平成二十四年五月、上雉大学古代史サークルのメンバーが恒例の学園祭のテーマを話し合っていた。西園寺が口火を切り、
「島津、我ら最後の学園祭になるな、去年は秦王国を取り上げたけど、次のエポックメーキング的な出来事は何になるかな」
島津が躊躇なく、
「白村江の戦い」
坂上が、おずおずと、
「どんな字を書くんですか、去年、伺った気がしますが、どんな戦争なんですか」
島津が、間髪を入れず、
「馬鹿野郎。その時、なんで調べなかったの、『白い村の江』と書いて『ハクスキノエ』と読まれている。極東の古代史上最大のイベント。西暦六六三年、倭国と百済遺民連合軍対唐と新羅連合軍の決戦だよ」
麗華が申し訳なさそうに、
「場所は何処なんですか」
「現在の、ソウル南西の錦江の河口で戦われた。神武と卑弥呼が創った倭王朝の終焉の舞台でもある。唐と新羅連合軍が勝利し、極東は唐と新羅の二強時代を迎えることに、百済は三年前の六百六十年に唐と新羅の連合軍の攻撃を受け滅亡し王都泗沁城の王宮に残された、卑弥呼の率いた公孫氏フェニキア系イカッサル族と神武の率いたウガヤ王朝伯族の気位の高い官女三千人が辱めを受けるのを嫌い、錦江を望む絶壁から次々と身を投げ、その様子が鮮やかな花々が落ちて行く様であったと、後に朱に染まった岩々を落花岩と名付けた言い伝えられているんだ」
美佳が割り込んで、
「誇り高きフェニキア人は白村江の戦いから遡ること凡そ七百年前のBC百四十六年地中海でフェニキア人の海洋国家カルタゴがローマとの戦いに敗れ、カルタゴの丘に残った五万人が降伏を申し出る中、一部のフェニキア人は神殿に立て籠もり、尚も徹底抗戦し最後の戦いを挑んだのよ、やがて神殿は炎上し、多くのカルタゴのフェニキア人は身を投じカルタゴは終焉を迎えたそうよ」
西園寺が付け加えて、
「落下岩の悲劇はフェニキアの流れを汲むインドの騎士団クシャトリアをルーツとする、戦勝国新羅の外人傭兵部隊花郎軍団が東表国エビス王家中臣氏の末裔である金庾信花郎長官に率いられ中臣の故地、宇佐八幡に進駐、奈良飛鳥の秦王国解体戦の中核を担い勝利するも新羅占領政権の崩壊により関東地方に落ち延び逼塞、後に源氏武士団の中核となり戦国時代を迎え敗れた時は妻女達が城の炎上と共に自決する魁となってしまったんだ」
島津が更に、
「白村江の戦いに戦勝した唐・新羅連合軍は筑紫に二千の兵力で進駐、凡そ千二百年後の太平洋戦争終戦時、マッカーサーは二千人で厚木に進駐したんだ」