柳井水道の本営に全船団の責任者を招集した足庭は、 「長らくお待たせ申した。偵察部隊が戻り復命を得、筑紫への進発を決断いたしました。筑紫の倭国は今、安羅大伴王家の女王、額田王が率いております。諸般の事情、情報から我らが進 […]
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「日出処の天子」17
柳井水道に初夏が訪れ、王宮が完成し、王妃を始めとする後宮の妃嬪、女御が入京した。 「羅尾、ご苦労であった。大嶋瀬戸の手前の麻里布に離宮を建てて下され。風光明媚に女たちが癒されよう」 「畏まりました。飛鳥に戻りましたら、 […]
「日出処の天子」16
平成二十四年三月、上雉大学古代史サークルのメンバーが学年末試験を終え部室に集合していた。西園寺が呟くように、 「来年の四月は大学院に進学できるかな、今の成績じゃ無理かな、休学して留学するかな」 島津が憂欝そうに、 「 […]
「日出処の天子」15
その頃、牛窓を出た第二船団は直島、塩飽、笠岡などの多数の島々を巡り水軍への参加を募った。塩飽の島々では小競り合いがあったものの圧倒的な軍団を背景に制圧し参加隻数を増やした。 船泊は宇野、児島、尾道と重ね、因島、大三島 […]
「日出処の天子」14
大和飛鳥に菜の花が咲き、瀬戸内を吹く北西の風が弱まる季節を迎え、礼尾は西征を開始した。難波津に集結した大船団は八百艘を越えていた。 最初の軍議を開いた礼尾は、 「茅渟の海から淡路の北の明石海峡を通り瀬戸内に入り、船団 […]
「日出処の天子」13
飛鳥に三年の春秋が過ぎ、礼尾は比呂仁和の殯を終え、完成した島の庄の南の陵墓に比呂仁和の棺を据え亡骸を丁重に葬ります。上円下方墳の壮大な陵であった。 礼尾は東漢の主だった者を集めた。 「予てよりの宿願、筑紫奪還の準備に […]
「日出処の天子」12
飛鳥に春が訪れ、比呂仁和の王宮敷島宮が建てられ、学校も整い、豪族の子弟が集めら、ヘレニズムに止まらず、ありとあらゆる勉学が進められた。アレキサンダー大王の戦術、ギリシャ文化、神話、哲学。シュメールの天文学。フェニキアの […]
「日出処の天子」11
平成二十三年十二月、上雉大学古代史サークルのメンバーは忘年会を兼ねて部室の上階にあるサンドイッチ店に集まっていた。 西園寺が学園祭を振り返って、 「大和の秦王国を取り上げたけど、同時代に九州に存在した倭国の状況を説明 […]
「日出処の天子」10
斑鳩や飛鳥の水田が黄金色に耀き、畦道に曼殊沙華が咲く頃、第十四代の大国主命が六十六歳で崩御し直ちに、殯宮を三輪山麓に設ける準備と共に東漢の手で纏向に厳戒態勢が布かれる中、有力豪族に招集が掛けられた。 五十日忌に参集し […]
「日出処の天子」9
平成二十三年七月、上雉大学紀尾井町キャンパスは期末試験を終えた古代史サークルのメンバーが三々五々部室に集合していた。 三笠宮に似て鷲鼻の西園寺が、 「島津、何処かオムライスの美味しい店を知らないか」 「西園寺が驕って […]