その頃、牛窓を出た第二船団は直島、塩飽、笠岡などの多数の島々を巡り水軍への参加を募った。塩飽の島々では小競り合いがあったものの圧倒的な軍団を背景に制圧し参加隻数を増やした。 船泊は宇野、児島、尾道と重ね、因島、大三島 […]
カテゴリーアーカイブ: 日出処の天子
「日出処の天子」14
大和飛鳥に菜の花が咲き、瀬戸内を吹く北西の風が弱まる季節を迎え、礼尾は西征を開始した。難波津に集結した大船団は八百艘を越えていた。 最初の軍議を開いた礼尾は、 「茅渟の海から淡路の北の明石海峡を通り瀬戸内に入り、船団 […]
「日出処の天子」13
飛鳥に三年の春秋が過ぎ、礼尾は比呂仁和の殯を終え、完成した島の庄の南の陵墓に比呂仁和の棺を据え亡骸を丁重に葬ります。上円下方墳の壮大な陵であった。 礼尾は東漢の主だった者を集めた。 「予てよりの宿願、筑紫奪還の準備に […]
「日出処の天子」12
飛鳥に春が訪れ、比呂仁和の王宮敷島宮が建てられ、学校も整い、豪族の子弟が集めら、ヘレニズムに止まらず、ありとあらゆる勉学が進められた。アレキサンダー大王の戦術、ギリシャ文化、神話、哲学。シュメールの天文学。フェニキアの […]
「日出処の天子」11
平成二十三年十二月、上雉大学古代史サークルのメンバーは忘年会を兼ねて部室の上階にあるサンドイッチ店に集まっていた。 西園寺が学園祭を振り返って、 「大和の秦王国を取り上げたけど、同時代に九州に存在した倭国の状況を説明 […]
「日出処の天子」10
斑鳩や飛鳥の水田が黄金色に耀き、畦道に曼殊沙華が咲く頃、第十四代の大国主命が六十六歳で崩御し直ちに、殯宮を三輪山麓に設ける準備と共に東漢の手で纏向に厳戒態勢が布かれる中、有力豪族に招集が掛けられた。 五十日忌に参集し […]
「日出処の天子」9
平成二十三年七月、上雉大学紀尾井町キャンパスは期末試験を終えた古代史サークルのメンバーが三々五々部室に集合していた。 三笠宮に似て鷲鼻の西園寺が、 「島津、何処かオムライスの美味しい店を知らないか」 「西園寺が驕って […]
「日出処の天子」8
飛鳥檜隈館に戻った比呂仁和は一族の主だった者を集め、 「本日、大国主様から直々にお声掛けがあり、大王位を継承するすることになった」 「おめでとうございます」 「既に察しておったと思うが、これより恙無き継承に向かって、一 […]
「日出処の天子」7
大和盆地の水田が緑一色になった頃、梔子や紫陽花が咲き競い、桃の実が鈴生りの、纏向王宮に呼ばれた、東漢の長は大王の寝所に入り叩頭し、 「東漢の長、比呂仁和、まかり越しました。大国様の弥栄を守り導き給えと慎み敬い申し上げま […]
「日出処の天子」6
大和川との合流地点に差し掛かり船は切り返す様にして大和川を遡上、飛鳥の檜隈に入り、礼尾は父親の館を訪れ太秦と物見の報告を済ませた。 「礼尾、平群をダン族の根拠地にしてもらおうかの。太秦の河勝が纏向に入るのを抑えられよ […]