第十代の王として初代高王の弟の大野勃四世の孫の宣王大仁秀が立ち、建興と改元し、新しい気運を開きます。新唐書(巻二百十九)渤海伝には「仁秀頗討伐東北諸部、開大境宇」と記しているのに徴しても、その領土の拡大が知られる。 […]
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「渤海・契丹」2
唐の則天武后の自立で、唐の東北における支配に動揺が起こったのに乗じ、六百九十六年遼西営州(熱河省朝暘)にいた契丹族の酋長李尽忠が、営州都督を殺して、唐に叛いた騒動を機とし、かねて高句麗滅後、同地方に移置されていた高句麗 […]
「渤海・契丹」1
神亀四年(AD727年)聖武天皇の姉で皇后の光明子に皇子が生まれ(実の父は百済王敬福)、十二月二十日、満州にある新興の渤海国から使節が突然、入京し渤海国と日本国は親戚である。皇子誕生に山のような土産を持参し友好国として […]
「不比等」6
聖武天皇は病弱(セミノール病)であったため、実権は姉である光明子(皇后)が握り、大仏用の黄金を献上した陸奥守(百済王敬福)を内裏(代理)天皇にして政務を執らせていた。光明子と敬福の間に三人の子が生まれ、その長女(高野姫 […]
「不比等」5
若きシメオン族々長の不比等とガド族の姫・宮子と結婚を仲人したレビ族の郭務悰の三人の血が長男の南家、次男の北家、三男の式家、四男の京家の藤原四家を誕生させた。 不比等と宮子の五男が聖武となりミカドと呼ばれ、姉の光明子が […]
「不比等」4
日本書紀の述作者解明表の話を続けます。区分のα群は唐王朝時代の正しい音に通暁した格調の整った見事な漢文で記述された唐朝標準語グループ。β群は日本へ最も古い時代に伝わってきた百済音、江南の呉音による倭習の強い和化漢文で仏 […]
「不比等」3
六百八十年代、奈良朝廷を立ち上げた新羅占領政権は諸外国への体面上、国史編纂の必要に迫られ忍壁皇子、川島皇子等が編纂委員会を発足させます。高市皇子と郭務悰から不比等に編纂への参画を指示されます。編纂委員会と不比等の間で基 […]
「不比等」2
六百九十四年、不比等は修史官として藤原宮に昇殿すると共に、新羅文武王(金法敏)の長男・草壁皇子から長子・軽皇子の傅役を頼まれます。軽皇子の母親・阿閇皇女は性格が相当にきつく、軽皇子は十七歳年上の不比等の隠れ妻の宮子に母 […]
「不比等」1
六百七十二年、新羅占領軍総司令官・レビ族の郭務悰は飛鳥の秦王国鎮圧作戦に臨み、花郎軍団の源花・中臣氏の金庾心と情報交換した。 郭務悰が「現大王家のレビ族を降ろした後の統治は十四代迄続いた前大王家のシメオン族を重用する […]
「白村江の戦い」5
白村江の戦いに圧勝した唐と新羅の連合軍は六百六十四年五月、唐の鎮将・劉仁帰が率いる四千人、及び新羅の鎮将・金庾心が率いる四千人の計八千人で倭国に侵攻し、太宰府に筑紫都督府を構え列島の占領軍政を開始。金庾心は中臣氏の故地 […]