「日出処の天子」18

 柳井水道の本営に全船団の責任者を招集した足庭は、

「長らくお待たせ申した。偵察部隊が戻り復命を得、筑紫への進発を決断いたしました。筑紫の倭国は今、安羅大伴王家の女王、額田王が率いております。諸般の事情、情報から我らが進攻しても周辺諸国、関係国から援軍が来ることはありません。可及的速やかに全軍で進発いたしますこと、御承引賜りたい」

 平群の弾が、

「待ちかねておったは。否も応も無く承引いたす」

 河勝に代わり新着していた太秦の太子が、

「間に合って良かった、我も承引いたす」

 三輪の太子が、

「やっと、祖先の地が踏めまする。我も承引いたす」

 足庭が承けて、

「御承引ありがとうござる。秋の台風に見舞われる前、稲の刈取りの前、長門の深川湾に待機しております船団に伝令が届き復命を確認出来る七日後に進発いたします」

 河野の長が、

「概ねの、戦略と配置をお示し下され」

 足庭が答えて、

「我等の損害が極力無きよう、大軍団の姿を見せつけて、相手の戦意を失わせ、筑紫の地から逃亡させる戦略を執りまする。玄界灘から響灘の沖にずらっと我らの船団が浮かび、カゴメ紋の幡を掲げます。豊前の瀬戸内側にも船団を浮かべます」

 平群の長の弾が、

「戦わずして勝か、腕が奮えんな」

 足庭が、

「大和の次代を担う若者に多数、参軍していただいております。命は大事にして参りたい。河野の長殿、宗像衆も大国主様の委奴国の民でございますな、至急に連絡を取り、静観するよう伝えて下され」

 河野の長が、

「畏まりました。同族と戦うのは避けとうござる。配慮、痛み入りまする」

 足庭が、

「弾殿、抵抗する者も、掃討戦もありまする。油断せずに参ろう。壱岐、対馬にも使者を送ろう。誰ぞ行ってくれぬか」

 河野の長が、

「我等が参り申そう、お任せあれ。宗像衆に案内させまする」

 足庭が、

「それがよろしかろう、頼みまする。必要であれば、東漢に支援させまする。船団の配置でござるが、玄界灘の西から第一船団の平群隊、東漢の坂上隊、檜隈隊、それに河野隊、三郎の出雲隊、東日流隊。その次に第二船団の東漢の本隊、太郎の飛鳥隊、身狭隊、川原隊、その後に三輪隊、葛城隊、和爾隊、太秦隊が並びます。豊前の瀬戸内側に東漢の太子隊、呉原隊、その後に蘇我隊、寒川隊、塩飽隊、直島隊、笠岡隊が並びまする」

 平群の弾が、

「兵站の段取りは」

 東漢の太子が、

「兵站部隊に三日分の食料を積ませ一日遅れで届けまする」

 足庭が補足して、上陸部隊は掃討と共に食料と水の確保を念頭に進んで下され。弾殿には何時もご苦労を掛けまするが、末盧国の動向が判然と致しませぬ。斥候を出しながら進んで下され。食糧は多めに積んで下され」

 弾が、

「あい分かった」

 足庭が更に、

「三日分で足りぬと判断されれば、追加で補給を考えまする。上陸されましたら極力、田畑を荒らさぬ配慮を願いまする。秋の刈取りは我等も参加して相伴に預かる所存でござる。宜しくお願いします」

「日出処の天子」17

 柳井水道に初夏が訪れ、王宮が完成し、王妃を始めとする後宮の妃嬪、女御が入京した。

「羅尾、ご苦労であった。大嶋瀬戸の手前の麻里布に離宮を建てて下され。風光明媚に女たちが癒されよう」

「畏まりました。飛鳥に戻りましたら、太子様のお子が、お生まれでした」

「そうか、で男の子か」

「男子と伺いました」

「それは目出度い。太子を呼んで来てくれ」

 兵士の訓練から戻った太子は、

「父上、お呼びでしょうか」

「飛鳥で、男の子が産まれたそうじゃ。おめでとう。一度、飛鳥に戻って顔を見てきなさい」

「ありがとうございます」

「こちらに戻ったら、遅くなっているが、お前の立太子の儀式を執り行おう」

 一方、先発し出雲国で哨戒巡察に当たっていた足庭の三男の三郎の元に、思いがけない東日流の荒吐五王国から筑紫奪還に参軍する船団が到着した。直ちに三郎は足庭に使者を出した。使者はサンカ衆の屈強健脚の若者を選んだ。江の川沿いを遡り、三次の集落を抜け、峠道を越え、三篠川を小舟で下り、太田川から瀬戸内に入り、三日で柳井水道の足庭に伝令した。足庭は、

「ご苦労であった。三郎に伝えよ、荒吐五王国に答礼の使者を出し、長門の深川湾に前進し基地を設け、進発の合図を待てと復命下され。しっかり食べて帰られよ」

「畏まりました」

 その後、柳井水道奈良島の王宮には各地の豪族から妃嬪女御にして下されと娘達が次々と送られてきた。詩音が足庭に、

「竜宮城になりましたね。玉手箱は開けないでくださいね」

「白髪の老人になるのかな」

「そうですよ。未だ、筑紫の奪還は終えていませんからね」

「今宵は桃太郎に扮し鬼退治に参ろうか」

「まあ、嬉しい。赤、青、黄色の下着でお待ちしておりますは。お后様の寝所に寄ってからお越しくださいね」 

 柳井水道に夏が訪れ足庭は妃嬪を伴い麻里布の離宮に行幸した。離宮から大嶋瀬戸眺めていた足庭は一艘の早舟が辷るように北上するのを認めた。直ぐに、羅尾を呼び寄せ耳打ちした。

「あれは、紫門殿の船かな」

「皆、左腕に赤い布を巻いております故、間違いなきかと存じます」

「悪いが戻る。あとは頼むぞ」

 急ぎ、奈良島の本営に取って返した足庭は太子を同席させ、紫門を召した。

「紫門殿、ご苦労でござった。筑紫はどうじゃった」

「隠密裏の探索故、時間が殊の外、掛かりました。結論から先に

申し上げます。今が、絶好の侵略時期と判断いたしました」

「そうか、何故」

「話は長くなります。倭国は磐余彦が建国してから北九州と半島南部を治めていましたが、その後、金官加羅王家の倭大王位の独占を嫌った安羅国が新羅と手を結び金官加羅を挟撃し滅ぼしてしまいました。それまで、百済と新羅と金官加羅の三国の勢力均衡が保たれていましたが、金官加羅の滅亡で均衡が崩れ、倭国は半島の権益を失い安羅国の分国も半島から撤退してしまいました。倭国は筑紫一帯を安羅国の勢力だけで維持しており、安羅の大物主王家の額田王という女王が宰領しております。争っても半島からの援軍はなく、百済は新羅と直接向き合っており援軍を出す余裕はございませぬ。日向の安羅本家も南倭の狗奴に明け渡しております。動向が読めないのが肥後の多婆羅国ですが主力は半島に渡っております。大伴王家には残留部隊を糾合する力がないと思います」

「さすれば、大軍で急襲すれば占領できるの」

「さよう判断しております」

「よう判った、ありがとうござる。ゆっくり休んでくだされ」

 紫門が退出し、足庭は太子と二人になった。

「太子、機は熟したの」

「準備は出来ております」

「軍議を招集するぞ、太子」

「畏まりました」

「日出処の天子」16

 平成二十四年三月、上雉大学古代史サークルのメンバーが学年末試験を終え部室に集合していた。西園寺が呟くように、

「来年の四月は大学院に進学できるかな、今の成績じゃ無理かな、休学して留学するかな」

 島津が憂欝そうに、

「俺も今の単位じゃ推薦は無いな、西園寺が留学するなら俺も行くよ」

 美佳が、

「そんな逃避留学は止めなさいよ、前期頑張って単位を修得しなさいよ。私は単位も成績もクリヤーしているは」

 香苗も、

「私もクリヤーしているわよ」

 西園寺が羨ましそうに、

「院に上がってから留学すればいいか、それなら今、誘われている三笠宮ソシアルダンスクラブにも行けるな、島津も美佳も香苗も行ってみないか」

 美佳が、

「上雉はフラメンコだけど、何時か海外へ出るかも知れないから必要かもね」

 島津は、

「俺、一応、外交官志望なんだ」

 香苗は、

「ダンスシューズ持っているわよ」

 西園寺が、

「それじゃ、決まりだ。それと、島の庄の石舞台古墳、巷間では蘇我馬子の墓って言われてるけど、東漢の初代王の陵墓で決まりだね。偽史シンジケート集団を内包するシメオン族のボスになった不比等が編纂した日本書紀は九割方フィクションで物語だからね。蘇我三代の話も半島史の焼き直しなんだ。大和の話じゃない」

 島津が、

「白村江の戦いに勝利した新羅占領政権が不比等に委ねた日本書紀の基本コンセプトは、樹立した奈良朝廷は大昔から大和にあった。それに、反する、ガド族の東鯷国、シメオン族の秦王国、北九州に存在した神武と卑弥呼の伊都国と邪馬壱国、宇佐八幡を都とした千年王朝の東表国の歴史を抹消することなんだよ」

 美佳が、

「そうよ、奈良政権樹立以前の歴史は全て創作しなければならなくて、新羅史や百済史を下敷きにして手っ取り早くストーリーを編んだのよ」

 香苗が、

「だから、入鹿殺しと新羅の毗曇の乱は瓜二つなの、蹴鞠の出会いから、皇子が忠臣の娘を娶り、入鹿=毗曇が女帝を脅かすと、皇子と忠臣である中大兄皇子と中臣鎌足=金春秋と金庾信は入鹿=毗曇を誅殺し、中大兄皇子=金春秋は自ら即位せず女帝の斉明=真徳を擁立したのよ。全く同じなのよ」

 西園寺が受けて、

「馬子、蝦夷、入鹿の三代は大和に存在しない訳だから、石舞台古墳は馬子の墓ではない。それと三輪山の西に茅原狐塚古墳が近頃注目を集めていて、玄室に棺が三つ並んでいたそうなんだ。築造年代も六世紀末から七世紀初頭だって。秦王国十四代様の御陵ではと思うんだ。石舞台古墳と同じように封土はないそうなんだ。奈良朝廷を樹立した人達が意図的に破壊したのかな」

 島津が、

「それじゃ、来週皆で見に行こうぜ」

 美佳が、

「それと、十四代様が東漢に薦め広庭が始めたヘレニズムの勉強会は後に紀貫之と言う天才文人を生んでいるのよ」

 香苗が、

「そうよ、ギリシャ神話に精通していた貫之は蟻通神社の前を乗馬姿で通ると馬が倒れ『かきくもり あやめもしらぬ おおぞらに ありとほし をばおもうべしやは』と和歌を献じたら馬の病気が治ったと書いているんです。ギリシャ神話に登場する蟻通しの神ダイタロスを下敷きに書いたのよ」

 美佳が、

「そうそう、それを読んで感嘆した清少納言が『蟻通しの明神、貫之が馬のわずらいけるに、この明神のやませ給うとて、歌よみて奉りけるに、やめ給ひけん、いとおかし』と書いているのよ」

 西園寺が、

「平安期の知識人はギリシャ神話を知っていたんだね」

 美佳が、

「貫之の凄さは現在の国歌の元歌を古今和歌集に詠み人知らずにして掲載したことね『我が君は、千代に八千代に、さざれ石のいわおとなりて、苔のむすまで』これは猿田彦二世の歌と承知した上で天皇家に配慮して詠み人知らずに区分けしたのよ。明治維新の後、薩長連合政府の大山巌が取り上げて今に至るのよ」

「日出処の天子」15

 その頃、牛窓を出た第二船団は直島、塩飽、笠岡などの多数の島々を巡り水軍への参加を募った。塩飽の島々では小競り合いがあったものの圧倒的な軍団を背景に制圧し参加隻数を増やした。

 船泊は宇野、児島、尾道と重ね、因島、大三島、伯方島などの島々で引き続き水軍への参加を募り竹島で船泊した。

 第一船団は新居庄から越智一族の根拠地今治に入り歓迎を受け、弾は直ちに早舟を出し、第二船団の礼尾に連絡を取った。折よく竹原に入っていた礼尾は次の船泊呉湊での終結を指示した。

 呉湊で邂逅した両船団は併せて千艘を越える大陣容となった。

「弾殿、ご苦労様でした」

「いやー、河野衆と漕ぎ比べをいたしましての、心底疲れもうした。河野の船は早いの早いの」

「河野衆には、いずれ水軍を担って戴こう」

「それは良い」

 呉湊で軍議を開いた礼尾は、

「第一目標である周防の柳井水道が望めるところまで参れました。御参軍の皆様のご尽力の賜です。御礼申し上げる。柳井水道は二代様が東遷の折、最初に分国を建てられ、宇佐八幡を奉じてこられた東表国の方々は最初に八幡を建てられ、相協力して周防国を建てた所縁の地でござる。猿田彦の一族にとっても東遷の折、最初に日代宮を始め数々の社殿を建てられた所縁の地でござる。皆、故なき争いは慎みて参ろう。直ぐに物見の船団を出し、安全が確保され次第、順次出立の運びにいたしまする」

 周防国に残留していたシメオン族、ガド族、ゼルブン族、シュメール人達は皆、歓喜を以って迎えたと物見の軍団からの復命が届き、礼尾は全軍団に進発を命じた。

 周防の半島部と屋代島の間にある大畠の瀬戸を通り、半島部と大嶋が作り出す柳井水道一帯を連合船団の船が埋め尽くした。礼尾は直ちに奈良島に上陸し本営を定め軍議を招集した。

「参軍を頂いた全船団の皆様に感謝を申し上げる。突然ではありますが、秦王国は本日を以って、大和の飛鳥から、此処、柳井水道の奈良島に遷都することを宣します。国号を秦王国から俀国と改め、元号を吉貴と改元いたします。我は足庭と改名し天子を号しまする。筑紫奪還には、この瀬戸内航路の要衝であります柳井水道を継続的に前線基地にすることが必須の事柄です。ご理解を賜りたい。筑紫の状況については極秘裏に偵察部隊を送っております。復命があり次第、進発の判断をいたします。それまでの間、陣割地にて暫し休息下され」

 太秦の河勝が、

「後宮はどうされる」

「我は直ちに王宮の建設を開始いたしまする」

 河勝が続けて、

「我は此処まで良く参れたと思うが、これからは太子と交代しても良いかの」

「結構です。太子を呼び寄せられた上で、どうぞ御帰還くだされ」

 弾が、

「我も長の館を建設してもよいかの」

「他のご参軍の皆様も館建設を望まれるのであればお造り下され。妻子を呼び寄せられるのも夫々の判断で進めて下され」

 軍議を終えた足庭は詩音の長男の羅尾を呼び、

「羅尾、柳井水道では食料は賄い切れぬ、備前、播磨、摂津、大和から運ばねばならぬ、航路の確保と運搬に塩飽衆たちを加え兵站部隊を拡充してくれ」

「畏まりました」

「それと、大和に戻り、詩音に後宮の柳井水道への遷移を伝えてくれ」

「分かりました。王妃様には」

「手紙を書く故、届けて下され。もう一つ、大二郎叔父の長男の太郎殿に護衛を兼ねて一緒に周防に入って参軍されたしと言って貰おうかの」

「日出処の天子」14

 大和飛鳥に菜の花が咲き、瀬戸内を吹く北西の風が弱まる季節を迎え、礼尾は西征を開始した。難波津に集結した大船団は八百艘を越えていた。

 最初の軍議を開いた礼尾は、

「茅渟の海から淡路の北の明石海峡を通り瀬戸内に入り、船団を二手に分けまする。第一船団は東漢の坂上、檜隈、身狭、川原、呉原の五隊と平群の隊が四国の讃岐伊予の沿岸を物見掃討しながら進み、平群の長の弾殿に指揮をお願いしまする。第二船団は三輪、葛城、和爾、蘇我、太秦の五隊と東漢の本隊が山陽道沿岸を物見掃討しながら進み、指揮は我が執ります。副官は東漢の太子が努めまする。各隊は連絡を密に取りながら進んでくだされ」

 太秦の河勝が、

「兵站の段取りをお知らせ願いたい」

 礼尾は太子に発言を促した。

「食料調達のために先発隊を出し、山陽道沿岸は船泊りを予定しまする、湊と津には食料と水を準備させております。但し、四国の讃岐伊予の沿岸は手配をしておりません。讃岐の猿田彦一族伊予の越智氏には連絡をしております故、その対応に依っては山陽沿岸にお戻り頂く判断も必要と考えまする。小豆島に向かう前は少し多めに食料をお積み下され」

 平群の弾が、

「分かり申した。硬軟両睨みで対処いたしまする」

  難波津を船出した船団は途中、文身国などを表敬訪問し、兵站合力の謝意と改めて筑紫奪還への協力を依頼しながら、兵庫、明石高砂、赤穂、牛窓と船泊し、翌朝、第一船団は小豆島の西側を回り讃岐を目指し、小豆島の土庄の入り江の奥が見え、屋島がはっきりと見えた時、女木島との間に一団の船影が浮かんだ、弾は水夫頭に、

「カゴメ紋の幡を揚げよ」

 と命じた。船団が近付くと、相手船団にもカゴメ紋の幡が掲げられていた。弾は接近命じ、

「我らは秦王国の合同船団でござる。我は第一船団の指揮を執りまする、平群の長の弾でござる。これから、周防の柳井水道に集結いたしまする」

 相手船団から、

「我は猿田彦様の末裔で讃岐の寒川の長を務めております。我等、周防の日代宮に参りとうござる。是非、船団にお加え下され」

「承知した。一緒に参ろう。大王には早舟で知らせまする。寒川の長殿、お願いがござる。讃岐と伊予には兵站部隊を送らずに参った。そちらで兵站の合力をしてくださらんか」

「承知つかまつった。讃岐は直ぐに掛かりまする。今日は高松に船泊下され。されど、伊予は我らの力が及びませぬ」

「そうでござった、伊予の越智氏には東漢から知らせを出しておるが、明日早舟を出して見ましょう」

 弾の第一船団は高松、坂出、多度津と船泊りし、粟島と詫間岬の間を抜け三崎の鼻を回り込み燧灘に入ると数艘の船が見えた。弾は再び水夫頭にカゴメ紋の幡を掲げさせた。

 一艘は弾の出した早舟、残りの二艘は剣と盾を描いたシメオンの幡とカゴメ紋の幡を掲げた越智一族の迎え船であった。弾は声を張り上げ、

「我等は秦王国の連合船団でござる。我は第一船団の指揮を執ります、平群の長の弾でござる」

「お迎えに参りました。我は大国様の委奴国の民で海人族の裔、伊予の越智一族の河野郷の長でござる。筑紫奪還は我等にも悲願、是非にも加わりとうござる」

「大王様に早舟を出し、早速に知らせましょう」

「忝い、今日は遠く南に見えまする新居庄の津に走って下され。弾殿、我等と漕ぎ比べをなさらんか」

「お誘いとあれば、お請けいたす」

「日出処の天子」13

 飛鳥に三年の春秋が過ぎ、礼尾は比呂仁和の殯を終え、完成した島の庄の南の陵墓に比呂仁和の棺を据え亡骸を丁重に葬ります。上円下方墳の壮大な陵であった。

 礼尾は東漢の主だった者を集めた。

「予てよりの宿願、筑紫奪還の準備に入る。先ず旧都でもある周防の柳井水道を目指して軍を進める。皆々、宜しく頼む」

「畏まりました」

 礼尾は続けて、

「次郎、留守の間の総責任者を任ずる」

「畏まりました」

「三郎、別働隊の責任者を任ずる」

「畏まりました」

「太子、瀬戸内隊の副官を任ずる。播磨、備前に先発してくれ」

「畏まりました」

「詳細はこれから詰める。皆にも責任者に就任して貰う故、心して下され」

「畏まりました」

 礼尾は平群の長になっていた、弾に使いを出し、飛鳥の王宮で懇談した。

「弾殿、果音様は元気にしておられるか」

「おうよ、後宮の取締りに就いておる。厳しくて敵わん」

「そうであったか、詩音も同じで我も首根っこを押さえられておるは。所で、来て頂いたのは、お気づきかも知れんが筑紫奪還に掛かりたい」

「腹を括られたか、全面的に協力する」

「宜しくお願いします。先ずは、周防の柳井水道に前進基地を建設したい」

「若き日を思い出すな、血が騒ぐ」

 暫くして、礼尾は豪族会議を招集した。

「急な呼びかけにお集まり下され恐縮でござる。十四代様の遺言であり、秦王国の悲願でもある、筑紫奪還の軍議ご承認を賜り、ご協力の承引願いたく、ご参集頂きました」

 太秦の河勝が、

「筑紫の奪還は我も十四代様から度々聴かされておる。諸手を挙げて賛同いたす。更なる殖産振興の一助となりましょう」

 三輪の長が、

「我らにも筑紫は故郷の地、賛同いたす」

 葛城の長は、

「筑紫の向こうには阿蘇山があり、その向こうには多婆羅国がある。一度は見てみたいものよ。我も賛同いたす」

 粗方の賛同を得て、礼尾は、

「賛同、ありがとうござる。ついては、手勢を率いての太子様または御自らの御参軍をお願いいたす」

 平群の長の弾が、

「我は血が騒ぐ性質ゆえ、我が参軍いたす」

 そうして、豪族会議の賛同を得た礼尾は、軍船造り、武具作りの追い込みに掛かると共に、文身国、扶桑国、出雲国に協力を求める使者を派遣した。

 伊勢の伊雑宮には娘を嫁がせる使者を立て、東日流の荒吐五王国にも筑紫奪還の軍事を発する旨の連絡を出した。

 居館に戻った礼尾は、詩音を呼び、

「座右留殿は未だ元気で居られるか」

「いえ、足腰が弱り、私の弟の紫門に代を譲りました」

「そうであったか、それでは紫門殿に王宮に顔を出すように伝えてくれ」

「分かりました、筑紫の話ですね」

「そうじゃ」

「夜陰に伺わせます」

「そうしてくれ」

「日出処の天子」12

 飛鳥に春が訪れ、比呂仁和の王宮敷島宮が建てられ、学校も整い、豪族の子弟が集めら、ヘレニズムに止まらず、ありとあらゆる勉学が進められた。アレキサンダー大王の戦術、ギリシャ文化、神話、哲学。シュメールの天文学。フェニキアの航海術。ヒッタイトの製鉄技術。インドの造船技術。ペルシャ文化、医療。高句麗の土木技術。バンチェンの灌漑農業。ヘブライの養蚕、製糸、染織、機織り等々。豪族の子弟の中には紀氏、吉備氏等の地方豪族も含まれていた。中でも紀氏は熱心であった。

 ある日、礼尾たちがシメオン族の修史官から秦帝国の興亡を教わっていた。

「わが祖、バクトリアのディオドトス王はアレキサンダー大王の夢を継ぎ中国に侵攻いたしました。その頃は殷とか周と呼ばれますが、実態はアッシリアの流刑地であり、カルディアなどの植民地でありました。華北にはトルコのヴァン湖から東遷したウラルトゥ族が建てた大扶余があり、華南にはアラビア海の海人カルディア人が作った製鉄基地、菀の徐がありました。その他、鮮卑、匈奴、羯、氐、羌など多数の部族が割拠していました。ディオドトス王はそれらの部族国家を中原から一掃して秦帝国を打ち立て、始皇帝に即位しました」

 礼尾が呟くように、

「ということは、漢王朝の漢民族は影も形も無かった訳だ」

 修史官は、

「そうです、我々ヘブライの民とミャオ族やチュルク族が混血し、新たな部族が興り、秦帝国の崩壊が権力の空白を創出し。そこに、それらの部族が国家を作ったのです。漢民族も漢王朝も我らが作ったことになります」

 礼尾が更に、

「今ある倭人諸国の多くはその時、辺境に追いやられた支配者達の末裔ということか」

 修史官は、

「そうです、華北の大扶余は満州に移り北扶余を建て、河南の菀の徐も遼河の東へ移動し徐珂殷を建国しました。殷、周の地は倭人諸国の集合体とも言えます」

 それから、飛鳥の地に十五を数える春秋が訪れました。東漢氏の比呂仁和が王に就いた秦王国は織物業や巨大土木事業、新田開発などにより大きく発展し、東日流の荒吐五王国などとも友好関係を結び、ヘレニズム文化の導入、国造制を施行する律令国家としても成長しました。しかしながら、比呂仁和の王宮は深い憂いに包まれます。

 礼尾の寝所に家令が駆け込み、

「比呂仁和様が、お倒れになりました。至急、大王様の寝所にお越しください」

「直ぐに参る」

 礼尾は直ちに身支度をし、父親の寝所に走った。

 比呂仁和は寝台に横たえられ意識は混濁状態にあった。

「父上、礼尾です。礼尾です」

 比呂仁和は薄っすらと目を開き、

「カゴメの歌が聞こえるのう。太子、跡継ぎは生まれたか」

「生まれております。上は十五になり、三人とも大きくなりました」

「そうであったな、もう安心じゃ。筑紫の奪還は頼んだぞ」

「父上、次郎と三郎も参りました」

「父上。次郎です」

「父上。三郎です」

「次郎も、三郎も頼むぞ」

 比呂仁和は安心した様に目を閉じた。

 医師が脈を取り、首を横に振り、

「崩御されました」

 飛鳥の広大な館の群れに悲しみの波が拡がり、すすり泣く者、号泣する者、涙が溢れ飛鳥川の水嵩が増し、せせらぎの音が悲しみに唱和する様に聞こえていた。

 直ちに殯の準備が始められ、礼尾は東漢氏の中で族長に推され、五十日忌に招集された豪族会議で大王位に推挙された。

 百日忌が近づく頃、石工頭が礼尾に拝謁し、

「比呂仁和様の陵墓の適地を見定めましたので、ご検分戴きたく存じます」

「おう、見付かったか、どこじゃ」

「飛鳥川の上流で冬野側と稲渕川が合流する島の庄の南の地点でございます」

「直ぐに見よう、案内致せ」

 島の庄の南、飛鳥川の上流二川が合流する地点近くの小高い地に立った礼尾は、

「良き所じゃ、東漢の総力を挙げて陵墓を作ろうぞ、絵図面を早々に起こしてくれ」

「畏まりました」

「日出処の天子」11

 平成二十三年十二月、上雉大学古代史サークルのメンバーは忘年会を兼ねて部室の上階にあるサンドイッチ店に集まっていた。

 西園寺が学園祭を振り返って、

「大和の秦王国を取り上げたけど、同時代に九州に存在した倭国の状況を説明しないと片手落ちだったかな」

 島津が、

「そうだな、秦帝国が崩壊して漂流したシメオン族が千年王朝の東表国から吉野ヶ里の割譲を受けて、委奴国を建国し大国主命を王に推戴し力を蓄え、ガド族猿田彦の伊勢国を駆逐した後、東扶余ウガヤ王朝の磐余彦が遼東の公孫氏と手を結び北九州に侵攻し、委奴国を打ち破り伊都国を建国した、後日談だな」

 ロングスカートの中の長い足を組み替えた美佳が、

「それも、調べていたわよ。後の記紀で磐余彦神武と呼ばれた、扶余王罽須が北九州侵攻に先立ち、遼東の公孫氏の大物主の宗女卑弥呼の妹のアヒラ姫を娶り、事代主の公孫康が罽須の妹の武熾姫を娶りクロス対婚関係を結び同盟したのよ」

 チェックのプリーツスカートを穿いた香苗がスラリと伸びた足を揃えたまま続けた、

「神武に嫁いだアヒラ姫が亡くなり、姉の卑弥呼が後妻に入り、公孫康の日向の安羅国と神武の築いた伊都国を行きし、神武は一大率として伊都国と伯済国と東扶余などの倭人諸国を監察する多忙な中、AD二百三十四年崩御し、一大率の地位を巡って再び倭の大乱が起こりますが、伊都国、多羅婆国、安羅国及び東表国の諸王が図って倭人連合の邪馬壱国を建国し、神武妃の卑弥呼を大王に推戴したわ」

 ポニーテールの栗色の髪を胸前から跳ね上げた美佳は、

「邪馬壱国の女王に即位した卑弥呼は神武と先妻アヒラ姫との間の王子タギシミミを伯済国から呼び寄せ夫婿とし、都を安羅国の首都西都原に定め君臨したのよ」

 長袖のカーディガンで手の甲を隠したまま手を叩いた麗華が、

「それが、魏志倭人伝の男弟ありの記述なんだ」

 美佳が続けて、

「邪馬壱国と狗奴国との戦いが続く最中、卑弥呼はAD二百四十八年崩御し、イカッサル族の手によって西都原に大きな円墳の冢が作られ丁重に葬られます。直ちに、卑弥呼の宗女壱与が即位し、狗奴国の圧迫を避けるため対馬に渡り倭人諸国の祭祀センター任那を立ち上げます。そして、神武の次男で東扶余王の綏靖に嫁ぎ安寧を産み倭大王に即位したのよ」

 西園寺が左腕のブルガリに目を遣り、

「またまた、長くなりそう。サンドイッチ食べようや。俺、ローストビーフ」

 島津も左腕を伸ばしコムルの時計を見ながら、

「俺、チーズローストチキン」

 美佳が右腕のペキネに触れ、

「坂上君、頼んであるんでしょ」

「ええ、パーティーコースを頼んであります」

 美佳が、

「もう少しだから続けるわよ、安寧の次の懿徳の時、鮮卑族の慕容瘣が東扶余を侵し懿徳を自殺に追い込み、その子崇神が倭国に亡命、苦難の末、エビス王家の開化を娶り倭大王に即位するのよ」

 香苗が続け、

「崇神の後の応神の娘、仁徳が金官加羅の吹希王に嫁ぎ倭王に即位し、そのファミリーは東洋のブルボン王家と評されます。倭王、百済王、加羅王を独占し、倭の五王時代を迎えたわ。だけど、新羅と安羅の策略で金官加羅が滅び卑弥呼を出した安羅王家から倭王を再び出すようになったのよ、それが大友談、金村、歌の三代で日本書紀では継体、安閑、宣化と書かれているわよ」

 美佳が補足して、

「この事態は安羅の失政と言われ、金官加羅の滅亡により勢力バランスが崩れ安羅の倭国は後に半島の権益全てを新興国の新羅に奪われ、半島を撤退したわ」

「日出処の天子」10

 斑鳩や飛鳥の水田が黄金色に耀き、畦道に曼殊沙華が咲く頃、第十四代の大国主命が六十六歳で崩御し直ちに、殯宮を三輪山麓に設ける準備と共に東漢の手で纏向に厳戒態勢が布かれる中、有力豪族に招集が掛けられた。

 五十日忌に参集した豪族たちは纏向の王宮で豪族会議を開いた。大和にも根拠地を持つ土師氏の長が開示の挨拶に続き、

「第十四代の大国様から生前に大王位は東漢の長、比呂仁和に譲ると内々に告げられ申した。皆々様のご存念を賜りたい」

 秦河勝が最初に声を挙げ、

「本来であれば、先代様のご次男の文身国の王や、三男の扶桑国の王が候補と考えますが、何分にも遠国であり、夫々の国を開いて日が浅く当主が不在となると政に支障が出て国が乱れれる恐れがあると存じまする」

 続いて、三輪の長が、

「最近、大和盆地の百姓達は東漢の何くれない手伝いを喜んでいると聴いておる」

 葛城の長は、

「各地の土木工事や陵墓造りに多数の東漢が働いている。先日は東漢の太子と石工頭が挨拶に来て、二上山の石材切り出しを願うてきた。十四代様の陵墓造りも視野に入れているそうじゃ」

 和爾の長からは、

「纏向や斑鳩は杖刀の兵が整然と警備しており、兵が溢れておる。軍事力は突出しており、平群に進出したダン族と併せれば兵の数は十万を越えよう、単独では太刀打ちできる豪族は居るまい」

 蘇我氏の長は、

「我は東漢と根拠地を接しておりますが、日の出の勢いを感じまするし、統率力も良く取れております。東漢の長が大王位を継承するのが穏当と考えまする」

 土師氏の長が纏めるように、

「概ね皆様の存念は東漢の長の大王位継承に賛同の由と承った。豪族会議は東漢の長の比呂仁和を大王位に推挙することに決しまする」

 飛鳥に戻った比呂仁和は再び一族の主だった者を集めた。

「本日、豪族会議で大王位に推挙された。皆々一層、心を引き締めて、ことに当たろうぞ。十四代様から、唯一の引き継ぎである、筑紫の地の奪還に向けて、殖産振興、富国強兵に邁進する」

「畏まりました」

「石工頭、十四代様の陵墓の絵図面は進んでおるか」

「一両日中は出来上がりまする」

「そうか、出来上がったら姫様達にお見せしよう。太子は残ってくれ」

 残った太子に比呂仁和は、

「筑紫奪還の手順の始めは瀬戸内通行の安全確保じゃが、二代様が東遷の折、瀬戸内各地の猿田彦の集落を潰しておるが、まだまだ残存勢力が残って居ろう。伊勢の猿田彦一族との融和が是非にも必要じゃで、止与姫を嫁がせたい。ついては太子、伊雑宮に使者に立ってくれ。先ずは、大王位継承の挨拶と即位式を執り行う為の大鏡造りの依頼じゃ、事が進めば止与姫の輿入れを打診して来てくれ」

「承知いたしました。伊勢行に座右留を伴いまするが宜しいでしょうか」

「よかろう」

「一つ、お願いがあります。座右留の娘、詩音を嬪に迎えますことお許し下さい」

「そう来たか、良かろう。好きにいたせ」

「ありがとうございます」

「しかし、正妃の文身国の姫を大事にいたせ、早う跡継ぎの顔を見たい」

「わかりました。早速に伊勢入りの準備に掛かります」

「日出処の天子」9

 平成二十三年七月、上雉大学紀尾井町キャンパスは期末試験を終えた古代史サークルのメンバーが三々五々部室に集合していた。

 三笠宮に似て鷲鼻の西園寺が、

「島津、何処かオムライスの美味しい店を知らないか」

「西園寺が驕ってくれるのか」

「公爵様に恐れ多い」

「お前も公爵家だろ」

 三つ編みの黒髪を躍らせて、香苗が部室に入り、

「二人で何の話、秦王国の歴史、調べてきたわよ。アレキサンダーの東征から語らないとダメね」

 栗色のポニーテールを靡かせて美佳も部室に入り、

「私もシメオン族のこと調べたわよ。ガド族とセットで説明しないといけないわね」

 新入部員の坂上大二郎と黒木麗華が口を揃えて、

「チンプンカンプンです。詳しく聞かせてください」

 香苗と美佳が語り始めた。

「マケドニアのアレクサンダー大王は怒涛の東征から帰還し、BC323年、ペルシャの古都、バビロンで病没します」

「東征に従事していたシメオン族の中から総督の地位に就いていた、ディオドトスがBC256年、現在のアフガニスタンの北部にバクトリア王国・大秦国を建国します」

「ディオドトスはアレキサンダー大王の野望を継ぎ、BC246年、中国に侵攻し、BC221年、秦帝国を建国し始皇帝を名乗ります」

「始皇帝は出自を粉飾するため偽史を編ませます。歴史を熟知する孔子や孟子のガド族はシメオン族と敵対関係に入り、BC213年、焚書坑儒の対象となります。ガド族はユダヤ北朝系から、南朝系に衣替えし遼東半島経由で朝鮮半島東岸に逃亡します」

「始皇帝が崩御し、BC210年、秦帝国は崩壊に向かい、シメオン族の遺民は遼東半島に向かいます」

「ガド族は対馬経由で博多に渡来し、BC86年、伊勢国を建国します。猿田彦一世は初代王に即位し、吉武高木に王宮を造り、ヘレニズム文化を列島に持ち込み、銅鏡、銅鐸、銅剣などを作り祭祀を執り行います」

「シメオン族は、筑紫の東表国から、BC74年、吉野ヶ里の地の割譲を受け、渡来し委奴国を建国、大国主命を初代王に推戴します」

「国力を充実させたシメオン族の委奴国は、AD163年、博多の猿田彦の王宮を急襲し太陽神殿と超大型青銅鏡などを悉く破壊し伊勢国を滅ぼし、大国主命の委奴国は博多に遷都します。敗れたガド族達は日本海と瀬戸内の二手に分かれて東遷し、先着していた同族を頼り、一隊は素戔嗚尊が建国した出雲王朝に合流し、一隊は大和に入り東鯷国を建国します」

「東扶余の磐余彦命がAD210年、北倭軍を率い、遼東の公孫氏の大物主命と連携し委奴国を挟撃します。委奴国の人々は三年間、勇敢に戦いますが、AD213年、大国主命が流れ矢に当り戦死し、戦意を喪失した委奴国の人々は二手に分かれて東遷します。一隊は土師氏が率い日本海を東に走り、素戔嗚尊とガド族の出雲王朝を侵略します。本隊は大国主命の長男が率い瀬戸内を東遷、各地のガド族のコロニーを殲滅しながら、二十年掛けて茅渟の海から河内湾に入り、摂津の日下から猿田彦の東鯷国を攻めますが、撃退され熊野廻りで再び侵攻し東鯷国を滅ぼし、大和の地に秦王国を建国します」

 西園寺がげんなりとして、

「長いよ、腹ペコだよ、昼飯にしようや」

 島津が嬉しそうに、

「四ツ谷駅の向こうにオムライスの美味い店があります。西園寺公爵の奢りで行きますか」

 北門を出た、古代史サークルのメンバーは新宿通りの信号を渡り、四ツ谷駅を右手に、外堀通りを渡り洋食店に入りオムライスを注文した。

 ガド族津守氏の裔と謂われる香苗が料理の出来るまでの間も惜しそうに喋り始めた。

「ガド族とシメオン族と扶余族の争いは、様々な国宝を私達に残してくれたのよ」

 大二郎と麗華が、また口を揃えて、

「どういうことですか」

「博多の吉武高木と平原遺跡からガド族の祭祀道具をシメオン族が徹底破砕した時の、超大型青銅鏡など、多数が発掘され博物館に飾られ国宝に指定されたは」

 シバの女王の血を引く卑弥呼を彷彿させる神秘的な雰囲気の美佳も、

「出雲では荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡からシメオン族の侵略を察知した、ガド族の人々が埋伏した銅鐸、銅剣などが大量に発掘され、博物館に収蔵され国宝に指定されたのよ」

 続けて、香苗が、

「博多の志賀島からは扶余族の侵攻で、シメオン族の大国主命が戦死し戦意を喪失した土師氏達が船に乗って慌てて出雲へ向かうとき、大国主命が後漢の光武帝から贈られた漢委奴国王の金印を紛失したものが江戸時代に発見され、現在は博物館に保管展示され、国宝に指定されてるは。残念ながら、どの国宝も誰がなぜ残したかは、必ずしも明確に示されていないのよ」

 西園寺が、

「明確にされてないと言えば、福島第二の事故経緯が明確にならんな」

 そこにオムライスが運ばれ会話が途切れた。