「日出処の天子」25

 筑紫の野が菜の花で埋まる頃、弾は高句麗訪問船団を編成し博多湾を出港。壱岐、対馬を経由して半島南東端を親潮の支流に乗って北上していた。新羅の都、金城の沖合に掛かる頃、三つ巴の紋章を掲げた船団が行く手を遮った。弾は水夫長に […]

「日出処の天子」24

 秋が深まり、三郎と博麻呂は新米と絹織物を積んで博多湾から末盧の半島をを回り平戸と五島の間を南下、薩摩、屋久島、奄美の島々を経由して琉球の要、首里の泊港に入港。港の官吏に東日流の安倍博麻呂を案内人に俀国使が交易に訪れたと […]

「日出処の天子」23

 筑紫倭国の殆どを平定し、肥後多婆羅国の制圧は葛城隊や身狭隊と弾が率いた河野水軍に任せ、春日の本営に帰還した足庭は新体制を構築する人事配置を発令した。  奪還した竹斯国の王には足庭の長男である太子を任命。東表国を豊の国と […]

「日出処の天子」22

 平成二十四年五月、上雉大学古代史サークルのメンバーが恒例の学園祭のテーマを話し合っていた。西園寺が口火を切り、 「島津、我ら最後の学園祭になるな、去年は秦王国を取り上げたけど、次のエポックメーキング的な出来事は何になる […]

「日出処の天子」21

 足庭達は吉野ケ里で野営し、翌朝、更に西へ向かい小城を目指した。昼前、背振山地沿いに出した斥候が戻り、末盧上陸部隊の坂上隊が末盧川を遡り多久の里に到着したことと小城の里に末盧国の王族が入里していると報告した。足庭は坂上隊 […]

「日出処の天子」20

 博多湾から上陸した足庭達は掃討巡察を開始し、安羅大伴王家が脱出し空っぽになった春日の王宮を接収し筑紫の本営とした。直ちに、他の上陸部隊に伝令を出し、状況連絡を求めた。翌日には、弾の末盧上陸部隊から返令が届いた。 「末盧 […]

「日出処の天子」19

 長門の深川湾で待つ、三郎に送った伝令の復命を確認し、宗像、壱岐、対馬からの復命が届いた翌日、足庭は全船団に発進を号令した。  第一船団先頭の弾達が馬韓海峡を抜けた所で、深川湾を出て哨戒巡察する三郎の出雲隊と合流し彦島で […]

「日出処の天子」18

 柳井水道の本営に全船団の責任者を招集した足庭は、 「長らくお待たせ申した。偵察部隊が戻り復命を得、筑紫への進発を決断いたしました。筑紫の倭国は今、安羅大伴王家の女王、額田王が率いております。諸般の事情、情報から我らが進 […]

「日出処の天子」17

 柳井水道に初夏が訪れ、王宮が完成し、王妃を始めとする後宮の妃嬪、女御が入京した。 「羅尾、ご苦労であった。大嶋瀬戸の手前の麻里布に離宮を建てて下され。風光明媚に女たちが癒されよう」 「畏まりました。飛鳥に戻りましたら、 […]

「日出処の天子」16

 平成二十四年三月、上雉大学古代史サークルのメンバーが学年末試験を終え部室に集合していた。西園寺が呟くように、 「来年の四月は大学院に進学できるかな、今の成績じゃ無理かな、休学して留学するかな」  島津が憂欝そうに、 「 […]