698年、統一新羅は渤海国(実は後高句麗国)の建国対策に追われ忙しく、日本の奈良朝廷を仔細にフォローする余裕がなく、始皇帝と同族のシメオン族々長になった鹿島生まれの不比等が中臣氏のもとで帝王教育を受け、占領軍司令官・郭 […]
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「新羅・花郎軍団」2
672年、北九州の倭国を占領していた唐・新羅連合軍は花郎軍団長官・金庾信を更迭し新羅本国に召還し、百済軍人であった郭務悰(中臣鎌足のモデル)を再教育し連合軍指揮官に据え、宇佐八幡に駐留していた花郎軍団を委ね、飛鳥の秦王 […]
「新羅・花郎軍団」1
606年、インドのグプタ王朝がヴァルダナ王朝ハルシア王に滅ぼされため、傘下の騎士団は止む無く移動を開始します。金官加羅初代首露王に輿入れした、阿喩陀国の王女・黄玉、後の許太后の血縁を頼りに東南アジアから東シナ海を北上し […]
「倭の五王・金官加羅」4
極東のブルボン王家と比喩される倭の五王の暦年は、 421年、金官加羅七代・吹希王即位、王妃は応神の娘・仁徳(『遺事』)。倭王・讃(仁徳)宋に修貢(『宋書』) 438年、倭王讃死す 443年、倭国王済、宋に修貢 451年 […]
「倭の五王・金官加羅」3
AD1~2世紀頃、建国から千年を経た東表国は国東半島、重藤海岸のタタラ製鉄が砂鉄資源の枯渇危機に瀕していたため、周辺各地に鉄鉱資源の探索を続ける中、韓半島南部洛東江河岸の亀旨峰に良質の鉄鉱石産地を発見します。秦帝国の興 […]
「倭の五王・金官加羅」2
約三千五百年前に始まった国東半島のタタラ製鉄開始を追う様に始められた金属文化を伴う水田稲作農業は五百~千年を掛けて日本列島全体に普及していきます。 タタラ製鉄文化の足跡は各地に「炭焼き五郎」や「一つ目小僧」等の伝承が […]
「倭の五王・金官加羅」1
約三千五百年前、イスラエル王国の運航するタルシシ採鉱船が九州国東半島の重藤海岸に大量の砂鉄の堆積層を発見し、乗り込んでいたヒッタイトの製鉄カースト(後の蘇我氏)が野タタラの製鉄コロニーを築き大量のナマコ鉄を作り、武器や […]
「ウガヤフキアエズ」5
ウガヤ王家・北扶余王朝初代・解慕漱(前二百三十九年~百九十四年在位)を桓檀古記・北扶余紀は次の様に述べています。 「壬戌元年、帝、天姿英勇にして神光人を射るこれを望むに天王郎の若し。年二十三にして、天に従いて降る。これ […]
「ウガヤフキアエズ」4
前五百八十五年、ウラルトゥ王国は崩壊します。ウガヤ第十代王のアルカ(桓子)は一族を率いて東遷、キンメリ族(匈奴)と同盟します。そしてウガヤ王家はシルクロードを流浪しながら中国大陸に入り、大月氏族の助けを借りて華北に趙国 […]
「ウガヤフキアエズ」3
前七百三十二年、アッシリア、ダマスクス王がユダ王アザリアを伐ち、住民のうち三万余をクエに、千二百人をウルサバに移します。この時、ユダヤ人の一部がウラルトゥに亡命します。 前七百十五年、ウラルトゥ王ルサス一世(ウガヤ三代) […]