前千年以降、海の国ディルムンのカルディア人はヒッタイトの製鉄部族を吸収し、アラビア海のヤードゥ族を従えてプール国となりアラビア海の海人マラ(メルッハ)族のアマツマラを船長に船団を組み天の鳥船に乗りインドに入りガンジス流域のマガタ、コーサラ両国でシャキィ族になりインド最大の製鉄基地を作ります。
金属農機を入手出来るようになった農耕民たちは土の堅かったガンジスの北岸のヒマラヤ山麓南部を開拓します。それに伴い国家が群雄割拠しクシャトリアの武士階層が生まれます。そしてシャキィ族の中からコーサラ国でシャカ族が派生し仏教の祖シャカを生みます。
ニギハヤヒのシャキィ族達はシュメール文化と先進の農業技術を教えたアーリアンに押し出される様に、再びアマツマラを船長に天の鳥船に乗ってガンジスを下り、マレー半島のクラ地峡を越えメナム河流域に入りモン族を従え、前七世紀頃ベトナムで文郎国を譲られます。モン族(モンクメール)は後の物部氏などになります。
シャキィ族、シャカ(釈迦)族、シャカイ(徐珂殷)は皆同族を示す語呂です。また、シャキィ族、ナガ族などは共にメソポタミアからインド、東南アジア、極東に移動しています。
因幡の白ウサギ神話のワニ騙しの話はジャワの伝説、ネズミジカが洪水で水嵩の増した川を渡るときワニを呼んで背中を踏んで対岸に渡る話と同じです。これも、中東からインド、東南アジアから日本に移動した人々が運んだ寓話です。