「日出処の天子」13

 飛鳥に三年の春秋が過ぎ、礼尾は比呂仁和の殯を終え、完成した島の庄の南の陵墓に比呂仁和の棺を据え亡骸を丁重に葬ります。上円下方墳の壮大な陵であった。

 礼尾は東漢の主だった者を集めた。

「予てよりの宿願、筑紫奪還の準備に入る。先ず旧都でもある周防の柳井水道を目指して軍を進める。皆々、宜しく頼む」

「畏まりました」

 礼尾は続けて、

「次郎、留守の間の総責任者を任ずる」

「畏まりました」

「三郎、別働隊の責任者を任ずる」

「畏まりました」

「太子、瀬戸内隊の副官を任ずる。播磨、備前に先発してくれ」

「畏まりました」

「詳細はこれから詰める。皆にも責任者に就任して貰う故、心して下され」

「畏まりました」

 礼尾は平群の長になっていた、弾に使いを出し、飛鳥の王宮で懇談した。

「弾殿、果音様は元気にしておられるか」

「おうよ、後宮の取締りに就いておる。厳しくて敵わん」

「そうであったか、詩音も同じで我も首根っこを押さえられておるは。所で、来て頂いたのは、お気づきかも知れんが筑紫奪還に掛かりたい」

「腹を括られたか、全面的に協力する」

「宜しくお願いします。先ずは、周防の柳井水道に前進基地を建設したい」

「若き日を思い出すな、血が騒ぐ」

 暫くして、礼尾は豪族会議を招集した。

「急な呼びかけにお集まり下され恐縮でござる。十四代様の遺言であり、秦王国の悲願でもある、筑紫奪還の軍議ご承認を賜り、ご協力の承引願いたく、ご参集頂きました」

 太秦の河勝が、

「筑紫の奪還は我も十四代様から度々聴かされておる。諸手を挙げて賛同いたす。更なる殖産振興の一助となりましょう」

 三輪の長が、

「我らにも筑紫は故郷の地、賛同いたす」

 葛城の長は、

「筑紫の向こうには阿蘇山があり、その向こうには多婆羅国がある。一度は見てみたいものよ。我も賛同いたす」

 粗方の賛同を得て、礼尾は、

「賛同、ありがとうござる。ついては、手勢を率いての太子様または御自らの御参軍をお願いいたす」

 平群の長の弾が、

「我は血が騒ぐ性質ゆえ、我が参軍いたす」

 そうして、豪族会議の賛同を得た礼尾は、軍船造り、武具作りの追い込みに掛かると共に、文身国、扶桑国、出雲国に協力を求める使者を派遣した。

 伊勢の伊雑宮には娘を嫁がせる使者を立て、東日流の荒吐五王国にも筑紫奪還の軍事を発する旨の連絡を出した。

 居館に戻った礼尾は、詩音を呼び、

「座右留殿は未だ元気で居られるか」

「いえ、足腰が弱り、私の弟の紫門に代を譲りました」

「そうであったか、それでは紫門殿に王宮に顔を出すように伝えてくれ」

「分かりました、筑紫の話ですね」

「そうじゃ」

「夜陰に伺わせます」

「そうしてくれ」

「日出処の天子」12

 飛鳥に春が訪れ、比呂仁和の王宮敷島宮が建てられ、学校も整い、豪族の子弟が集めら、ヘレニズムに止まらず、ありとあらゆる勉学が進められた。アレキサンダー大王の戦術、ギリシャ文化、神話、哲学。シュメールの天文学。フェニキアの航海術。ヒッタイトの製鉄技術。インドの造船技術。ペルシャ文化、医療。高句麗の土木技術。バンチェンの灌漑農業。ヘブライの養蚕、製糸、染織、機織り等々。豪族の子弟の中には紀氏、吉備氏等の地方豪族も含まれていた。中でも紀氏は熱心であった。

 ある日、礼尾たちがシメオン族の修史官から秦帝国の興亡を教わっていた。

「わが祖、バクトリアのディオドトス王はアレキサンダー大王の夢を継ぎ中国に侵攻いたしました。その頃は殷とか周と呼ばれますが、実態はアッシリアの流刑地であり、カルディアなどの植民地でありました。華北にはトルコのヴァン湖から東遷したウラルトゥ族が建てた大扶余があり、華南にはアラビア海の海人カルディア人が作った製鉄基地、菀の徐がありました。その他、鮮卑、匈奴、羯、氐、羌など多数の部族が割拠していました。ディオドトス王はそれらの部族国家を中原から一掃して秦帝国を打ち立て、始皇帝に即位しました」

 礼尾が呟くように、

「ということは、漢王朝の漢民族は影も形も無かった訳だ」

 修史官は、

「そうです、我々ヘブライの民とミャオ族やチュルク族が混血し、新たな部族が興り、秦帝国の崩壊が権力の空白を創出し。そこに、それらの部族が国家を作ったのです。漢民族も漢王朝も我らが作ったことになります」

 礼尾が更に、

「今ある倭人諸国の多くはその時、辺境に追いやられた支配者達の末裔ということか」

 修史官は、

「そうです、華北の大扶余は満州に移り北扶余を建て、河南の菀の徐も遼河の東へ移動し徐珂殷を建国しました。殷、周の地は倭人諸国の集合体とも言えます」

 それから、飛鳥の地に十五を数える春秋が訪れました。東漢氏の比呂仁和が王に就いた秦王国は織物業や巨大土木事業、新田開発などにより大きく発展し、東日流の荒吐五王国などとも友好関係を結び、ヘレニズム文化の導入、国造制を施行する律令国家としても成長しました。しかしながら、比呂仁和の王宮は深い憂いに包まれます。

 礼尾の寝所に家令が駆け込み、

「比呂仁和様が、お倒れになりました。至急、大王様の寝所にお越しください」

「直ぐに参る」

 礼尾は直ちに身支度をし、父親の寝所に走った。

 比呂仁和は寝台に横たえられ意識は混濁状態にあった。

「父上、礼尾です。礼尾です」

 比呂仁和は薄っすらと目を開き、

「カゴメの歌が聞こえるのう。太子、跡継ぎは生まれたか」

「生まれております。上は十五になり、三人とも大きくなりました」

「そうであったな、もう安心じゃ。筑紫の奪還は頼んだぞ」

「父上、次郎と三郎も参りました」

「父上。次郎です」

「父上。三郎です」

「次郎も、三郎も頼むぞ」

 比呂仁和は安心した様に目を閉じた。

 医師が脈を取り、首を横に振り、

「崩御されました」

 飛鳥の広大な館の群れに悲しみの波が拡がり、すすり泣く者、号泣する者、涙が溢れ飛鳥川の水嵩が増し、せせらぎの音が悲しみに唱和する様に聞こえていた。

 直ちに殯の準備が始められ、礼尾は東漢氏の中で族長に推され、五十日忌に招集された豪族会議で大王位に推挙された。

 百日忌が近づく頃、石工頭が礼尾に拝謁し、

「比呂仁和様の陵墓の適地を見定めましたので、ご検分戴きたく存じます」

「おう、見付かったか、どこじゃ」

「飛鳥川の上流で冬野側と稲渕川が合流する島の庄の南の地点でございます」

「直ぐに見よう、案内致せ」

 島の庄の南、飛鳥川の上流二川が合流する地点近くの小高い地に立った礼尾は、

「良き所じゃ、東漢の総力を挙げて陵墓を作ろうぞ、絵図面を早々に起こしてくれ」

「畏まりました」

「日出処の天子」11

 平成二十三年十二月、上雉大学古代史サークルのメンバーは忘年会を兼ねて部室の上階にあるサンドイッチ店に集まっていた。

 西園寺が学園祭を振り返って、

「大和の秦王国を取り上げたけど、同時代に九州に存在した倭国の状況を説明しないと片手落ちだったかな」

 島津が、

「そうだな、秦帝国が崩壊して漂流したシメオン族が千年王朝の東表国から吉野ヶ里の割譲を受けて、委奴国を建国し大国主命を王に推戴し力を蓄え、ガド族猿田彦の伊勢国を駆逐した後、東扶余ウガヤ王朝の磐余彦が遼東の公孫氏と手を結び北九州に侵攻し、委奴国を打ち破り伊都国を建国した、後日談だな」

 ロングスカートの中の長い足を組み替えた美佳が、

「それも、調べていたわよ。後の記紀で磐余彦神武と呼ばれた、扶余王罽須が北九州侵攻に先立ち、遼東の公孫氏の大物主の宗女卑弥呼の妹のアヒラ姫を娶り、事代主の公孫康が罽須の妹の武熾姫を娶りクロス対婚関係を結び同盟したのよ」

 チェックのプリーツスカートを穿いた香苗がスラリと伸びた足を揃えたまま続けた、

「神武に嫁いだアヒラ姫が亡くなり、姉の卑弥呼が後妻に入り、公孫康の日向の安羅国と神武の築いた伊都国を行きし、神武は一大率として伊都国と伯済国と東扶余などの倭人諸国を監察する多忙な中、AD二百三十四年崩御し、一大率の地位を巡って再び倭の大乱が起こりますが、伊都国、多羅婆国、安羅国及び東表国の諸王が図って倭人連合の邪馬壱国を建国し、神武妃の卑弥呼を大王に推戴したわ」

 ポニーテールの栗色の髪を胸前から跳ね上げた美佳は、

「邪馬壱国の女王に即位した卑弥呼は神武と先妻アヒラ姫との間の王子タギシミミを伯済国から呼び寄せ夫婿とし、都を安羅国の首都西都原に定め君臨したのよ」

 長袖のカーディガンで手の甲を隠したまま手を叩いた麗華が、

「それが、魏志倭人伝の男弟ありの記述なんだ」

 美佳が続けて、

「邪馬壱国と狗奴国との戦いが続く最中、卑弥呼はAD二百四十八年崩御し、イカッサル族の手によって西都原に大きな円墳の冢が作られ丁重に葬られます。直ちに、卑弥呼の宗女壱与が即位し、狗奴国の圧迫を避けるため対馬に渡り倭人諸国の祭祀センター任那を立ち上げます。そして、神武の次男で東扶余王の綏靖に嫁ぎ安寧を産み倭大王に即位したのよ」

 西園寺が左腕のブルガリに目を遣り、

「またまた、長くなりそう。サンドイッチ食べようや。俺、ローストビーフ」

 島津も左腕を伸ばしコムルの時計を見ながら、

「俺、チーズローストチキン」

 美佳が右腕のペキネに触れ、

「坂上君、頼んであるんでしょ」

「ええ、パーティーコースを頼んであります」

 美佳が、

「もう少しだから続けるわよ、安寧の次の懿徳の時、鮮卑族の慕容瘣が東扶余を侵し懿徳を自殺に追い込み、その子崇神が倭国に亡命、苦難の末、エビス王家の開化を娶り倭大王に即位するのよ」

 香苗が続け、

「崇神の後の応神の娘、仁徳が金官加羅の吹希王に嫁ぎ倭王に即位し、そのファミリーは東洋のブルボン王家と評されます。倭王、百済王、加羅王を独占し、倭の五王時代を迎えたわ。だけど、新羅と安羅の策略で金官加羅が滅び卑弥呼を出した安羅王家から倭王を再び出すようになったのよ、それが大友談、金村、歌の三代で日本書紀では継体、安閑、宣化と書かれているわよ」

 美佳が補足して、

「この事態は安羅の失政と言われ、金官加羅の滅亡により勢力バランスが崩れ安羅の倭国は後に半島の権益全てを新興国の新羅に奪われ、半島を撤退したわ」

「日出処の天子」10

 斑鳩や飛鳥の水田が黄金色に耀き、畦道に曼殊沙華が咲く頃、第十四代の大国主命が六十六歳で崩御し直ちに、殯宮を三輪山麓に設ける準備と共に東漢の手で纏向に厳戒態勢が布かれる中、有力豪族に招集が掛けられた。

 五十日忌に参集した豪族たちは纏向の王宮で豪族会議を開いた。大和にも根拠地を持つ土師氏の長が開示の挨拶に続き、

「第十四代の大国様から生前に大王位は東漢の長、比呂仁和に譲ると内々に告げられ申した。皆々様のご存念を賜りたい」

 秦河勝が最初に声を挙げ、

「本来であれば、先代様のご次男の文身国の王や、三男の扶桑国の王が候補と考えますが、何分にも遠国であり、夫々の国を開いて日が浅く当主が不在となると政に支障が出て国が乱れれる恐れがあると存じまする」

 続いて、三輪の長が、

「最近、大和盆地の百姓達は東漢の何くれない手伝いを喜んでいると聴いておる」

 葛城の長は、

「各地の土木工事や陵墓造りに多数の東漢が働いている。先日は東漢の太子と石工頭が挨拶に来て、二上山の石材切り出しを願うてきた。十四代様の陵墓造りも視野に入れているそうじゃ」

 和爾の長からは、

「纏向や斑鳩は杖刀の兵が整然と警備しており、兵が溢れておる。軍事力は突出しており、平群に進出したダン族と併せれば兵の数は十万を越えよう、単独では太刀打ちできる豪族は居るまい」

 蘇我氏の長は、

「我は東漢と根拠地を接しておりますが、日の出の勢いを感じまするし、統率力も良く取れております。東漢の長が大王位を継承するのが穏当と考えまする」

 土師氏の長が纏めるように、

「概ね皆様の存念は東漢の長の大王位継承に賛同の由と承った。豪族会議は東漢の長の比呂仁和を大王位に推挙することに決しまする」

 飛鳥に戻った比呂仁和は再び一族の主だった者を集めた。

「本日、豪族会議で大王位に推挙された。皆々一層、心を引き締めて、ことに当たろうぞ。十四代様から、唯一の引き継ぎである、筑紫の地の奪還に向けて、殖産振興、富国強兵に邁進する」

「畏まりました」

「石工頭、十四代様の陵墓の絵図面は進んでおるか」

「一両日中は出来上がりまする」

「そうか、出来上がったら姫様達にお見せしよう。太子は残ってくれ」

 残った太子に比呂仁和は、

「筑紫奪還の手順の始めは瀬戸内通行の安全確保じゃが、二代様が東遷の折、瀬戸内各地の猿田彦の集落を潰しておるが、まだまだ残存勢力が残って居ろう。伊勢の猿田彦一族との融和が是非にも必要じゃで、止与姫を嫁がせたい。ついては太子、伊雑宮に使者に立ってくれ。先ずは、大王位継承の挨拶と即位式を執り行う為の大鏡造りの依頼じゃ、事が進めば止与姫の輿入れを打診して来てくれ」

「承知いたしました。伊勢行に座右留を伴いまするが宜しいでしょうか」

「よかろう」

「一つ、お願いがあります。座右留の娘、詩音を嬪に迎えますことお許し下さい」

「そう来たか、良かろう。好きにいたせ」

「ありがとうございます」

「しかし、正妃の文身国の姫を大事にいたせ、早う跡継ぎの顔を見たい」

「わかりました。早速に伊勢入りの準備に掛かります」

「日出処の天子」9

 平成二十三年七月、上雉大学紀尾井町キャンパスは期末試験を終えた古代史サークルのメンバーが三々五々部室に集合していた。

 三笠宮に似て鷲鼻の西園寺が、

「島津、何処かオムライスの美味しい店を知らないか」

「西園寺が驕ってくれるのか」

「公爵様に恐れ多い」

「お前も公爵家だろ」

 三つ編みの黒髪を躍らせて、香苗が部室に入り、

「二人で何の話、秦王国の歴史、調べてきたわよ。アレキサンダーの東征から語らないとダメね」

 栗色のポニーテールを靡かせて美佳も部室に入り、

「私もシメオン族のこと調べたわよ。ガド族とセットで説明しないといけないわね」

 新入部員の坂上大二郎と黒木麗華が口を揃えて、

「チンプンカンプンです。詳しく聞かせてください」

 香苗と美佳が語り始めた。

「マケドニアのアレクサンダー大王は怒涛の東征から帰還し、BC323年、ペルシャの古都、バビロンで病没します」

「東征に従事していたシメオン族の中から総督の地位に就いていた、ディオドトスがBC256年、現在のアフガニスタンの北部にバクトリア王国・大秦国を建国します」

「ディオドトスはアレキサンダー大王の野望を継ぎ、BC246年、中国に侵攻し、BC221年、秦帝国を建国し始皇帝を名乗ります」

「始皇帝は出自を粉飾するため偽史を編ませます。歴史を熟知する孔子や孟子のガド族はシメオン族と敵対関係に入り、BC213年、焚書坑儒の対象となります。ガド族はユダヤ北朝系から、南朝系に衣替えし遼東半島経由で朝鮮半島東岸に逃亡します」

「始皇帝が崩御し、BC210年、秦帝国は崩壊に向かい、シメオン族の遺民は遼東半島に向かいます」

「ガド族は対馬経由で博多に渡来し、BC86年、伊勢国を建国します。猿田彦一世は初代王に即位し、吉武高木に王宮を造り、ヘレニズム文化を列島に持ち込み、銅鏡、銅鐸、銅剣などを作り祭祀を執り行います」

「シメオン族は、筑紫の東表国から、BC74年、吉野ヶ里の地の割譲を受け、渡来し委奴国を建国、大国主命を初代王に推戴します」

「国力を充実させたシメオン族の委奴国は、AD163年、博多の猿田彦の王宮を急襲し太陽神殿と超大型青銅鏡などを悉く破壊し伊勢国を滅ぼし、大国主命の委奴国は博多に遷都します。敗れたガド族達は日本海と瀬戸内の二手に分かれて東遷し、先着していた同族を頼り、一隊は素戔嗚尊が建国した出雲王朝に合流し、一隊は大和に入り東鯷国を建国します」

「東扶余の磐余彦命がAD210年、北倭軍を率い、遼東の公孫氏の大物主命と連携し委奴国を挟撃します。委奴国の人々は三年間、勇敢に戦いますが、AD213年、大国主命が流れ矢に当り戦死し、戦意を喪失した委奴国の人々は二手に分かれて東遷します。一隊は土師氏が率い日本海を東に走り、素戔嗚尊とガド族の出雲王朝を侵略します。本隊は大国主命の長男が率い瀬戸内を東遷、各地のガド族のコロニーを殲滅しながら、二十年掛けて茅渟の海から河内湾に入り、摂津の日下から猿田彦の東鯷国を攻めますが、撃退され熊野廻りで再び侵攻し東鯷国を滅ぼし、大和の地に秦王国を建国します」

 西園寺がげんなりとして、

「長いよ、腹ペコだよ、昼飯にしようや」

 島津が嬉しそうに、

「四ツ谷駅の向こうにオムライスの美味い店があります。西園寺公爵の奢りで行きますか」

 北門を出た、古代史サークルのメンバーは新宿通りの信号を渡り、四ツ谷駅を右手に、外堀通りを渡り洋食店に入りオムライスを注文した。

 ガド族津守氏の裔と謂われる香苗が料理の出来るまでの間も惜しそうに喋り始めた。

「ガド族とシメオン族と扶余族の争いは、様々な国宝を私達に残してくれたのよ」

 大二郎と麗華が、また口を揃えて、

「どういうことですか」

「博多の吉武高木と平原遺跡からガド族の祭祀道具をシメオン族が徹底破砕した時の、超大型青銅鏡など、多数が発掘され博物館に飾られ国宝に指定されたは」

 シバの女王の血を引く卑弥呼を彷彿させる神秘的な雰囲気の美佳も、

「出雲では荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡からシメオン族の侵略を察知した、ガド族の人々が埋伏した銅鐸、銅剣などが大量に発掘され、博物館に収蔵され国宝に指定されたのよ」

 続けて、香苗が、

「博多の志賀島からは扶余族の侵攻で、シメオン族の大国主命が戦死し戦意を喪失した土師氏達が船に乗って慌てて出雲へ向かうとき、大国主命が後漢の光武帝から贈られた漢委奴国王の金印を紛失したものが江戸時代に発見され、現在は博物館に保管展示され、国宝に指定されてるは。残念ながら、どの国宝も誰がなぜ残したかは、必ずしも明確に示されていないのよ」

 西園寺が、

「明確にされてないと言えば、福島第二の事故経緯が明確にならんな」

 そこにオムライスが運ばれ会話が途切れた。

「日出処の天子」8

 飛鳥檜隈館に戻った比呂仁和は一族の主だった者を集め、

「本日、大国主様から直々にお声掛けがあり、大王位を継承するすることになった」

「おめでとうございます」

「既に察しておったと思うが、これより恙無き継承に向かって、一族を挙げて万全を尽くそう」

「畏まりました」

「大王様から一つだけ引き継ぎがあり、筑紫の地の奪還を託された」

 礼尾が、

「初代、大国主様が討たれた地ですね」

「それと、シメオンやガドが継承してきたヘレニズムを学べと仰せじゃ」

 三郎が嬉しそうに、

「勉学は任せてください」

「皆で学ぶのじゃ。それと、東日流の荒吐五王国と仲良くせよ仰せじゃった。大二郎、三郎を連れて東日流に行ってくれ。木津川から琵琶湖に入り余呉湖を抜け、敦賀から十三湊に行けば早かろう」

「畏まりました」

「父上、反物を土産にしますか」

「そうしてくれ、立つ前に琵琶湖の水運を握っている和爾氏と息長氏に断りをいれよ。それから、山師も連れよ、帰りは若狭や琵琶湖沿岸の鉄鉱石の産地を探索して下され。太子と次郎と三郎は残ってくれ、皆、宜しく頼みまするぞ」

 三人が残り、

「筑紫の奪還は大事だ、着実に進めようぞ。まず、西への足掛かりに先代の大国主様の次男が拓かれた播磨の文身国の姫との婚姻を進めるが良いか」

「お任せします」

「次郎、当代の大国主様の末の姫との婚儀を進めるが良いか」 

「よろしくお願いします」

「三郎、余呉湖へ行くと天女に巡り逢えるそうだ」

「本当ですか」

「余呉湖には羽衣伝説があるそうじゃ。お前には出雲の土師氏の姫との婚儀を考えているが未だ九歳だそうだ。三年後が良かろう」

「お任せいたします。余呉には薄物の反物を持って参ります」

「言うのう、継承も奪還も容易ではない。親、兄弟、力を併せて邁進しようぞ」

「日出処の天子」7

 大和盆地の水田が緑一色になった頃、梔子や紫陽花が咲き競い、桃の実が鈴生りの、纏向王宮に呼ばれた、東漢の長は大王の寝所に入り叩頭し、

「東漢の長、比呂仁和、まかり越しました。大国様の弥栄を守り導き給えと慎み敬い申し上げます」

 ディオドトスの血を引く大王は鷲鼻、碧眼の高貴な顔に笑みを湛え、

「比呂仁和殿、よう参られた。堅苦しい挨拶は抜きに至そう」

「ありがたき、お言葉、痛み入ります」

「大王位はお主に譲ることにした。娘が三人では政は適わぬ。比呂仁和には息子が五人もおって安心じゃ」

「畏れ多いお言葉、恐懼至極に存じます」

「継承にあたって引き継いで貰いたいことが一つある。我が遠祖はアレキサンダー大王様の東征に従軍し、大王様が亡くなられた後、総督の地位に就かれていたディオドトス様がバクトリアに大秦国を建国し、アレクサンダー大王様の遺志を継ぎ殷の地を征服し秦帝国を築かれた。崩御された後、秦帝国は崩壊しシメオンの遺民が筑紫の東表国から、吉野ヶ里の地を譲り受け、委奴国を建国し大国主様が初代王に推挙された。国力が充実したあと、博多の猿田彦の伊勢国を打ち破り、博多に都を遷して程なく東扶余のウガヤ王家の磐余彦に討たれて亡くなられた。二代様が瀬戸内を東遷し苦難の末、この夜麻苔の地に秦王国を築かれた、二代様から連綿と筑紫の地の奪還を伝えられており、我も何時かはと念じてきたが果たせなかった。比呂仁和もこの二代様の遺志を引き継ぎ筑紫の奪還を目指して欲しい」

「承りました。一層の殖産振興に努め富国強兵に邁進いたします。我の代に果たせ無くとも息子の代には筑紫の地の奪還が図れますますよう、相努めます」

「頼んだぞ、それとのう、シメオンやガドが連綿と引き継いで参ったアレキサンダー大王様のギリシャ文化とペルシャ文化を併せた我らのヘレニズム文化を比呂仁和の息子達にも学ばせてくれ」

「ありがたきお言葉、東漢の一族、挙げて懸命に学ばせまする」

「そうじゃ、初代大国主様が扶余の北倭軍と戦った時、真っ先に戦いの矢面に立ってくれたのが東表国と同じ南倭で、琉球の狗奴国の長髄彦王だ、今はその末裔が東日流に荒吐五王国を築いておる故、誼を繋げて仲良うしなされ」

「早速に十三湊に使者を出しまする」

「最後に、一つ頼みがある。殯宮は三輪山麓に設けて下され。それから陵墓は纏向の南に築き、娘達が嫁がずに崩じた時は合葬できるようにして下され」

「比呂仁和、間違いなく御意に添いまする。比呂仁和にも一つお願いがございます。末の姫様を我の子の次郎の正妃に頂きたくお願い申し上げまする」

「そうか、末の姫をのう、言い聞かせる故、少し待たれよ」

「日出処の天子」6

 大和川との合流地点に差し掛かり船は切り返す様にして大和川を遡上、飛鳥の檜隈に入り、礼尾は父親の館を訪れ太秦と物見の報告を済ませた。

 「礼尾、平群をダン族の根拠地にしてもらおうかの。太秦の河勝が纏向に入るのを抑えられようし、葛城や三輪の牽制にもなろうし、河内からは生駒山を挟んで隣り合っていて容易く進出できよう。斑鳩はお前が掌握する地均しに入れ。それから、王宮警護の人数も増やそう」

 翌日、弾が飛鳥檜隈館を訪れた。

「太秦は活気に溢れております。機織りの工房、どこでも沢山の男や女がテキパキと働いており、市場にも物が溢れ、ごった返しておりました。礼尾たちが太秦を離れて直ぐに館から物見が繰り出されましたので、我ら速やかに撤収いたしました。太秦侮れず見ました」

「お手数を掛けました。礼尾の物見の報告と併せて考えたのじゃが、ダン族の根拠地を早急に平群に移して下さらんか、河内からは生駒山系を越えれば平群じゃ。木津川を上って川勝が纏向の王宮に向かうのを牽制できようし、南隣の葛城や向かいの春日や和爾への睨みにもなろう。礼尾の物見では豪族はおらず、苗族の長だけじゃそうだ。懐柔して進出して下さらんか。お父上には今、手紙を認めますので、お持ち下され」

 平成二十三年五月、上雉大学紀尾井町キャンパスの部活室で古代史サークルのメンバーが、学園祭の発表テーマを話あっていた。ヘブライ語が得意な島津孝明が口火を切り。

「ヘブライ語と日本語の共通点はどうかな、カゴメ歌やヒー、フー、ミーの数詞はヘブライ語で神を賛美する祝詞なんだ」

 シメオン族の末裔と揶揄われる西園寺公義が、

「三笠宮様がヘブライ語に精通されておられうそうだね。それなら、秦王国を取り上げようや、幅広く語れるよ」

 平成の宮子と囃される、津守香苗が、

「秦王国シメオン族の末裔が不比等よ、その血脈が今の日本のエスタブリッシュメント主流なんだから、いくらでも広げられるは」

 卑弥呼の再臨を自称する太田美佳が、

「不比等の隠れ妻の宮子はガド族の娘で息子の聖武天皇をミカドと呼ばせたのよね」

 丸に十の字のTシャツ着た島津は、

「オイオイ、広げすぎだよ。秦王国に絞ろうぜ。次回は秦王国の歴史を持ち寄ろう」

 西園寺が、

「持ち寄るで思い出したけど東日本大震災の支援物資を来週持ち寄ろうぜ」

「日出処の天子」5

礼尾が独り言のように。 「斑鳩の辺りは池がたくさんあるな、その向こうは三輪山か、兵長、この辺りは誰の領地かな」 「あそこで藁を漉き込んでいる立派なお百姓に少し聞いて見ます」  兵長は杖刀を兵に預け、百姓に声を掛けた。 「我は飛鳥の東漢の者だが、この辺りはどなたの領地かな」 「ここは、大国主様の領地じゃ」 「大王様の領地でしたか、ありがとうございます」 「あちらに居られるのは東漢の跡取りかな、姿が良いの」 「挨拶が遅れました。東漢の太子、礼尾でございます」 「今来(いまき)の売り出し中の豪族、東漢の太子なれば、我らの來し方を少し教えて進ぜよう」 「それは、ありがたい。お教えくだされ」 「我らはスメルの裔でござってな、遥かな昔、ソロモンの採鉱船団が豊後水道を北上中、国東半島の重藤海岸で大量の砂鉄を発見し、ヒッタイト人の蘇我がタタラの炉で鉄を作り、エブス人の中臣が、殷に鉄を売り始めたと伝え聞き、メコン上流のヴァンチェンから川を下り、オケオの港からフェニキアの船で苗族達と、有明海から吉野ヶ里や筑紫に入り水耕栽培で稲作を始めたそうじゃ。暫くして、皆で守り神の蛇神を祀るトウビョウ国を建て宇佐八幡を都にして千年王朝と謳われたそうじゃ。そんな折、シメオンの大国主様がトウビョウ国から吉野ヶ里の地を譲られ渡来し、委奴国を作られた」 「初代の大国主様ですね」 「暫くして、満州から東扶余王ケイスのイワレヒコ達が遼東の公孫氏の大物主命と連携して吉野ヶ里を挟み撃ちしよった、委奴国の人々は三年間よく戦ったのじゃが、大国主様が流れ矢に当たり討ち死にされてしまわれた。止むを得ず瀬戸内と日本海の二手に分かれて東遷し、我の先祖は大国様のご長男に付いて参いり、二十年程掛けて瀬戸内を進んで茅渟の海から河内湖に入り猿田彦に一度は撃退されましたが、熊野廻りで猿田彦の東鯷国を打ち破り、この地に二代目の大国主様が秦王国を築かれたそうじゃ」 「我らの祖も筑紫を通り、瀬戸内を進みこの地に入りました。何卒、宜しくお願いします」 「そうじゃのう、こんど、用水路を盛り変える時は、頼もうかの」 「何なりと手伝いまする。陵墓も作りまする」 「まだまだ、死なぬつもりじゃ」 「これは、失礼いたしました。貴重なお話をありがとうございました」  礼尾達は集合地の佐保川に急ぎ向かった。既に、次郎と石工頭は到着して手を振っている。 「兄者、遅いぞ」 「待たして悪かった。物見の聞き込みに手間取った。そっちはどうじゃった」 「春日でも和邇でも、物見に誰何されましたが、東漢を名乗り通過を請うたら、気持ち良く通してくれました」 「それは良かった。どこでも、今来の我らのことを認めてくれてるようじゃ。頭、石切場を見て参った、山を駆け下りたら戦闘態勢を布(し)かれた。よう訓練されていて感心しました。石切場の頭が二上山で良い石が取れそうだと言うておった」 「手が空き次第、二上山に行って見ます。ありがとうございます」  礼尾たちは石材を運搬する船に乗り佐保川を下り、飛鳥を目指した。 「次郎、纏向の王宮には行ったことは」 「父上の使いで参っております」 「末の王女様は見たか」 「抜けるような、色白のお美しい方ですね。兄者は未だ見ておられないのですか」

「日出処の天子」4

礼尾たちは木津川を遡上し、本流が東へ向かう木津付近で支流に入り三笠山が近くに見える場所で下船した。 「今日はここで野営をするぞ。次郎、明日は佐保川で小舟を調達しよう。先に行って捜してくれ」 「太子様、石を運ぶ船を佐保川に係留しております」 「そうか、頭の船があるか、次郎、頭と先行してくれ」 「兄者は何処へ」 「少し、西へ向かって、生駒山麓を南に進み平群の里を探索して見る」 「太子様、生駒を越えると直ぐに石切場があります。ついでに見てきてください。見習いの石工に案内させます故、連れて行ってください」 「分かった、明日は隊を二つに分けて物見の演習を兼ねる。次郎は頭と三笠山麓を探索しながら進んでくれ、斑鳩の東側の佐保川で合流しよう」  夜が白み、三笠山から朝陽が昇り、その向こうに大きく三輪山が望め、天香具山、耳成山、畝傍山の三山が低く見える。纏向の王宮や飛鳥の桧隅を挿み生駒連峰と葛城連峰が連なって朝陽に輝いていた。平群はその手前にある。朝餉を手早く済ませた一行は整列し、礼尾の前にいた。 「演習の物見だが気を緩めずに進んでくれ、次郎お前達は、春日氏や和邇氏の領地を通過する、衝突は避けろ」  礼尾たちは西に向かう木津川の支流に沿って生駒山麓に向かった。菜の花や、杏の花が一面に咲き、山際に、ちらほらと集落が見えていた。 礼尾は一番立派な屋敷を訪い。 「主殿は居られるか」 「我がそうだが、何か用か」 「東漢の太子、礼尾と申します。断りなく、平群の里を通りますこと、お許し下され」 「東漢の後継ぎか、田畑を荒らさずに通られよ」 「かたじけない。主殿は和邇殿の血縁であられるか」 「いや、我は早くからこの地を耕す、苗(みゃお)族の裔でござる。言い伝えでは南の海の遥か向こうのメコンと言う川を下りオケオの港から稲を持って渡って来たそうじゃ」 「そうでしたか、古に入植されたと聞き及びます」 「多くは新来の豪族の庇護の元に入ったがの、苦労はしておる」 「あれに見えるのは、苗代ですか、田植えで、お手が足りない時は、お声掛け下され」 「東漢(やまとのあや)は祭祀が専らと思うていたが」 「陵墓作りも、灌漑用水作りも、何なりとやりまする」  礼尾は暇を告げ、兵を率い、石工見習いの案内で石切場に向かった。生駒山の北麓を上り切ると、石工見習いが、 「太子様、あれが石切場です」  眼下に石工達の立ち働く姿が真下に望めた。礼尾たちは一気に駆け下り近付くと、石切場に緊張が走り、多くの石工や衛兵が杖刀を手に戦闘態勢を取った。慌てた、石工見習いが、 「お待ち下さい。太子様の案内を、お頭に命ぜられました。突然に現れて申し訳ありません」 「東漢の太子の礼尾です。驚かして済まない。宜しく頼みます」  石切場の頭が進み出て。 「よう、お越し下されました。丁度、太秦の先代様の陵墓に使います、石材を切出しておりました」 「そうか、昨日、太秦へ石工頭と同道して河勝殿に状況報告をして参った。百聞は一見にしかずじゃ、案内してくれ」 「大王様のお加減が悪いと、風の噂で聞いておりますが」 「我も伝聞であるが、あと半年程と聞いておる」 「此処も忙しくなりますな、人の手当てを心掛けまする。少し南に二上山がありますが、山師が良い石材が取れそうだと知らせて参りました」 「そうか、次の物見の時に行って見よう」