麗華が、
「モーゼに率いられたヘブライの民は出エジプトを果たし、約束の地カナンに辿り着き定着しイスラエル人を自称したのよ。紀元前十世紀頃、古代イスラエル王国を建国しダビテが王になり、次代のソロモンの時、最大版図になりタルシシ船交易が盛んになりますが、ソロモンの死後、紀元前九百三十年頃、イスラエル王国と南のユダ王国に分裂してしまうのよ」
由紀が、
「紀元前七百二十二年、アッシリア帝国は北の王国イスラエルに侵攻し、十部族全てを拉致しアッシリアに連れ去りました。ユダヤ人達はアッシリアの地で奴隷同然の生活を強いられ、いつの間にか歴史上から一旦消えました」
坂上が、
「ルペン、ガド、エフライム、イカッサル、ゼブルン、ナフタリ、アシェル、ダン、マナセ、ベニヤミンのイスラエル十部族は「東方の霧深い山のかなた」へ消えたとも伝えられています。アフガニスタンや中国、朝鮮、日本などに行ったとも言われています。日本はユーラシア大陸の西の端から東の端まで相当な距離がありますが、ほぼ同緯度を辿って行けますので、古代人にもそれ程、難しくなかったと思う」
伊集院が、
「南のユダ王国もアッシリアに拉致されますが幸運にもユダ国に戻されます。ユダとシメオンはユダの地に残りユダヤ人と呼ばれるようになるんだ」
麗華が、
「紀元前六百九年、ユダ王国はメギドの戦いでエジプトに敗れエジプトの支配下に入りますが、紀元前六百六年にエジプトが新バビロニアに敗れ、紀元前五百八十七年に新バビロニアに侵攻されエルサレムは包囲され、翌年にはユダ王国は滅亡し、多くの人民がバビロンの捕囚になるのよ」
由紀が、
「紀元前五百三十九年、オビスの戦いで新バビロニアはアケメネス朝ペルシャに敗れ、ユダヤ人は解放されてエルサレムに戻れたのよ」
坂上が、
「紀元前三百二十三年、アレキサンダー大王が東方遠征の途に就いた時、ユダヤのシメオン族達は従軍するんだ。アレキサンダー大王の死後百年後、南ユダ王国にいたシメオン族が今のアフガニスタン辺りにバクトリアを建国しており、ディオドトスが王になり、アレクサンダー大王の遺志を継いで殷に侵攻し秦帝国を築き始皇帝に就任するんだ。それがシメオン族大国主命の大和の秦王国を産むことになるんだ」
伊集院が、
「始皇帝は自らのルーツが中国にあることにするため偽史を編ませます。シメオン族の偽史シンジケートの誕生です。始皇帝は、紀元前二百十二年、中国の重要な書物を悉く焼却させます。焚書坑儒の始まりです。その上、翌年には、焚書令に背いたかどで、儒学博士や史学者たち約四百六十人を穴に生き埋めにします。坑儒事件です」
麗華が、
「中国の歴史の古典「史記」はユダ系レビ族の血を引いた司馬遷が書いたと言われていますが、司馬遷は漢王によって宦官にされ漢民族ため「偽史」作りを強要され、それに従って始皇帝が書かせたシメオンの偽史をなぞりオリエント史を下敷きに執筆したのよ」
由紀が、
「その後の極東に生まれる国は日本も高句麗も百済も新羅も全て偽史シンジケートの影響の中で史書が作られているのよ。征服王朝は一般的に自己を正当化するため、その祖先は昔からその地で長く政権に就いていたと書くために他国の歴史を借りる、借史を行うのよ。秦帝国、漢王朝はオリエント史を、日本の奈良朝の日本書紀や古事記は新羅史と百済史、新羅史は金官加羅史を借史しているのよ」