ミチタリは再び飛ぶように柳井水道に戻った。母子は飛鳥の官衙の一画に入り祖父や父親不在で慎ましやかな生活を始めて程なく、柳井水道から筑紫侵攻作戦の開始、筑紫奪還の成功の知らせが次々と飛鳥の官衙に届いた。飛鳥だけで無く纏向、斑鳩、平群など大和盆地全体が戦勝に沸き立った。程なく、鬼前の前に出雲を本拠地とする土師氏の族長が訪い、
「太子様の乳母を土師氏が務めたく存じます」
「ミチタリ様が柳井水道に戻られて留守にしております。相談いたしますので返事はそれからにさせてください」
「良いご返事をお待ちしております。お手伝いが必要であれば何時でも、お申し付け下さい」
「ありがとうございます」
赤子はすくすくと育ち、目が見え、寝返りを始めた。官衙の住人が代わる代わる訪い赤子をあやして、
「太子様は耳が良いようじゃ、太鼓や鉦をお持ちしましょうかの」
生まれて一年が過ぎ、匍匐前進から掴まり立ちを始めた頃、ミチタリが飛鳥に戻ると河内湾の日下の津から見張りの連絡が入った。
翌日、飛鳥の船着き場に母子で迎えの列に並んだ。船中にミチタリの姿を認め鬼前は大手を手を振った。船中のミチタリも迎えの列の中に鬼前を認め大きく手を振った。迎え人から湧上がる様に、
「ミチタリ様がお帰りだ」
手に手に紅白の旗を打ち振り、凱旋将軍を迎えた。下船したミチタリは、
「皆様のお陰で筑紫が奪還できました。ありがとうございます。今暫くは帰還が叶わぬ兵が多く居りますが、皆元気に職務に励んでおります。引き続きご協力下さい」
歓呼の声に手を上げながら鬼前に歩み寄り、吾子を抱き上げ、
「重くなったな、父だぞ覚えてくれ。留守に何かあったか」
「土師氏の族長が見えられ、乳母を務めさせて下されと申し入れがございました」
「土師氏は先代の大王就任に尽力してくれたそうじゃ。喜んで頼もう」
久方ぶりの鬼前との同衾に、しとどに放ったミチタリは深い眠りに落ちた。
「カゴメカゴメカゴの中のトリは」
童の歌声に目覚めたミチタリは素早く身支度を調え、朝餉の支度をする鬼前に、
「明日早朝に筑紫に戻る。朝餉を食したら土師氏の長に会いに参る」
「分かりました。出立の準備を致しておきます」
纏向の一画にある土師氏の屋敷を訪れ、
「ミチタリにございます。吾子の乳母に名乗りを上げて頂きありがとうございます。今暫くは筑紫を空けられないと思います。何分にも宜しくお願いします」
「広庭様、足庭様、ミチタリ様の三代に見え、四代様の乳母を務められるとは喜びに堪えませぬ。老骨に鞭打って精一杯務めます故、ご安心下され」