「日出処の天子」14

 大和飛鳥に菜の花が咲き、瀬戸内を吹く北西の風が弱まる季節を迎え、礼尾は西征を開始した。難波津に集結した大船団は八百艘を越えていた。

 最初の軍議を開いた礼尾は、

「茅渟の海から淡路の北の明石海峡を通り瀬戸内に入り、船団を二手に分けまする。第一船団は東漢の坂上、檜隈、身狭、川原、呉原の五隊と平群の隊が四国の讃岐伊予の沿岸を物見掃討しながら進み、平群の長の弾殿に指揮をお願いしまする。第二船団は三輪、葛城、和爾、蘇我、太秦の五隊と東漢の本隊が山陽道沿岸を物見掃討しながら進み、指揮は我が執ります。副官は東漢の太子が努めまする。各隊は連絡を密に取りながら進んでくだされ」

 太秦の河勝が、

「兵站の段取りをお知らせ願いたい」

 礼尾は太子に発言を促した。

「食料調達のために先発隊を出し、山陽道沿岸は船泊りを予定しまする、湊と津には食料と水を準備させております。但し、四国の讃岐伊予の沿岸は手配をしておりません。讃岐の猿田彦一族伊予の越智氏には連絡をしております故、その対応に依っては山陽沿岸にお戻り頂く判断も必要と考えまする。小豆島に向かう前は少し多めに食料をお積み下され」

 平群の弾が、

「分かり申した。硬軟両睨みで対処いたしまする」

  難波津を船出した船団は途中、文身国などを表敬訪問し、兵站合力の謝意と改めて筑紫奪還への協力を依頼しながら、兵庫、明石高砂、赤穂、牛窓と船泊し、翌朝、第一船団は小豆島の西側を回り讃岐を目指し、小豆島の土庄の入り江の奥が見え、屋島がはっきりと見えた時、女木島との間に一団の船影が浮かんだ、弾は水夫頭に、

「カゴメ紋の幡を揚げよ」

 と命じた。船団が近付くと、相手船団にもカゴメ紋の幡が掲げられていた。弾は接近命じ、

「我らは秦王国の合同船団でござる。我は第一船団の指揮を執りまする、平群の長の弾でござる。これから、周防の柳井水道に集結いたしまする」

 相手船団から、

「我は猿田彦様の末裔で讃岐の寒川の長を務めております。我等、周防の日代宮に参りとうござる。是非、船団にお加え下され」

「承知した。一緒に参ろう。大王には早舟で知らせまする。寒川の長殿、お願いがござる。讃岐と伊予には兵站部隊を送らずに参った。そちらで兵站の合力をしてくださらんか」

「承知つかまつった。讃岐は直ぐに掛かりまする。今日は高松に船泊下され。されど、伊予は我らの力が及びませぬ」

「そうでござった、伊予の越智氏には東漢から知らせを出しておるが、明日早舟を出して見ましょう」

 弾の第一船団は高松、坂出、多度津と船泊りし、粟島と詫間岬の間を抜け三崎の鼻を回り込み燧灘に入ると数艘の船が見えた。弾は再び水夫頭にカゴメ紋の幡を掲げさせた。

 一艘は弾の出した早舟、残りの二艘は剣と盾を描いたシメオンの幡とカゴメ紋の幡を掲げた越智一族の迎え船であった。弾は声を張り上げ、

「我等は秦王国の連合船団でござる。我は第一船団の指揮を執ります、平群の長の弾でござる」

「お迎えに参りました。我は大国様の委奴国の民で海人族の裔、伊予の越智一族の河野郷の長でござる。筑紫奪還は我等にも悲願、是非にも加わりとうござる」

「大王様に早舟を出し、早速に知らせましょう」

「忝い、今日は遠く南に見えまする新居庄の津に走って下され。弾殿、我等と漕ぎ比べをなさらんか」

「お誘いとあれば、お請けいたす」