六百七十二年、新羅占領軍総司令官・レビ族の郭務悰は飛鳥の秦王国鎮圧作戦に臨み、花郎軍団の源花・中臣氏の金庾心と情報交換した。 郭務悰が「現大王家のレビ族を降ろした後の統治は十四代迄続いた前大王家のシメオン族を重用する […]
カテゴリーアーカイブ: 日出処の天子
「白村江の戦い」5
白村江の戦いに圧勝した唐と新羅の連合軍は六百六十四年五月、唐の鎮将・劉仁帰が率いる四千人、及び新羅の鎮将・金庾心が率いる四千人の計八千人で倭国に侵攻し、太宰府に筑紫都督府を構え列島の占領軍政を開始。金庾心は中臣氏の故地 […]
「白村江の戦い」4
六百五十五年五月、唐は高句麗に出兵するも不首尾。六百六十年、唐の高宗は百済に遠征軍を向けます。三月、戦争をするために生まれてきた男、蘇定方を遠征軍十万の大総督に任命します。八月、唐陸軍は百済の国都に迫り、唐の陸軍に遅れ […]
「白村江の戦い」3
AD4世紀頃、高句麗の広開土王は新興国新羅のSOSに弱小国支援を旗印に南征し百済と半島に進出していた安羅倭国や金官加羅と戦い勝利を納め、取って返して中原の五胡十六国の一つ燕と戦い勝利。更に北方の東扶余を討って領土を拡大 […]
「白村江の戦い」2
BC213年、秦の始皇帝による焚書坑儒のため、孔子・孟子のガド族は亡命者となり、BC86年、九州の博多に渡来し、伊勢国を建国し猿田彦を王に戴きます。また、秦の滅亡により始皇帝子孫のシメオン族も亡命者となり、敵対したガド […]
「白村江の戦い」1
BC1世紀頃、国東半島重藤海岸段丘の野タタラでフイゴを吹いていた男に砂鉄堀が、 「もう数十年で砂鉄が枯れるぜ」 「タタラの薪で山の木も無くなりそうだ、国東の殆どがハゲ山になった」 「砂鉄か鉄鉱石の有る処を早く見付けねば […]
「上宮聖徳」13
令和元年五月、上雉大古代史サークルOB四人組は明日香に入り小山田古墳を見ようとするが学校敷地内のため見学不可。西園寺が、 「小山田古墳の見学は諦めよう、斑鳩に行って若草伽藍跡地と藤ノ木古墳をみようや」 皆で車に乗込み […]
「上宮聖徳」12
筑紫敗戦の反省もあり、秦王国の族長会議は定期的に開催されるようになっていた。 東漢と西漢を中心とした体制から、太秦の泰氏や蘇我氏の台頭が著しい状況になり、次の大王位は東漢の一存では決めさせない雰囲気が醸成されていた。 […]
「上宮聖徳」11
飛鳥の王宮で道庭が久し振りに寛いでいると、鬼前太后が歩み寄り、 「そろそろ、上宮聖徳の正妃を決めなければ成りませんね」 「だれぞ、心当たりがあるか」 「播磨の文身国に大国主様の血を引いた干食姫がおられます」 「その姫な […]
「上宮聖徳」10
道庭は上宮聖徳の立太子の儀を槻広場で盛大に催した。上宮の乳母を務める土師氏達に見守られ煌びやかな衣装に身を包み道庭に譲られた馬具を装備した馬に跨がり広場を巡った。 久し振りの明るい儀式に飛鳥は沸き立っていたが、上宮聖 […]