「日出る処の天使」66

 西都原の男狭穂塚古墳を見終えた古代史サークルのOB四人はレンタカーでそのまま福岡県古賀市の船原古墳に向かった。

 ハンドルを握った島津が、

「それにしてもグッドタイミングだよな。帰国の日に船原古墳で金の馬具が見付かったというコラムを見るなんて」

 西園寺が、

「鳥肌が立ったよ」

 島津が、

「豊国王だった次郎さんの愛用の馬具だよな」

 美佳が、

「大和にあった秦王国の大王位が第十四代大国主から東漢の族長に譲られ二代目の足庭大王・隋書のアマタリシヒコが秦王国悲願の筑紫奪還に成功し、東表国を豊の国と改め弟の次郎を豊国王に任命、竹斯国王に息子の太子・隋書のリカミタフリを充てたのよ」

 香苗が、

「足庭大王が高句麗交易を推進し、西漢の族長の弾が高句麗から金の馬具二組を持ち帰り、足庭が次郎さんと太子に与えたのよね」

 西園寺が、

「筑紫奪還から十年、豊国王の次郎さんが亡くなり殯され、西漢の族長だった弾も亡くなり、足庭大王が随との国交を断絶したタイミングで倭国が反撃を開始し戦闘の火蓋が切られる直前、足庭が三郎に殯の次郎の埋葬を指示し、大国主一族が未完にしていた前方後円墳の一画に次郎が愛用していた金の馬具一式と共に埋葬したんだ」

 美佳が、

「太子のリカミタフリに与えられた金の馬具は更に長男の上宮聖徳に与えられ、弟との政争に敗れ妻と共に自害し藤ノ木古墳に金の馬具と共に葬られたのよ」

 島津が、

「今日は、このまま船原古墳に行くと暗くなるので東表国の都、宇佐八幡を見物して宇佐市内に泊まろう」

 香苗が、

「いいわね、製鉄民族の原郷、ヒッタイト王国の都、ハットウサを文字って宇佐八幡て名付けたのよね」

 西園寺が、

「中臣氏、蘇我氏、ウガヤ王家、ニギハヤヒ王家、皆絡んでる。いいよ寄ろう」

 美佳が、

「宇佐八幡には花郎軍団が一時駐屯し墨染めの衣とよばれたので源氏一族にもインドの次の原郷ですね」

 島津が、

「じゃ、決まりだ」

 翌朝、四人は船原古墳に向かった。島津が、

「船原古墳の場所は初代大国主命が建国した委奴国から近いよな。建国してからイワレヒコ神武に攻められ東遷するまで凡そ五十年位あり前方後円墳の陵を造る機会は充分あったと思うんだ。東遷後大和盆地で造った前方後円墳の習作にもなったかもな」

 西園寺が、

「神武が建国した伊都国は須玖岡本に大規模な陵墓地を持っており、神武もその地で甕棺埋葬されているんだ。ウガヤ王家はこの時期、前方後円墳を造っていないんだ」

 美佳が、

「そう考えると、船原古墳の前方後円墳は委奴国の大国主一族が残したと考えて良さそうね」

 早苗が、

「三郎もそう理解し次郎の埋葬場所に相応しいと考え急場の埋葬地に選んだのね」

 島津が、

「船原古墳に着いたよ」

 西園寺が、

「未だ見られるかな」

 美佳が、

「発掘調査は始まったばかりよ」

 香苗が、

「ロープが張ってあるわ」

 島津が、

「行けるところ迄、行ってみよう」

 西園寺が、

「コラムの記事等から推測すると、埋葬位置は平成八年の発掘調査で船原3号墳の石室入口から約5Mだと書いてあった」

 美佳が、

「埋納当時も西側が平坦地で東側が斜面だったのね」

 香苗が、

「逆L字型の長手部分に弓等の長物を、短手部分に歩揺付飾り金具等が埋められたようね」

 島津が、

「三郎さんが埋納を終えて春日の王宮に駆け付けるのは造作ないね」

 西園寺が、

「古墳外に馬具等のみを埋納されたものが発掘されるのははじめてだよな。高句麗から弾が持ち帰り、足庭から次郎さんに渡された愛用の馬具を足庭大王に指示された三郎さんが急ぎ埋納したと考えて間違いないね」

 島津が、

「須玖岡本の伊都国遺跡をみて、博多で旨いものを食って帰りますか」

 美佳が、

「鯛茶づけが食べたいな」

 香苗が、

「賛成」

 西園寺が、

「決まりだ」