「日出処の天子」32

 大和飛鳥に夏が訪れ、稲田が緑一色に埋め尽くされた頃、羅尾は学問僧の恵慈を甘樫の丘に案内し、飛鳥大寺建設予定地を眼下にしながら、

「恵慈様、右手一帯が飛鳥の官衙です。その南にある丘陵が島の庄で大きな方墳が先代、広庭様の陵です。左手一帯が十四代様の纏向の王宮です。今は息女様二人でお住まいです。向こうに見える山は三輪山で手前の流れが飛鳥川でございます」

「極楽浄土に相応しい場所じゃ」

「伽藍配置の構想はお決まりに成られましたか」

「飛鳥と纏向が連なる様に、南大門、中門、塔、中金堂、講堂を一直線に並べ、塔の東西に大和の豪族全てが一帯となれる様、金堂を配置しましょう」

「早速に足庭様に連絡いたします」

「羅尾殿、もう一つ、この甘樫の丘と大寺建設予定地の間にかなり広い槻野が残ります。広場にすれば飛鳥京の大きな儀式に活用できましょう」

「併せて連絡いたします」

 羅尾と恵慈が飛鳥の官衙に戻り秦王国の王の館に報告に訪れると、丁度、柳井水道に向かう父親の三郎にも出会えた。報告を終え羅尾が、

「三郎様、飛鳥大寺の伽藍配置と西門の件、足庭様にお伝え下さい」

「相分かった。急ぎ足庭様の処に戻ろう」

 恵慈が、

「三郎様、今一つ、足庭様にお伝えください。高句麗に寺大工、路盤博士、瓦博士派遣の依頼を願えますか」

「天文学者と石工が戻る時、絵師を派遣すると嬰陽王が申されていたそうじゃが、その前に寺大工などの派遣願う様、足庭様にお伝えいたす。王、それで良いの」

「父上、宜しくお願いします」

「日出処の天子」31

 ミチタリは高砂に戻り、文身国の祖父母に、

「大変、お待たせをしました。飛鳥に参りましょう」

 婆が、

「鬼退治をなされたか、黍団子を作りました。お土産になされ」

「子鬼でございました。団子ありがとうございます。さすれば、我の家来を見付ける旅にいたしましょう」

 ミチタリ一行は明石で船泊し、

「爺様、婆様、今宵は蛸料理をいただきましょう」

「婆は軟らかい料理が嬉しい」

「料理人には伝えてあります」

 蒸し料理が供され、

「これは軟らかい蛸でございますね。美味しゅうございます」

「お口に合って良かったです」

 翌日、明石海峡を抜け茅渟の海を辷るように進んだミチタリ達の船は難波津で船泊した。爺が、

「ミチタリ殿、沿岸の干拓が盛んに進んでおりましたが」

「西漢の干拓地です。塩抜きに手を焼いているそうです。明日は眼前にそそり立ちます上町大地の北側を回り込み河内湾に入り大和川を遡上いたします。今宵は鰈やカサゴや茅渟をお召し上がり下さい」

 翌日、難波津から淀川に入り上町台地の北側から河内湾に進み、

「爺様、この河内湾の干拓地も西漢の手になるものです。こちらは、塩抜きが進んでおるそうです」

「西漢は大したものじゃのう」

「お蔭で、族長会議で異議無く我ら東漢が大王に推されております」

 日下の津で船泊し昼餉にし、日下の物見にミチタリ一行の飛鳥入りを知らせさせた。

「この館は羅尾の母親の実家でございます。気楽にお過ごしください」

「詩音殿の生家でしたか。柳井水道に遷都の折、娘と一緒に挨拶に寄られたので存じておる」

 そこに、館の主が顔を見せ、

「詩音の弟の紫門でございます。姉がお世話になっております。遠路ようこそお越しくださいました」

「そうじゃ、父親の座右留殿はご健勝かな」

「足腰が弱りましたが未だ野菜つくりや山菜採りは致しております」

「それは嬉しいの若き日、纏向の王宮でお目に掛った」

「後ほど、挨拶に伺わせましょう。料理が冷めない内に、どうぞお召し上がりください」

 昼餉を済ませた一行は大和川を遡上、亀の瀬で小舟に乗り換え飛鳥の官衙に近づくと杖刀の兵が整列で出迎えており、ミチタリの妃も子供を抱いて手を振るのが見えた。ミチタリも大きく振り応え、下船し子供を抱き上げた。

「丈夫な子供をありがとう。文身国から爺様、婆様をお連れいたした」

「遠路はるばるお越し頂き誠に有難うございます」

「ひ孫は初めてじゃで、見とうなった、おめでとうござる」

「婆も付いて参った。可愛いの、土産は赤穂の塩を提げて参った。倅が甘いものを持たせてくれました」

「それは、ありがとうございます。何はともあれ館でゆっくりお休みください」

 ミチタリは妃の鬼前太后と二人だけになり、

「オニサキ、留守の間に難しい事はなかったか」

「はい、乳母の自薦がございました」

「どこからじゃ」

「土師氏様からでございます」

「それは良かった。土師氏は広庭様が大王位就任の折、豪族会議を取り仕切って呉れたそうじゃ」

「分かりました。直ぐにお願いをいたします」

「聴いて居るかな、柳井水道に遷都の折、父親の所に各地の豪族や長から娘達を妃嬪や女御にしてくれと次々と送られて来たのを、詩音様が「まるで竜宮城の様ですね。玉手箱は開けないで下さいね」と父親は「今宵は桃太郎になって鬼退治をいたそう」と我も今宵は鬼退治をいたそう」

「それは、たいへん、鬼の扮装でお待ちしております」

「それには及ばぬ、そちは名前が鬼前じゃ」

「それでは磨き込んで角を隠してお待ちしております」

「来る途中、児島で鬼退治をいたした」

「まあっ」

「女子ではないぞ、文身国の王や牛窓の長から、児島の長の横暴が目に余ると言われて懲らしめたのじゃ」

「お気を付けくださいね」

「父親がこの度、高句麗から見えた高僧の恵慈様を産まれた子の教育係にいたそうと」

「お気の早い」

「親馬鹿、いえ爺馬鹿でございますと申し上げたら、子の成長は早いものじゃと言われるのでお承けいたした。場所は建設の始まる飛鳥大寺にいたそうと」

「楽しみにいたしております」

「もう一つ、後宮を春日に移すかと問われておるのじゃが、子が小さいので飛鳥が安心じゃと思うが」

「それで宜しゅうございます」

「後で、小太郎殿の所に挨拶に行こう」

「分かりました」

「日出処の天子」30

 東航を続けるミチタリは赤穂の次の高砂で文身国の王宮に上がり、祖父母に見え、

「兵站に一方ならぬご尽力を賜りありがとうございます」

「我ら大国主一族の悲願を達成して下さり喜びに堪えませぬ。お礼を申し上げるのは我らのほうじゃ。ミチタリ殿に子が生まれたそうじゃな、おめでとうござる。ひ孫じゃ、何時か会って見たいな」

「ご一緒に飛鳥に参られませぬか」

「婆、一緒に連れて行って貰おう」

「冥途の土産に飛鳥にいきましょうかの」

「そうしてください。叔父御はお留守でございますか」

「倅は西の方に巡察中じゃが明日には戻ろう」

「それでは帰りをお待ちします」

「そうしなされ、婆の手料理をたんと召し上がられよ」

「瀬戸内は魚が美味しゅうございます」

「この辺りは桃や枇杷も殊の外、美味じゃ。手土産には塩を持ち帰って貰いましょう」

 翌日、帰館した文身国王に拝謁したミチタリは、

「先頃は筑紫侵攻作戦の兵站に協力を賜りありがとうございます」

「筑紫奪還祝着に存じます。父の代までに適えられなかった一族の悲願を達成して頂き望外の喜びでござる。感謝申し上げます。足庭様はご健勝ですかな」

「次々と訪問客があり忙しくしております。春日の王宮を立つ前も平群の弾殿達が高句麗から戻られ走り回っております」

「高句麗訪問団の帰国は、数日前に羅尾殿が仏教僧を連れて通過の折、承った。嬉しい話ばかりじゃ。そう言えばミチタリ殿に子が生まれたそうじゃな、おめでとう。父母を連れて飛鳥に戻ってくれるとか、何か祝いを考えねばな。父母は塩じゃと申しておった故、我は何か甘いものを送ろう」

「お心遣いありがとうございます」

「耳にしていると存ずるが、児島の長の横暴が目に余っておる。制裁をせねばならん」

「牛窓の長から聞かされました。その前に兵站協力の御礼に表敬訪問したおり、お会いしました。近隣から娘達が送られて来て云々申しておったが、強要して御座ったか、足庭様の了解を得て懲らしめましょう。ご協力ください」

「協力も何も自分達でお灸を据えようと思っておりました故、喜んで協力いたしますぞ」

「直ちに、早舟を柳井水道に送ります。春日から戻られておられましょう。ミチタリが児島で鬼退治をいたしますと」

 文身国の精鋭部隊とミチタリの親衛隊が児島の館を急襲、長を捕縛、娘達を解放した。

「日出処の天子」29

 弾が報告を続けた、

「隣国、隋との衝突の危険が迫っている時に飛び込んだ我らの願い事は全て聞き入れて頂けました。石工も天文学者も尚の若者も勉学に来たものは全て受け入れると、更に学問僧の派遣と石工と天文学者が帰る時は絵師を送り出して頂けるそうです」

 足庭が、

「仏教僧を派遣して頂いたが、檜隈寺の次は飛鳥に大寺を計画しておったので丁度良かった、建設を早めよう。三郎殿、秦王国王を委ねている、お主の長男の小太郎殿に総監督を任せよう」

「ありがたく、承ります」

「太子、飛鳥大寺の建設が終わったら仏教僧を太子の長男の教育係に就任させるかの」

「父上、親馬鹿、いえ爺馬鹿でございます。未だ生まれて一年でございます」

「いや、子の成長は早いものじゃ」

「ありがとうございます」

 足庭が、

「羅尾、仏教僧を飛鳥に送り届けて下され。それと、弾達が高句麗から持ち帰った馬具一式を檜隈の工人達に見せて、複製品を作らせて下され」

 三郎が、

「我も、飛鳥に戻り小太郎に飛鳥大寺の件を伝えまする」

 足庭が、

「次郎殿、弾達が高句麗から持ち帰った仔馬じゃが、阿蘇で育成するのも良いが警備が不安じゃで豊の国で育成してくれぬか」

「かしこまりました」

「馬が増えたら太子の処に分けて下され」

「重ねて、ありがとうございます」

 足庭が、

「そうじゃ、新羅にも行ったそうじゃな」

「足庭様の深謀遠慮には心底感嘆いたしました。新羅の都の金城の沖合に差し掛かりましたら案の定、新羅の巡視船に停船を命じられましたが、中臣の士官に音声を上げさせ事なきを得、運よく新羅王に面会が適いました」

「どんな話を」

「金官加羅が滅亡した折、受け入れた王侯貴族の中に中臣の血を受け継いだ者がいる。会わせてあげようと、只、自らの出自は暈されました。交易の話では我らが持ち込んだものを隋への献上品に加えようと、次に来た時は鉄を進ぜようと仰せであった」

「次に交易に行けば鉄を入手できるか、新羅に入れたのは上首尾じゃったの」

 弾が、

「高句麗と新羅では隋への対応姿勢がまるで正反対でした。交易は相手国の状況を把握しないといけませんな」

 足庭が、

「三郎殿、飛鳥からは早めに戻って下さらんか、外交と交易の責任者に就いて頂きたい」

「かしこまりました」

「弾殿、高句麗駐在武官の人選などは明日にでも相談したいのじゃが、一度、奈良島や平群に戻られて英気を養って下され」

「ご配慮、痛み入ります」

 宴の後、太子と二人になり、

「お主も飛鳥へ戻り妃や子に会って来れば、後宮を春日に移すかどうかも熟慮なされ」

「そうさせて戴きます。道々、各地の長に兵站協力の御礼をしながら参りますが宜しいですか」

「おう、そうじゃった、良く気が付かれたな、母者の里にも寄って下され」

「畏まりました」

 ミチタリは筑紫侵攻作戦後、初めて瀬戸内を東航し、尾道の次の児島で船泊し、長を表敬訪問した。

「先頃は兵站に協力頂き誠にありがとうございます」

「筑紫奪還祝着でござった。祝いの宴を開きましょう。料理と舞姫を此れへ」

「まるで竜宮城の様ですね」

「近隣の長から次々と娘たちが送られて来てこの有様だ」

「父の嬪の詩音様が、玉手箱は開けないで下さいねと申しておりました」

「白髪頭には、未だなりたくないな」

「お気を付けください。父は詩音様に、それでは今夜、桃太郎になって、そちの寝所に参ろうと」

「おうそうじゃ、今宵は妃のもとに参ろう。今宵はゆるりと休まれよ」

 ミチタリは東航を続け、宇野の次の牛窓の長の館に上り、

「先頃は、筑紫侵攻作戦の兵站に協力を賜り御礼を申し上げます」

「見事な侵攻でござったな、お祝いを申し上げます」

「ありがとうございます。港の夕日が絶品でございました」

「牛窓は魚も殊の外、絶品でござる。遠慮なく召し上がって下され」

「昔、アラビア人が居住していたと聞きおよびましたが」

「牛窓の地名はアラビア語でアラビア人の住む町から来ているそうです」

「我らの祖もオリエントからの漂着者でございます」

「隣国の児島の長の出自はよく判らぬが近隣に手を出しすぎておられる。目に余る」

「足庭様に申し伝えます」

「日出処の天子」28

 俀国の都、柳井水道一帯に新緑の季節がめぐり足庭は律令制、国造制の整備や織物業などの産業振興、新田開発を始めとする食糧増産などに意を尽くしていた折、足庭の次男の出雲王からサンカ衆の山越えで高句麗訪問団が無事出雲に到着し、博多に向かったと急使が届き、足庭は三郎と羅尾と身狭隊を伴い歓迎準備を整えるべく博多に急行した。

 博多の那の津に入った足庭は春日の王宮の太子に応援を頼み、豊国王の次郎には遠賀川沖通過時に来賀伝達。那の津の沖合に訪問船団の船影が見えカゴメ紋の幡のはためきを見て、足庭は小舟にカゴメ紋の幡と紅白の幟をを掲げた迎え舟を多数出した。

 筑紫王の太子が那珂川を下り那の津に入り足庭達に合流した時、高句麗訪問団を乗せた船団が砂州に囲まれた那の津の入り江に入港し、追尾する様に豊国王の次郎の祝船が沖合に姿を見せ、住吉大明神の神域を背に足庭と太子達が勢揃いしカゴメ紋の幡と紅白の幟を打ち振る中、訪問船団はゆっくりと岸壁に接岸した。

 足庭は弾達訪問船団一行に声を掛けた。

「大役、ご苦労様。無事の帰着、祝着でござる」

 弾が声をあげ、

「華やかなお迎え、驚嘆いたしました。多数のお揃いでの歓迎、痛み入ります。ありがとうござる。思い掛けない土産が多数ござる。お喜び下され」

 足庭が目敏く、

「仔馬を持ち帰られたか」

「華麗な馬具も一緒に持ち帰りました」

「仏教僧を連れ帰られたか」

「嬰陽王様から学問僧を委ねられました」

「それは喜ばしい。積もる話もあろうが、皆で春日の王宮に参ろう」

 帰朝歓迎の宴で足庭が弾に、

「高句麗訪問は如何じゃった」

「訪問は大変有意義でござった。絶妙の機会であったと存ずる」

「なにゆえ」

「高句麗第二十六代嬰陽王は即位間も無くで殖産振興、富国強兵に邁進されているのですが、隣国中国を統一したばかりの隋が領土拡大政策を顕わにしており、長い国境線を接している高句麗と早晩衝突すると危惧されており、我らに尽力を望まれました」

「具体的には」

「訪問団の我らに傭兵外人部隊への入隊を誘われました」

「それで何と返答された」

「戻り次第、足庭様と相談いたしまして、然るべき方策を考えますると、お答えいたしました」

「それで良い。三郎、太子、どうじゃろう、高句麗と同盟を結んで駐在武官を派遣する方法は」

 太子が、

「父上のお考えに賛同いたします」

「弾殿、如何であろう」

「足庭様のご思案に賛同いたしまする」

「三郎殿、琉球には領事を駐在させますかな」

「それが宜しいかと存じます。何れにいたしましても、迅速な情報収集の一助になりましょう」

「日出処の天子」27

 平成二十四年七月、期末試験を終えて古代史サークルのメンバーが部室に集まり、新入部員の自己紹介が始められた。黒木麗華が、

「薫君から、お願いします」

「伊集院薫です。島津家と同じ薩摩の出自です。杖刀のレビ族と言われています。趣味は剣道です。桐野利秋が使った示現流の稽古中です」

 美佳と香苗が、

「おお恐わ」

 と声を揃えた。麗華が続けて、

「次は、由紀ちゃん、お願いします」

「中曽根由紀と申します。高句麗から琉球に渡った長髄彦の末裔と言われています。王妃族粛氏の神官、キキタエ様の血も入っており美人が多いそうです。島袋ほどではありませんが。趣味は勿論、古代史です」

 西園寺と島津が声を揃えて、

「素晴らしい。古代史サークルはこれで安泰だ」

 坂上大二郎が、

「お二人は、学園祭の白村江の展示はどうでしたか」

 由紀が、

「勝って進駐した新羅も百済も高句麗も支配階層は、北倭や南倭で北倭ウガヤ王家の崇神が南倭エビス王家の開化王女を娶り皆親戚になり、括れば全て倭人諸国なんですね」

 西園寺が、

「白村江の後、百済の支配階層や技術者の殆どが列島に渡来移住し、高句麗の支配階層は渤海、契丹を建国。統一新羅もその後、滅亡し支配階層や残留していた花郎軍団達は列島や満州に移動しており、半島には倭人の支配階層はほゞ残留していないんだ」

 伊集院が、

「秦王国も東日流の荒吐五王国も白村江の戦いに船団を参加させたんですね。倭国と百済遺民の連合軍は結局、寄せ集めで指揮官不在の烏合の衆になったのが最大敗因なんですね」

 島津が、

「南倭の代表、東表国の後継国が金官加羅で、その分国が新羅ですが出自を隠蔽するため偽史を編み、中臣、蘇我を消し、金、昔、朴、三氏の連合国家と偽ったんだ。東表国の残留者は倭の大乱後、秦王国建国に参入していますが、白村江以前に筑紫倭国と大和の秦王国は国交を回復していたと思いますね。南倭の琉球狗奴国は東日流に荒吐五王国を建国していて、秦王国のシンパなんだ」

 西園寺が、

「白村江の戦いの攻防に参加した支配階層の全てが倭人であり、多くはユダヤの失われた十部族とも十二部族とも言われる人達なんだが、そのほぼ全ての人達はシュメール人とセム族の混血なんだ」

 美佳が、

「古代のユダヤ人はメソポタミアでセム族がシュメールの都市国家に侵入し始めるBC二千年頃からヤコブを長としたセム族の一部族が今のイスラエル地方に住み始めヤコブの妻達が十二人の子を産み育て十二部族としてイスラエルの各地に割拠しイスラエル部族と呼ばれたのよ」

 香苗が、

「その後、BC千年頃にソロモン王という英邁が現れイスラエルを最大版図に伸張させ、タルシシ船と呼ばれる、フェニキア人が運航する交易採鉱船団を定着させたのよ」

 麗華が、

「そのタルシシの採鉱船団が豊後水道を通り国東半島の重藤海岸に莫大な砂鉄の堆積層を発見しヒッタイト人がタタラ製鉄を始め、エブス人がその鍛鉄を殷文化圏に売り、千年王朝東表国に発展するんですね」

 島津が、

「同じ頃、メソポタミアにはセム族のアッシリア帝国が勃興し周辺国を圧迫し始め、製鉄と戦車のヒッタイト王国が早々と滅亡に向かい、海に浮かんだカルディア人がヒッタイト人達を吸収しニギハヤヒ一族となり、他のシュメール都市国家の王族の末裔たちと共にアッシリアに立ち向かい一度は勝利を得るものの、その後は圧倒され海のシルクロードを東に向かい、また、シュメール人とフェニキア人達が混血したウラルトゥ人はトルコのヴァン湖周辺に逃れウラルトゥ王朝を樹立しアッシリアと戦うものの幾度も敗れウガヤ王朝に変身し陸のシルクロードを東に向かったんだ」

 後輩たちが一斉に、

「そうなんだ」

 西園寺が、

「アッシリアの暴虐の嵐は止まずBC七百二十二年イスラエル王国に侵入し根こそぎ十部族を拉致し捕囚にしたんだ。その後、南のユダ王国の二部族も拉致されるもユダヤに戻され、アレクサンダー大王東征時に従軍したのがシメオン族達なんだ」

 美佳が、

「アレキサンダー大王が遠征を終え、バビロンで病没した後、総督の地位についたシメオン族のディオドトスがバクトリアに大秦を建国し、アレキサンダー大王の遺志を継ぎ、中国に侵入し秦帝国を樹立したんだ」

 後輩たちが一斉に、

「それが、大和の秦王国に繋がるんだ」

「日出処の天子」26

 弾の高句麗訪問団は翌々日、浦項の港を出港し、再び北流する親潮の支流に乗って北上した。遠く白頭山を望みながら船泊を重ね、高句麗東海岸の要港である元山の港に入港し、役人に秦王国改め俀国が交易に参ったと届け出た。

 港に留め置かれて五日目、役人から都の平壌へ案内すると伝えられ、積荷を小舟に積替え、文川を遡り、成川を下り、大同江から外城の平壌市街に入った。滞在一日目、役人が交易に至った経緯を聴取した。二日目、役人から明日、第二十六代嬰陽王に会えると知らされた。

 その日、弾達は威儀を正し中城を抜け内城に入り宮殿に扶座した。暫くして嬰陽王が出座し、一行に声を掛けた。

「荒海を越えて遠路よう参られた。俀国は大和の秦王国が大きくなって筑紫にまで進出したそうじゃな、弾殿」

「仰せの通りでございます。昨年、大和の飛鳥から柳井水道の奈良島に遷都し、筑紫に進出しております」

「聞けば、お主たちの先祖は高句麗に滞在しておったそうじゃな」

「そうでございます。美川王様の御世に西晋から貴国に入り、長寿王様の御世に船団を組み筑紫に渡ったと伝えられております」

「俀国の天子は足庭と申すそうじゃが、人と形は」

「足庭様はヤツガレの竹馬の友でございます。沈着冷静で常に前を向いております。東漢レビ族の族長でもあります。我は西漢ダン族の族長でございます」

「レビ族もダン族も軍事力に優れているそうじゃな」

「足庭様は文武兼ね備えておられますが、我は武骨一本槍でございます。同道いたしました東漢の坂上一族も武に秀でております」

「弾殿、我が軍の傭兵外人部隊に入って下さらんか、中国を統一したばかりの隋が領土拡大政策を推進しておる。早晩、長い国境線を接している我が国と衝突するのは火を見るよりも明らか、高句麗にご尽力下さらんか」

「義を見てせざるは勇無きなり。戻り次第、足庭様と相談いたしまして、然るべき方策を考えまする」

「して、交易に参ったそうじゃな」

「交易も然りながら文化交流、いえ、先進文化の受容を足庭様は考えておられます。此度は筑紫で収穫いたしました新米と飛鳥から絹織物と琉球から夜光貝を持参いたしますと共に、天文学者と石工の若手の精鋭を連れ参りました。また、琉球のキキタエ様から尚家の若者を委ねられました」

「そうか、勉学に参ったものは受け入れよう。弾殿が帰途に付かれるときは学問僧を連れ帰って頂こう。天文学者と石工が帰るときは絵師を送りだそう」

「日出処の天子」25

 筑紫の野が菜の花で埋まる頃、弾は高句麗訪問船団を編成し博多湾を出港。壱岐、対馬を経由して半島南東端を親潮の支流に乗って北上していた。新羅の都、金城の沖合に掛かる頃、三つ巴の紋章を掲げた船団が行く手を遮った。弾は水夫長に三つ巴の紋章とトウビョウの紋章とカゴメ紋の紋章を掲げさせ接近を命じた。相手船団から、

「我等、新羅の巡視船でござる。どちらの国の船団か、何処へ行かれるのか」

 弾は中臣の士官に音声を上げさせた。

「我等、秦王国改め俀国の交易船団でござる。貴国が宜しければ交易をいたしたい。我は東表国を建国したエビス王家の裔の中臣の士官でござる。船団長は大和平群の長の弾でございます。昨秋、琉球に行った折、尚家の裔を預かって参った故、三つ巴の紋章も掲げましてござる」

「それでは、金城の王宮と連絡を取ります故、最寄りの浦項の港に入港されたい」

 浦項の港に入港した弾の訪問団は翌々日、都の金城に入港し新羅第二十六代の眞平王に拝謁が許された。

「弾殿、俀国は筑紫倭国を駆逐したそうじゃな」

「昨夏、筑紫に侵攻いたしまして、首尾よく制圧ができました」

「それは上々、祝着であった。我が国も殖産振興、富国強兵に努め領土拡大に邁進しておる。目前の敵、百済の兄弟国である筑紫倭国の衰退は喜ばしい。俀国天子に祝詞を申し上げる」

「戻り次第、お伝えをいたします」

「中臣の士官が音声を上げたそうじゃが」

「貴国の貴族階層に同胞が居られると仄聞いたしました」

「隣国の金官加羅が滅んだ折、その王侯貴族を我が国に収容している。その中には中臣の血を受け継いで者がいると承知している。その若手官僚の一人に合わせてあげよう」

「ありがとうございます」

「三つ巴の紋章を掲げたそうじゃが」

「昨秋、琉球に交易に参りました者が、尚家の若者の見聞を広めるために預かり、此度は連れ参りましたので、尚家の紋章の三つ巴を掲げました」

「三つ巴の紋章は新羅の紋章だ、濫りに使われるな、尚家もインドのコーサラ国に縁があるのであろう、此度は許そう」

「お言葉、痛み入ります」

「交易に来たそうじゃな」

「此度は、その許しを得る挨拶と思うて参りました」

「して何を持参いたした」

「昨秋収穫いたしました筑紫の新米と飛鳥で織りました絹織物と琉球交易で得ました飾り細工に使います夜光貝と木工に使いますアカギの角材等を持参いたしました」

「左様か近々、中国を統一した隋との交易を始める予定じゃ、献上品に加えよう。次に来た時は鉄を進ぜよう」

「日出処の天子」24

 秋が深まり、三郎と博麻呂は新米と絹織物を積んで博多湾から末盧の半島をを回り平戸と五島の間を南下、薩摩、屋久島、奄美の島々を経由して琉球の要、首里の泊港に入港。港の官吏に東日流の安倍博麻呂を案内人に俀国使が交易に訪れたと申し入れた。

 連絡に行った役人が戻り博麻呂達に伝えた。

「キキタエ様がお会いになります。宮殿にお上がり下さい」

 三郎と博麻呂は新米と反物を小舟に積み替え安里川を遡り宮殿に昇った。宮殿はニライカナイ信仰で西向きに開かれ、泊港が手に取る様に眺められた。扶座して待つこと暫し、白髪の婆々が白の神官装束に身を包んで出座した。

「はるばる見えられた。俀国は如何なる国か」

 三郎が軽く叩頭し、

「東表国から筑紫の吉野ヶ里の割譲を受けたシメオンの大国主命の後継ぎが大和に築いた秦王国を継承したレビの大王の二代目が周芳の柳井水道に遷都し俀国を名乗り天子足庭号しております。初代大国主様の委奴国が扶余の北倭軍に攻められた折、長髄彦様が矢面に立たれ、お助け頂きました。その縁で此度は、筑紫の奪還に東日流の安倍博麻呂殿が参軍され、更には琉球訪問の案内に立って頂けました。我は足庭の弟の三郎で御座います」

「安倍博麻呂殿、長の航海ご苦労様でした。長髄彦の裔は如何しておろうか」

「荒吐五王国の纏めに就かれております」

「東日流に帰還したら、男の子を琉球に戻して下されと伝えて下さらんかな。王家の再興に相応しい者が中々現れず困っております。隋という国が中国を統一して、我らにも朝貢を促しており、対処する人材が居りませぬ」

「必ずや、お伝えいたします」

「三郎殿、足庭様にお伝え下され。琉球は今、隋の脅威に曝されておりますと」

「承知いたしました。此度は筑紫で収穫した新米と飛鳥から絹織物をお持ちいたしました。ご受納下さい。来春には別の隊が高句麗になどへ交易に参ります」

「おうそうであった、交易で見えられたのでしたな。齢を取ると気が急いて困ったものじゃ。飾り細工に使う夜光貝と木工に使うアカギの角材を持ち帰って頂こうかな。それと、高句麗に行かれるのであれば尚家の若者を連れて行って下され」

「承知いたしました」

「今宵は鄙の料理でお寛ぎ下され。我は出ぬが歌垣を催すゆえ兵士も水夫も皆呼ばれよ」

「日出処の天子」23

 筑紫倭国の殆どを平定し、肥後多婆羅国の制圧は葛城隊や身狭隊と弾が率いた河野水軍に任せ、春日の本営に帰還した足庭は新体制を構築する人事配置を発令した。

 奪還した竹斯国の王には足庭の長男である太子を任命。東表国を豊の国と改め足庭の弟の次郎を王に任命、出雲国の王には足庭の次男を任命。播磨国の王には次郎の長男を任命。大和の秦王国の王には三郎の長男を任命。新都の周芳国は足庭の直轄地とし、天子となった足庭が全体を統率することとした。

 足庭は平群の弾と久し振りに酒を酌み交わした。

「弾殿、此度は数々の尽力、厚く御礼申し上げる」

「何を改まって、礼を言わねばならんのは我のほうじゃ。存分に活躍の場を与えてくれて、息子達に自慢ができる」

「弾、言い難いのじゃが、今少し尽力して頂けないか」

「水臭いの、何なりと」

「高句麗に渡って下さらんか」

「それはまた大儀な、毒食はば皿までじゃ共に祖先が過ごした所縁の地、承知した」

「交易と外交に本腰を入れようと思うてな、琉球には三郎と東日流隊に行って貰うつもりじゃ」

「それでは、我には坂上隊を付けて下さらんか」

「承知した、坂上隊に指示を出しまする。早急に渡航船を作りましょう。半島の東側を北上するとなれば季節風が納まる来春に出立されるのが宜しかろうと存ずる」

「我も急ぎ渡航船の準備に掛かろう」

「それと、新羅の沿岸を通過されるので、念のため新羅の王族達と同族の蘇我と中臣の然るべき者を同乗させましょう。それに、高句麗を出て既に数百年が経ちました故、土木技術や天文学が進歩しているやも知れません、石工の若者と天文学者を一緒に連れて行って下され」

 足庭は翌日、三郎と東日流隊々長安倍博麻呂を招き、宴を催した。足庭は博麻呂に、

「安倍殿、此度は遠路、ご参軍を賜り厚く御礼申し上げます」

「何の、わが祖、琉球狗奴国王長髄彦様と初代大国主様の頃からの深い誼でござる」

「本日は細やかな宴でござるが、まあ、一献挙げて下され。三郎殿にも苦労掛けましたな。すっかり海の男に馴染んでおる。まあ、一献」

「安倍殿や弾殿の良い手本がございました」

 足庭が、

「処で、安倍殿、今も琉球と行き来は御座るのかな」

「琉球に残った狗奴国の多くの人々は日向の安羅国や薩摩、大隅を奪って南九州に進出しましたので疎遠になっております」

「安倍殿、お願いがござる。三郎と一緒に琉球に行って下さらんか、交易を盛んにして、一層の国力充実を図る所存でござる」

「事のついでと言っては何でござるが、此処まで来て琉球に寄らずに帰るのも剛腹でござる。喜んで三郎殿の道案内をいたしましょう」

「それは、ありがたい。三郎ご苦労じゃが安倍殿と琉球に行って下され」

 秋晴れの好日に、弾は末盧国菜畑の棚田に兵を引き連れ、鋤、鍬を担ぎ、鎌を手に段丘を上った。

「菜畑の長殿、稲刈りを手伝いに参った。鋤、鍬も持って来ましたぞ」

「これは、これは、平群の長殿、似合いまするな」

 筑紫中の稲穂が頭を垂れ、各地で稲刈りが始まり、駐留した俀国の各隊は取入れを手伝い、およそ五分の一緩やかな割合で新米を徴収した。末盧国は菜畑の里を除き末盧国の治世を尊重した。