大和飛鳥に夏が訪れ、稲田が緑一色に埋め尽くされた頃、羅尾は学問僧の恵慈を甘樫の丘に案内し、飛鳥大寺建設予定地を眼下にしながら、 「恵慈様、右手一帯が飛鳥の官衙です。その南にある丘陵が島の庄で大きな方墳が先代、広庭様の陵 […]
投稿者アーカイブ: asai-ken
「日出処の天子」31
ミチタリは高砂に戻り、文身国の祖父母に、 「大変、お待たせをしました。飛鳥に参りましょう」 婆が、 「鬼退治をなされたか、黍団子を作りました。お土産になされ」 「子鬼でございました。団子ありがとうございます。さすれば […]
「日出処の天子」30
東航を続けるミチタリは赤穂の次の高砂で文身国の王宮に上がり、祖父母に見え、 「兵站に一方ならぬご尽力を賜りありがとうございます」 「我ら大国主一族の悲願を達成して下さり喜びに堪えませぬ。お礼を申し上げるのは我らのほうじ […]
「日出処の天子」29
弾が報告を続けた、 「隣国、隋との衝突の危険が迫っている時に飛び込んだ我らの願い事は全て聞き入れて頂けました。石工も天文学者も尚の若者も勉学に来たものは全て受け入れると、更に学問僧の派遣と石工と天文学者が帰る時は絵師を […]
「日出処の天子」28
俀国の都、柳井水道一帯に新緑の季節がめぐり足庭は律令制、国造制の整備や織物業などの産業振興、新田開発を始めとする食糧増産などに意を尽くしていた折、足庭の次男の出雲王からサンカ衆の山越えで高句麗訪問団が無事出雲に到着し、 […]
「日出処の天子」27
平成二十四年七月、期末試験を終えて古代史サークルのメンバーが部室に集まり、新入部員の自己紹介が始められた。黒木麗華が、 「薫君から、お願いします」 「伊集院薫です。島津家と同じ薩摩の出自です。杖刀のレビ族と言われていま […]
「日出処の天子」26
弾の高句麗訪問団は翌々日、浦項の港を出港し、再び北流する親潮の支流に乗って北上した。遠く白頭山を望みながら船泊を重ね、高句麗東海岸の要港である元山の港に入港し、役人に秦王国改め俀国が交易に参ったと届け出た。 港に留め […]
「日出処の天子」25
筑紫の野が菜の花で埋まる頃、弾は高句麗訪問船団を編成し博多湾を出港。壱岐、対馬を経由して半島南東端を親潮の支流に乗って北上していた。新羅の都、金城の沖合に掛かる頃、三つ巴の紋章を掲げた船団が行く手を遮った。弾は水夫長に […]
「日出処の天子」24
秋が深まり、三郎と博麻呂は新米と絹織物を積んで博多湾から末盧の半島をを回り平戸と五島の間を南下、薩摩、屋久島、奄美の島々を経由して琉球の要、首里の泊港に入港。港の官吏に東日流の安倍博麻呂を案内人に俀国使が交易に訪れたと […]
「日出処の天子」23
筑紫倭国の殆どを平定し、肥後多婆羅国の制圧は葛城隊や身狭隊と弾が率いた河野水軍に任せ、春日の本営に帰還した足庭は新体制を構築する人事配置を発令した。 奪還した竹斯国の王には足庭の長男である太子を任命。東表国を豊の国と […]