古代史サークルの四人はタクラマカン砂漠のホータンからクンシュラブ峠を越えフンザに入り、インダスを下りハラッパーとモヘンジョダロを巡り、アラビア海からペルシャ湾に入り、イシン、バビロンの都市国家遺跡を辿った。西園寺が、
「戻りはどうする。陸のシルクロードをウガヤ王家が辿ったルートを行くか、ニギハヤヒ王家が辿った海のシルクロードを行くか」
島津が、
「我が家は丸に十の字だから、海のシルクロード」
美佳が、
「卑弥呼は公孫氏大物主王家の宗女でサバの女王ビルギースの末裔だから、海のシルクロード」
香苗が、
「ガドの猿田彦は陸だけど、移動が不便よね」
西園寺が、
「シメオンの大国主も陸だが、ニギハヤヒが辿った海のシルクロードゆかりの地を辿って帰ることにします。まず、バーレーン島に行きます」
美佳が、
「バーレーン島はメソポタミア文明期には海上交通の中継地として大いに栄えディルムン文明の中心地でディルムン島と呼ばれていたのよ」
島津が、
「紀元前二千年頃からシュメールの都市国家に遊牧の民セム族が侵入を開始、バビロンやウルのシュメール人王侯貴族はディルムン島の自らの領地や別荘に一時退避したり、セム族と混血したりしながら離合集散を繰り返し、新たな民族、部族を形成したんだ」
香苗が、
「早くからディルムン島を本拠地としたバビロンやウルのシュメール人はセム系のアモリ人と混血しカルディア人となり海の国を建て、同じ様な混血のフェニキア人はマカンを本拠地として海の民となり後背地のオマーンの銅産地を抱え、各地に銅を運び青銅器時代の隆盛期を担ったのよ。両者は、ある時は、滅んだシュメールの都市国家イシンの王侯貴族を殷に運び、ある時はアラム人達を交え共にアッシリアと戦い一度は勝利するもシャルマネサル二世に度々敗れ、アラム人は北方のトルコのヴァン湖周辺にウラルトゥ王国を建て、カルディアの海人はインドに向かい、フェニキアの海人は鉄器の登場で銅の輸出貿易が衰退すると鉄鉱石を求めてタルシシの採鉱船団を運航するようになったのよ。それが北九州の重藤海岸で大量の砂鉄層の発見に繋がり東表国の建国になるのよ」
西園寺が、
「紀元前千二百年頃、ヒッタイトが滅亡し漂白する中、海の国のカルディア人は多くの製鉄の民ヒッタイト人を次々に吸収し、プール族に変身、インドのロータル港に向かったんだ。次はインドのロータルに行こう」