河南省南陽に製鉄基地を作っていた宛の除のニギハヤヒ一族は秦の始皇帝に圧迫を受け天の鳥船に乗りアマツマラを船長に船団を組み遼河の流域に移動し徐珂殷を建国しアグリナロシが即位します。 その後、前二百九年に秦が滅亡した後、勃興した漢が燕人の衛満を使い秦の王族を楽浪郡堤奚に収容していた箕子朝鮮(カルディアがイシンの王族を中国に亡命させて建てた国)を滅ぼしたので、アグリナロシは箕子朝鮮のために漢に掛け合い、漢は郡を置かないと約束し、王印を与えて誓いましたが、漢は直ぐに楽浪と玄莵の二群を置いたので、アグリナロシは怒りで憤死します。その間、箕子朝鮮の上将卓が馬韓の地に辰王国を建てます。
ナロシの子のアグリイサシは遼東を襲い群守の彭吾賈を斬り殺し、国を率いて扶余に入り合体します。強大になった北扶余ではありますが、両雄並び立たずウガヤ王朝は東扶余に移動します。残ったニギハヤヒ王朝のアグリイサシは北扶余後期王朝の東明王として即位します。
しかしながら、扶余から分かれた高句麗が強大になり周辺国に圧力を加える様になり、後期王朝から陜父がスピンアウトし九州熊本に多婆羅国を建てます。