平成二十五年六月、古代史サークルのOB四人は羽田発のJAL一番便で宮崎へ発ち、空港でレンタカーに乗込み西都原古墳に向かった。
ハンドルを握った島津が、
「卑弥呼はイカッサル族公孫氏大物主王家の宗女で、王家が遼東半島に有るとき、東扶余ウガヤ王家の罽須・後のイワレヒコ神武が北九州侵攻作戦のために同盟を申し入れたんだ」
白のゆったりしたパンツスーツの美佳が、
「それ、以前調べた話ね。扶余王の罽須が大物主王家の宗女卑弥呼の妹アヒラ姫を娶り、事代主の公孫康が罽須の妹武熾姫を娶りクロス対婚関係を結び同盟したのね」
グレンチェックのプリーツスカートの香苗が、
「神武に嫁いだアヒラ姫が亡くなり、姉の卑弥呼が後妻に入り同盟を維持し、公孫康が日向に開いた安羅国と神武が築いた伊都国を行き来したのよ。神武は一大率として伊都国や東扶余の倭人諸国を監察する多忙な中AD二百三十四年崩御し、一大率の地位を巡って倭の大乱が起こりますが伊都国、多婆羅国、安羅国及び東表国の諸王が図って倭人連合の邪馬壱国を建国して卑弥呼を大王に推戴したのよ」
美佳は、
「邪馬壱国の大王にし即位した卑弥呼は都を安羅国に定め神武王子のタギシシミミを伯済国から呼び寄せ夫婿とし君臨したのよ」
美佳が続けて、
「邪馬壱国と狗奴国長髄彦との戦いが続く最中、卑弥呼はAD二百四十八年崩御し、イカッサル族の手で西都原に大きな円墳の冢が造られ丁重に葬られたは」
西園寺が、
「そこまでがサークルで話されたんだが、それが今から行く男狭穂塚古墳。この古墳は三世紀に築造され、直径百二十八メートルの四段式円墳だったんだが、明治期に偽史シンジケートのドン東大史学科黒板勝美教授の手で二十四メートルのクビレ部分と六十七メートルの変な尻尾をくっ付け帆立貝風の前方後円墳に改竄したんだ」
島津が、
「その後、大正元年から六年間かけ大規模な学術調査が実施され、この古墳が卑弥呼の墓と確認されたはずが、以後それら全てを宮内庁管理にし、現在は古墳時代中期に築造された前方後円墳とし被葬者は架空の人物のニニギノミコトであると説明しているんだ」
美佳が、
「もう博物館前に着いたのね。ここからは歩くしか無いのね」
西園寺が、
「考古博物館を先に見ようや」
香苗が、
「あら、モダンな建物ね」
島津が、
「安羅国だからね」
美佳が、
「あら、無料なんだ」
西園寺が、
「平成十六年の開館だから、凡そ十年だね」
見学を終えて美佳が、
「男狭穂塚と女狭穂塚のレイアウトどう見ても不自然ね、くっ付き過ぎてるは」
香苗が、
「広大な古墳群ですものね。一部では女狭穂塚は壱与の墓ではと推測されていますが、それでも不自然ね」
島津が、
「卑弥呼の円墳の冢が完成し、後の倭大王の前方後円墳がつくられた時は不自然ではなかったんだが、明治期に円墳を帆立貝風に改竄したため不自然な接近になったんだな」
西園寺が、
「腹減ったな、飯にしようや」