「日出処の天子」35

 俀国暦吉貴五年、天子足庭は柳井水道奈良島の王宮で新年の参賀を受けていた。そこに高句麗駐在武官の任務を終え、帰国したばかりの坂上隊の士官が報告に参殿した。 「坂上武麿、高句麗駐在の任務を終え帰国いたしました」 「波浪を越 […]

「日出処の天子」34

 筑紫野も夏の盛りを迎え、水田が緑一色に染まる中、足庭と三郎は博多に完成させたばかりの鴻臚館で膝を交えていた。 「三郎殿、それでは高句麗へ早急に使いを出しましょう」 「畏まりました」 「それから琉球の領事は誰がよいかの」 […]

「日出処の天子」33

 東日流十三湊に帰着していた、安倍博麻呂は岩木山の山麓に建つ総領主の館を訪ね長髄彦の末裔に拝謁して、 「俀国の筑紫奪還は無事終了いたしました」 「それは祝着であった」 「足庭様の強い要請があり、琉球に三郎様を案内いたしま […]

「日出処の天子」32

 大和飛鳥に夏が訪れ、稲田が緑一色に埋め尽くされた頃、羅尾は学問僧の恵慈を甘樫の丘に案内し、飛鳥大寺建設予定地を眼下にしながら、 「恵慈様、右手一帯が飛鳥の官衙です。その南にある丘陵が島の庄で大きな方墳が先代、広庭様の陵 […]

「日出処の天子」31

 ミチタリは高砂に戻り、文身国の祖父母に、 「大変、お待たせをしました。飛鳥に参りましょう」  婆が、 「鬼退治をなされたか、黍団子を作りました。お土産になされ」 「子鬼でございました。団子ありがとうございます。さすれば […]

「日出処の天子」30

 東航を続けるミチタリは赤穂の次の高砂で文身国の王宮に上がり、祖父母に見え、 「兵站に一方ならぬご尽力を賜りありがとうございます」 「我ら大国主一族の悲願を達成して下さり喜びに堪えませぬ。お礼を申し上げるのは我らのほうじ […]

「日出処の天子」29

 弾が報告を続けた、 「隣国、隋との衝突の危険が迫っている時に飛び込んだ我らの願い事は全て聞き入れて頂けました。石工も天文学者も尚の若者も勉学に来たものは全て受け入れると、更に学問僧の派遣と石工と天文学者が帰る時は絵師を […]

「日出処の天子」28

 俀国の都、柳井水道一帯に新緑の季節がめぐり足庭は律令制、国造制の整備や織物業などの産業振興、新田開発を始めとする食糧増産などに意を尽くしていた折、足庭の次男の出雲王からサンカ衆の山越えで高句麗訪問団が無事出雲に到着し、 […]

「日出処の天子」27

 平成二十四年七月、期末試験を終えて古代史サークルのメンバーが部室に集まり、新入部員の自己紹介が始められた。黒木麗華が、 「薫君から、お願いします」 「伊集院薫です。島津家と同じ薩摩の出自です。杖刀のレビ族と言われていま […]

「日出処の天子」26

 弾の高句麗訪問団は翌々日、浦項の港を出港し、再び北流する親潮の支流に乗って北上した。遠く白頭山を望みながら船泊を重ね、高句麗東海岸の要港である元山の港に入港し、役人に秦王国改め俀国が交易に参ったと届け出た。  港に留め […]