「日出処の天子」48

 紅葉に彩られた柳井水道の王宮に春日の竹斯王のミチタリからの急使が辷り込んできた。 「足庭様、日田の奥の九重山中で不穏な動きがみられます。倭国の挙兵と考えられます」 「羅尾、飛鳥と出雲国と文身国に出兵の連絡をして下され。 […]

「日出処の天子」47

 古代史サークルOB四人の旅はホータンからサマルカンドを抜けクンシュラブ峠を越えフンザに入った。フンザ川の谷間は棚田の新緑と杏子の花が見事に調和していた。  西園寺が、島津に、 「一万二千年前にタリム盆地のモンゴロイドが […]

「日出処の天子」46

 その秋、悲報が飛び込んだ。夜麻苔の平群から早飛脚が、静養していた弾の急逝を知らせた。足庭は直ちに平群の里に急行し、殯の宮に安置された竹馬の友を悼んだ。西漢の本拠地河内の百舌に陵の建設が決められた。足庭は東漢の石工の総動 […]

「日出処の天子」45

 再び昇殿した裴清と相見えた足庭は、 「高句麗と琉球は友好国として交流しております。お手柔らかにお扱い賜り仲良くして下され」 「琉球は使者を派遣しても纏ろわず、高句麗は我が辺境を侵しており赦されない」 「琉球は国体が定ま […]

「日出処の天子」44

 裴清は秋を待たず俀国使節団と共に俀国に向かった。対馬、壱岐を辿り、末羅半島を南に見ながら博多那の津に入り鴻臚館で三郎の出迎えを受けた。 「裴清殿、遠路の旅お疲れ様です。遥か日出る国にお越し賜りありがとうございます。鴻臚 […]

「日出処の天子」43

 博多湾を廻る棚田の畔に菜の花が咲き乱れ、玄界灘を南風が吹き渡る頃、足庭は第二回遣隋使を博多那の津から出立させた。  船団は宗像船の先導で壱岐、対馬を経由し半島西岸を北上、百済、高句麗沿岸を船泊しながら進み、遼東半島沿い […]

「日出処の天子」42

 平成二十五年四月、大学院に進んだ古代史サークルの四人は揃って休学届を提出しシュメールの足跡を辿る旅へ出ていた。  カリフ姿の西園寺がタクラマカン砂漠を見下ろしながら、 「気候変動は人類の移動に多大な影響を及ぼしたんだな […]

「日出処の天子」41

 光元三年正月、足庭は慶賀行事を終えると、三郎を呼び第二回遣隋使派遣の詰めに入っていた。 「三郎殿、書き留めてくれぬか、国書の書き出しじゃが『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや』で始めよう」 「足庭様 […]

「日出処の天子」40

 飛鳥大寺が完成、足庭は久し振りに飛鳥に戻り落慶法要に臨んだ。伽藍配置は高句麗から渡来した高僧恵慈の指導の元、一塔三金堂を回廊で囲い、その北に講堂を配している。西門は間口を大きく取り槻広場に開かれていた。足庭は恵慈を招き […]

「日出処の天子」39

 数年後の秋、新羅交易団が戻り、中臣の士官が博多鴻臚館を訪れ三郎と外交策を詰めていた足庭に報告した。 「無事、鉄を持ち帰りました」 「ご苦労さま、新羅は如何じゃった」 「丁度、インドからクシャトリアの武士団三千人が漂着し […]