「日出処の天子」47

 古代史サークルOB四人の旅はホータンからサマルカンドを抜けクンシュラブ峠を越えフンザに入った。フンザ川の谷間は棚田の新緑と杏子の花が見事に調和していた。

 西園寺が、島津に、

「一万二千年前にタリム盆地のモンゴロイドがクンシュラブ峠を踏破したのは奇跡だな」

「生き抜くために必死だったんだよ」

 美佳が香苗に、

「宮崎駿が此処をイメージして、風の谷のナウシカを描いたって、ピッタリね」

「ジプリは否定したけど、さもありなんの風景ね」

 西園寺が、

「スメルを自称しシュメール人と呼ばれたモンゴロイドの一団は凡そ五千年をかけてフンザ川とギルギット川からインダスを下りアラビア海に出るんだ、途中、ハラッパーやモヘンジョダロにプレインダス文明の足跡を残すんだ」

 島津は、

「都市計画的な街づくりを始めており下水道も作られていたんだ」

 美佳が、

「メソポタミアの都市国家作りの習作になったかもね」

 香苗が、

「数千年後、ハラッパーやモヘンジョダロはシュメールの植民都市になるのよね」

 西園寺が、

「その植民都市がインダス文明の遺跡として残ったんだ」

 島津が、

「その時にはドラヴィタ族が地中海方面から移動してきておりインダスの植民都市定住したんだ」

 美佳が、

「BC二千年前後から遊牧の民、セム族達がメソポタミア・シュメールの都市国家に侵入し、BC千五百年頃にはアーリア人がインダスに侵入したためインダスの植民都市は略奪や資源の枯渇により放棄され、ドラヴィタ族はインド南西部に移動したのよ」

 早苗が、

「メソポタミアのシュメール人もセム族達の圧迫に抗しきれず東遷を開始したもの、セム族と混合混血し離合集散を繰り返し、都市国家を再興したもの、海の国を興したもの、トルコのヴァン湖周辺に建国したもの、複雑多岐な興亡も、新興国アッシリア等に押し出され、殆どのシュメール族は陸のシルクロードと海のシルクロードを東遷したのね」

 西園寺が、

「シュメールの都市国家を再興したイシンは再びセム族に亡ぼされ、海の国を興したカルディア人の助けを得て、殷末期の北支に入り箕氏となり。トルコのヴァン湖周辺に建国したウラルトゥ王朝はアッシリアの圧迫にウガヤ王朝に変身、陸のシルクロードを東遷し北支に大扶余国を建国し秦帝国の圧迫で満州に移り北扶余を建国し伯族と呼ばれ。海の国のカルディア人はヒッタイト人を従えプール族となり、海のシルクロードを東遷しインドでシャキー族となり後のシャカを生み、ベトナムでは文郎国を作り、中国の南陽で製鉄部族「宛の徐」となり、秦帝国の圧迫で北支に移りアグリ王朝の「徐珂殷」を建国し濊族と呼ばれたんだ」