「ウガヤフキアエズ」3

前七百三十二年、アッシリア、ダマスクス王がユダ王アザリアを伐ち、住民のうち三万余をクエに、千二百人をウルサバに移します。この時、ユダヤ人の一部がウラルトゥに亡命します。

前七百十五年、ウラルトゥ王ルサス一世(ウガヤ三代)がメディア人ディオケスらと共にキンメリ(匈奴刀漫部)に侵入します。

前七百十四年、ウラルトゥは北方のキンメリ人に敗れます。アッシリア王サルゴンはウルミア及びヴァン湖に進撃し、ウラルトゥの聖都ムサシルを征服します。

前七世紀初め、キンメリとウラルトゥ・ヴァン国王は同盟しアッシリアに侵入します。アッシリアはスキタイと同盟し、これを迎え伐ち、小アジア方面に圧迫します。

前六百九十四年、エラム王、アッシリアを伐ち、センナヘブリの長子・バビロン王アッシュールナデンシュムを囚え、バビロンを奪ってネルガルウシュンプを王とします。

前六百八十五~六百四十五年、ウラルトゥ王ルサス二世(ウガヤ四代)在位、都をティシェバイオ(カルミル・ブルル)に移します。

前七世紀中頃、キンメリがウラルトゥに代って、小アジア東部を支配しますがアッシリアに退けられます。

前六百十二年、アッシリアが滅亡し、キンメリがスキタイに征服されます。キンメリの一部は外蒙古に逃れ匈奴になります。

前六百八年、ナボポラッサル(新バビロニア建国者)がウラルトゥに進軍します。

前五百八十五年頃、ウラルトゥの北方から印欧語族のアルメニア人が侵入し、首都ティシェバーナが陥落します。

前五百九十三年、ウラルトゥとマンナイ、スキティアと共にバビロンを攻撃しますが敗れます。ウラルトゥはシルクロードに亡命します。東遷の旅の始まりです。そして伯族と呼ばれます。