子孫のシメオン族も亡命者となり、敵対したガド族を追い東表国のエビス王に亡命地の斡旋を請願します。エビス王は洛東江への半数移住や伊勢国の勢力伸張を厭い、吉野ヶ里の地をシメオン族に割譲します。BC74年頃、シメオン族は渡来し吉野ヶ里に委奴国を建国し、大国主命を王に推戴します。大国主命は世襲名となります。

 AD二世紀頃、東表国から半数が移住した洛東江の製鉄基地は順調に生産を伸ばし、伽耶地域の盟主の地位を築き金官加羅を建国します。初代王に金首露が就位し、印度のコーサラ国から黄玉妃を迎えます。後に許太后と呼ばれます。帯同した苗族達の水田作りも軌道に乗り、東表国から米を送らなくとも食料が賄える迄になります。

 AD163年、シメオン族大国主命は博多のガド族猿田彦の王宮を急襲し太陽神殿を徹底破壊し、博多に委奴国を遷都します。ガド族は二手に分かれ東進し出雲国と大和に入り東鯷国を建国します。

 AD214年、東扶余ウガヤ王家の罽須(イワレヒコ)は遼東のイカッサル族公孫氏大物主王家と同盟し大国主命の委奴国を挟撃し打ち破り、博多に伊都国を建国します。同時期に南扶余に伯済国を建国します。後の百済国です。イカッサル族大物主王家は日向の西都原に安羅国を建国します。シメオン族は二手に分かれ東遷しガド族の出雲国と大和の東鯷国を打ち倒し飛鳥に秦王国を樹立します。東表国に半数が残留していた中臣氏と蘇我氏は宇佐八幡に残留部隊を置き、大国主命の東遷に合流します。

 AD4世紀頃、金官加羅の末仇と奈勿尼師今の親子が辰韓十二国中の自分達の分家領地の斯廬国を独立させ新羅国を建国し奈勿尼師今が新羅王として即位します。金姓で、金官加羅と同様に蘇我氏と中臣氏が中枢を担います。

 既に、BC一世紀頃、東扶余から朱蒙が離脱し高句麗を建国しており、白村江の戦いの関係国は新羅の誕生により出揃います。中原は言わずもがな、随が滅び唐が勃興し大国への道を歩んで行きます。