「日出処の天子」8

 飛鳥檜隈館に戻った比呂仁和は一族の主だった者を集め、

「本日、大国主様から直々にお声掛けがあり、大王位を継承するすることになった」

「おめでとうございます」

「既に察しておったと思うが、これより恙無き継承に向かって、一族を挙げて万全を尽くそう」

「畏まりました」

「大王様から一つだけ引き継ぎがあり、筑紫の地の奪還を託された」

 礼尾が、

「初代、大国主様が討たれた地ですね」

「それと、シメオンやガドが継承してきたヘレニズムを学べと仰せじゃ」

 三郎が嬉しそうに、

「勉学は任せてください」

「皆で学ぶのじゃ。それと、東日流の荒吐五王国と仲良くせよ仰せじゃった。大二郎、三郎を連れて東日流に行ってくれ。木津川から琵琶湖に入り余呉湖を抜け、敦賀から十三湊に行けば早かろう」

「畏まりました」

「父上、反物を土産にしますか」

「そうしてくれ、立つ前に琵琶湖の水運を握っている和爾氏と息長氏に断りをいれよ。それから、山師も連れよ、帰りは若狭や琵琶湖沿岸の鉄鉱石の産地を探索して下され。太子と次郎と三郎は残ってくれ、皆、宜しく頼みまするぞ」

 三人が残り、

「筑紫の奪還は大事だ、着実に進めようぞ。まず、西への足掛かりに先代の大国主様の次男が拓かれた播磨の文身国の姫との婚姻を進めるが良いか」

「お任せします」

「次郎、当代の大国主様の末の姫との婚儀を進めるが良いか」 

「よろしくお願いします」

「三郎、余呉湖へ行くと天女に巡り逢えるそうだ」

「本当ですか」

「余呉湖には羽衣伝説があるそうじゃ。お前には出雲の土師氏の姫との婚儀を考えているが未だ九歳だそうだ。三年後が良かろう」

「お任せいたします。余呉には薄物の反物を持って参ります」

「言うのう、継承も奪還も容易ではない。親、兄弟、力を併せて邁進しようぞ」

「日出処の天子」7

 大和盆地の水田が緑一色になった頃、梔子や紫陽花が咲き競い、桃の実が鈴生りの、纏向王宮に呼ばれた、東漢の長は大王の寝所に入り叩頭し、

「東漢の長、比呂仁和、まかり越しました。大国様の弥栄を守り導き給えと慎み敬い申し上げます」

 ディオドトスの血を引く大王は鷲鼻、碧眼の高貴な顔に笑みを湛え、

「比呂仁和殿、よう参られた。堅苦しい挨拶は抜きに至そう」

「ありがたき、お言葉、痛み入ります」

「大王位はお主に譲ることにした。娘が三人では政は適わぬ。比呂仁和には息子が五人もおって安心じゃ」

「畏れ多いお言葉、恐懼至極に存じます」

「継承にあたって引き継いで貰いたいことが一つある。我が遠祖はアレキサンダー大王様の東征に従軍し、大王様が亡くなられた後、総督の地位に就かれていたディオドトス様がバクトリアに大秦国を建国し、アレクサンダー大王様の遺志を継ぎ殷の地を征服し秦帝国を築かれた。崩御された後、秦帝国は崩壊しシメオンの遺民が筑紫の東表国から、吉野ヶ里の地を譲り受け、委奴国を建国し大国主様が初代王に推挙された。国力が充実したあと、博多の猿田彦の伊勢国を打ち破り、博多に都を遷して程なく東扶余のウガヤ王家の磐余彦に討たれて亡くなられた。二代様が瀬戸内を東遷し苦難の末、この夜麻苔の地に秦王国を築かれた、二代様から連綿と筑紫の地の奪還を伝えられており、我も何時かはと念じてきたが果たせなかった。比呂仁和もこの二代様の遺志を引き継ぎ筑紫の奪還を目指して欲しい」

「承りました。一層の殖産振興に努め富国強兵に邁進いたします。我の代に果たせ無くとも息子の代には筑紫の地の奪還が図れますますよう、相努めます」

「頼んだぞ、それとのう、シメオンやガドが連綿と引き継いで参ったアレキサンダー大王様のギリシャ文化とペルシャ文化を併せた我らのヘレニズム文化を比呂仁和の息子達にも学ばせてくれ」

「ありがたきお言葉、東漢の一族、挙げて懸命に学ばせまする」

「そうじゃ、初代大国主様が扶余の北倭軍と戦った時、真っ先に戦いの矢面に立ってくれたのが東表国と同じ南倭で、琉球の狗奴国の長髄彦王だ、今はその末裔が東日流に荒吐五王国を築いておる故、誼を繋げて仲良うしなされ」

「早速に十三湊に使者を出しまする」

「最後に、一つ頼みがある。殯宮は三輪山麓に設けて下され。それから陵墓は纏向の南に築き、娘達が嫁がずに崩じた時は合葬できるようにして下され」

「比呂仁和、間違いなく御意に添いまする。比呂仁和にも一つお願いがございます。末の姫様を我の子の次郎の正妃に頂きたくお願い申し上げまする」

「そうか、末の姫をのう、言い聞かせる故、少し待たれよ」

「日出処の天子」6

 大和川との合流地点に差し掛かり船は切り返す様にして大和川を遡上、飛鳥の檜隈に入り、礼尾は父親の館を訪れ太秦と物見の報告を済ませた。

 「礼尾、平群をダン族の根拠地にしてもらおうかの。太秦の河勝が纏向に入るのを抑えられようし、葛城や三輪の牽制にもなろうし、河内からは生駒山を挟んで隣り合っていて容易く進出できよう。斑鳩はお前が掌握する地均しに入れ。それから、王宮警護の人数も増やそう」

 翌日、弾が飛鳥檜隈館を訪れた。

「太秦は活気に溢れております。機織りの工房、どこでも沢山の男や女がテキパキと働いており、市場にも物が溢れ、ごった返しておりました。礼尾たちが太秦を離れて直ぐに館から物見が繰り出されましたので、我ら速やかに撤収いたしました。太秦侮れず見ました」

「お手数を掛けました。礼尾の物見の報告と併せて考えたのじゃが、ダン族の根拠地を早急に平群に移して下さらんか、河内からは生駒山系を越えれば平群じゃ。木津川を上って川勝が纏向の王宮に向かうのを牽制できようし、南隣の葛城や向かいの春日や和爾への睨みにもなろう。礼尾の物見では豪族はおらず、苗族の長だけじゃそうだ。懐柔して進出して下さらんか。お父上には今、手紙を認めますので、お持ち下され」

 平成二十三年五月、上雉大学紀尾井町キャンパスの部活室で古代史サークルのメンバーが、学園祭の発表テーマを話あっていた。ヘブライ語が得意な島津孝明が口火を切り。

「ヘブライ語と日本語の共通点はどうかな、カゴメ歌やヒー、フー、ミーの数詞はヘブライ語で神を賛美する祝詞なんだ」

 シメオン族の末裔と揶揄われる西園寺公義が、

「三笠宮様がヘブライ語に精通されておられうそうだね。それなら、秦王国を取り上げようや、幅広く語れるよ」

 平成の宮子と囃される、津守香苗が、

「秦王国シメオン族の末裔が不比等よ、その血脈が今の日本のエスタブリッシュメント主流なんだから、いくらでも広げられるは」

 卑弥呼の再臨を自称する太田美佳が、

「不比等の隠れ妻の宮子はガド族の娘で息子の聖武天皇をミカドと呼ばせたのよね」

 丸に十の字のTシャツ着た島津は、

「オイオイ、広げすぎだよ。秦王国に絞ろうぜ。次回は秦王国の歴史を持ち寄ろう」

 西園寺が、

「持ち寄るで思い出したけど東日本大震災の支援物資を来週持ち寄ろうぜ」

「日出処の天子」5

礼尾が独り言のように。 「斑鳩の辺りは池がたくさんあるな、その向こうは三輪山か、兵長、この辺りは誰の領地かな」 「あそこで藁を漉き込んでいる立派なお百姓に少し聞いて見ます」  兵長は杖刀を兵に預け、百姓に声を掛けた。 「我は飛鳥の東漢の者だが、この辺りはどなたの領地かな」 「ここは、大国主様の領地じゃ」 「大王様の領地でしたか、ありがとうございます」 「あちらに居られるのは東漢の跡取りかな、姿が良いの」 「挨拶が遅れました。東漢の太子、礼尾でございます」 「今来(いまき)の売り出し中の豪族、東漢の太子なれば、我らの來し方を少し教えて進ぜよう」 「それは、ありがたい。お教えくだされ」 「我らはスメルの裔でござってな、遥かな昔、ソロモンの採鉱船団が豊後水道を北上中、国東半島の重藤海岸で大量の砂鉄を発見し、ヒッタイト人の蘇我がタタラの炉で鉄を作り、エブス人の中臣が、殷に鉄を売り始めたと伝え聞き、メコン上流のヴァンチェンから川を下り、オケオの港からフェニキアの船で苗族達と、有明海から吉野ヶ里や筑紫に入り水耕栽培で稲作を始めたそうじゃ。暫くして、皆で守り神の蛇神を祀るトウビョウ国を建て宇佐八幡を都にして千年王朝と謳われたそうじゃ。そんな折、シメオンの大国主様がトウビョウ国から吉野ヶ里の地を譲られ渡来し、委奴国を作られた」 「初代の大国主様ですね」 「暫くして、満州から東扶余王ケイスのイワレヒコ達が遼東の公孫氏の大物主命と連携して吉野ヶ里を挟み撃ちしよった、委奴国の人々は三年間よく戦ったのじゃが、大国主様が流れ矢に当たり討ち死にされてしまわれた。止むを得ず瀬戸内と日本海の二手に分かれて東遷し、我の先祖は大国様のご長男に付いて参いり、二十年程掛けて瀬戸内を進んで茅渟の海から河内湖に入り猿田彦に一度は撃退されましたが、熊野廻りで猿田彦の東鯷国を打ち破り、この地に二代目の大国主様が秦王国を築かれたそうじゃ」 「我らの祖も筑紫を通り、瀬戸内を進みこの地に入りました。何卒、宜しくお願いします」 「そうじゃのう、こんど、用水路を盛り変える時は、頼もうかの」 「何なりと手伝いまする。陵墓も作りまする」 「まだまだ、死なぬつもりじゃ」 「これは、失礼いたしました。貴重なお話をありがとうございました」  礼尾達は集合地の佐保川に急ぎ向かった。既に、次郎と石工頭は到着して手を振っている。 「兄者、遅いぞ」 「待たして悪かった。物見の聞き込みに手間取った。そっちはどうじゃった」 「春日でも和邇でも、物見に誰何されましたが、東漢を名乗り通過を請うたら、気持ち良く通してくれました」 「それは良かった。どこでも、今来の我らのことを認めてくれてるようじゃ。頭、石切場を見て参った、山を駆け下りたら戦闘態勢を布(し)かれた。よう訓練されていて感心しました。石切場の頭が二上山で良い石が取れそうだと言うておった」 「手が空き次第、二上山に行って見ます。ありがとうございます」  礼尾たちは石材を運搬する船に乗り佐保川を下り、飛鳥を目指した。 「次郎、纏向の王宮には行ったことは」 「父上の使いで参っております」 「末の王女様は見たか」 「抜けるような、色白のお美しい方ですね。兄者は未だ見ておられないのですか」

「日出処の天子」4

礼尾たちは木津川を遡上し、本流が東へ向かう木津付近で支流に入り三笠山が近くに見える場所で下船した。 「今日はここで野営をするぞ。次郎、明日は佐保川で小舟を調達しよう。先に行って捜してくれ」 「太子様、石を運ぶ船を佐保川に係留しております」 「そうか、頭の船があるか、次郎、頭と先行してくれ」 「兄者は何処へ」 「少し、西へ向かって、生駒山麓を南に進み平群の里を探索して見る」 「太子様、生駒を越えると直ぐに石切場があります。ついでに見てきてください。見習いの石工に案内させます故、連れて行ってください」 「分かった、明日は隊を二つに分けて物見の演習を兼ねる。次郎は頭と三笠山麓を探索しながら進んでくれ、斑鳩の東側の佐保川で合流しよう」  夜が白み、三笠山から朝陽が昇り、その向こうに大きく三輪山が望め、天香具山、耳成山、畝傍山の三山が低く見える。纏向の王宮や飛鳥の桧隅を挿み生駒連峰と葛城連峰が連なって朝陽に輝いていた。平群はその手前にある。朝餉を手早く済ませた一行は整列し、礼尾の前にいた。 「演習の物見だが気を緩めずに進んでくれ、次郎お前達は、春日氏や和邇氏の領地を通過する、衝突は避けろ」  礼尾たちは西に向かう木津川の支流に沿って生駒山麓に向かった。菜の花や、杏の花が一面に咲き、山際に、ちらほらと集落が見えていた。 礼尾は一番立派な屋敷を訪い。 「主殿は居られるか」 「我がそうだが、何か用か」 「東漢の太子、礼尾と申します。断りなく、平群の里を通りますこと、お許し下され」 「東漢の後継ぎか、田畑を荒らさずに通られよ」 「かたじけない。主殿は和邇殿の血縁であられるか」 「いや、我は早くからこの地を耕す、苗(みゃお)族の裔でござる。言い伝えでは南の海の遥か向こうのメコンと言う川を下りオケオの港から稲を持って渡って来たそうじゃ」 「そうでしたか、古に入植されたと聞き及びます」 「多くは新来の豪族の庇護の元に入ったがの、苦労はしておる」 「あれに見えるのは、苗代ですか、田植えで、お手が足りない時は、お声掛け下され」 「東漢(やまとのあや)は祭祀が専らと思うていたが」 「陵墓作りも、灌漑用水作りも、何なりとやりまする」  礼尾は暇を告げ、兵を率い、石工見習いの案内で石切場に向かった。生駒山の北麓を上り切ると、石工見習いが、 「太子様、あれが石切場です」  眼下に石工達の立ち働く姿が真下に望めた。礼尾たちは一気に駆け下り近付くと、石切場に緊張が走り、多くの石工や衛兵が杖刀を手に戦闘態勢を取った。慌てた、石工見習いが、 「お待ち下さい。太子様の案内を、お頭に命ぜられました。突然に現れて申し訳ありません」 「東漢の太子の礼尾です。驚かして済まない。宜しく頼みます」  石切場の頭が進み出て。 「よう、お越し下されました。丁度、太秦の先代様の陵墓に使います、石材を切出しておりました」 「そうか、昨日、太秦へ石工頭と同道して河勝殿に状況報告をして参った。百聞は一見にしかずじゃ、案内してくれ」 「大王様のお加減が悪いと、風の噂で聞いておりますが」 「我も伝聞であるが、あと半年程と聞いておる」 「此処も忙しくなりますな、人の手当てを心掛けまする。少し南に二上山がありますが、山師が良い石材が取れそうだと知らせて参りました」 「そうか、次の物見の時に行って見よう」

「日出処の天子」3

「カゴメカゴメ、カゴノナカノトリハ、イツイツデアル、ヨアケノバンニツルトカメガスベッタ、ウシロノショウメンダアレ」 寝所で休んでいた、礼尾と弾が童(わらべ)の声に目を覚ました。 「礼尾、昨夜の長殿の話は承けるのか」 「大王様の末娘の話か、気が乗らん」 「詩音が愛しいか」 「何れ嫁取りはせねばならんが、詩音は許されまい」  礼尾と弾が杖刀の兵を率い小船に分乗、大和川に乗り入れ、再び亀の瀬の急流で軍船に乗り換え、西漢の本拠地に向かった。 「弾、新田の干拓は進んでいるか」 「河内湖沿いは順調だが、茅渟の海の干拓が塩抜きで手間取っている」 「大和川の流れを茅渟の海に流すか」 「オイオイ、簡単に言うな」 「東漢の石工達を手伝わせるぞ」 「分かった、考える」 河内の本拠地に到着すると、物見の通報か、ダンの衛兵が整列していた。 「太子、お帰りなさい」 「太秦へ一刻後に出掛ける。手練れの兵を五人ほど集めておいてくれ」 「畏まりました」 「親父は」 「見回りにお出掛けです」 「弾、ケモノの臭いがするな」 「猪を改良した豚を飼育している」 「太秦の手土産に持って行けるか」 「生きたままなら、料理人も連れていくか」  準備が整い大和川を下り、河内湖を抜け淀川を遡上、上流三川が合流する淀浮橋から桂川に入り、太秦に向かった。 「河勝殿は若くして長になられ気苦労が多かろうな、弾、今度、傀儡館に誘うか」 「我らの情報が漏れないか、礼尾」 「弾、太秦へは別々に入ろう」 「礼尾が陽動している間に紛れ込む、豚は運んでくれ」  太秦館の付近は桑の葉を運ぶ者、絹織物を運ぶ者、様々な人々で溢れていた。  衛兵数人が礼尾たちに近付き誰何(すいか)した。 「何処の者か、何しに来た」 「連絡を致しました、東漢の太子の礼尾です。河勝様に、お目通り賜りたい」 「門内の客溜りで、お待ち下され。皆様の杖刀は、ここでお預かりします」 「生きた豚を手土産にお持ちしました、運び込んで宜しいかな」 「家畜小屋の横に運んで下され」  小半刻ほど待たされた後。 「礼尾殿、兵の方はここに残され、客殿にお上がり下さい」  石工(いしく)頭を連れ、礼尾が客殿に昇り趺座すると。 「よう参られた。カゴメカゴメで遊んでおられた時分以来かな」 「我は河勝殿が王宮に昇殿されるのを遠くからお見掛けしております」 「そうであったか、して今日は」 「先代様の陵墓の進捗状況を、連れました石工頭に報告させますと共に、我からは絹織物の話をさせて頂きたく」 「左様か」  報告と提案が終えると河勝は。 「桑の葉の増産もせねばならぬな、扶桑国に手伝わせるか、お請けしましょう」 「早速に、ありがとうございます。今日は豚を持参いたしました故、何処ぞで丸焼きをさせて下さい」  礼尾たちが太秦を辞去した後、河勝が家令を呼んで。 「東漢殿は腹を括られた様だな、豚を運んだのは西漢であろう。我らも兵の増強と鍛錬を怠るでない、物見も増やせ」 「畏まりました」  礼尾は桂川、宇治川、木津川の三川が合流する淀浮橋の近くで弾たちの船を待った。 「弾、早かったな」 「礼尾が帰った後から、急に物見の数が増えて警戒が厳しくなった」 「河勝殿も食えないお人だ、油断できんな。弾はどうする真っ直ぐ飛鳥に来るか」 「一度、親父殿の顔を見てから行くよ」 「そうか、我は木津川を遡って飛鳥に入ってみる」 「礼尾、また二人で日下に行こう」

「日出処の天子」2

再び、大和川を遡り、急流の亀の瀬で軍船から小舟に乗り移り、飛鳥に入った小舟は東漢氏の一大軍事基地に辷り込んだ。 「太子様、長がお待ちです」 「ダンの太子を同道したと親父殿に伝えてくれ」 「日下の物見から連絡が入り、ご承知です」 「油断も隙もないな」  飛鳥桧隅館の門前は杖刀を突いた衛兵が整列していた。 「ひい、ふう、みい、よ、いつ、むう、なな、や、ありがとう」  門内には多数の館が並び常時、数千人が住まわっている。杖刀を預け、長の館に繋がる迎賓館に上がり、趺座(ふざ)する間もなく、長が出座した。 「弾殿、よう参られた。お父上は息災かな」 「至って元気でございます。東漢の長殿には宜しくとの言付けでございます」 「あい分かった」 礼尾が父親に、 「早耳から聞きましたが、豪族達の動静に注意を払うよう命ぜられたそうで」 「うむ、腹を括った。頼むぞ」 「畏まりました。手始めに何から手を」 「まず、太秦に行ってくれ。河勝殿の父君の五年忌に陵墓を完成させる約定をしておる。進捗状況と石材の切出し具合の報告を兼ねて、絹織物調達の責任者としてな」 「して、狙いは」 「絹織物の調達反数を五割ほど増やす提示をするのじゃ。さすれば扶桑国も潤うであろう。弾殿、礼尾に同行して頂けるかな、太秦の状況を把握して来てくだされ」 「承知しました。傘下の手練れを引き連れてまいります」 「西漢の長殿には、我から願いを出します故、今宵はゆるりとお寛ぎ下され。だれぞ、酒と肴をもて」 「親父殿、次郎達と杖刀の兵を率いて行っても宜しいですか、帰りは木津川廻りで物見をして参ります。」 「兵の鍛錬と示威行動か、良かろう、呉々も衝突しないようにな」 夜も更け、酔い潰れた若者二人は寝所に運ばれた。

「日出処の天子」1

 二艘の軍船が茅渟の海から河内湾に入り、大和川を遡上していた。 「礼尾、真っ直ぐ飛鳥に戻るのか」 「日下で傀儡館に寄り道するぞ」 「馴染みの娘でもいるのか」 「弾も聴いておろうが、大王様が臥せっておられる、長くは無いかも知れん」 「それで傀儡館の早耳に」 「そうだ、大王様のお子は娘が三人、男の子がおられん。亡くなられると世継ぎ争いが起きて秦王国が乱れるかも知れん」 「そう言えば、お前の親父殿が推される噂も出ているな」 「当代は筑紫で委奴国を建国された初代大国主様から数えて十四代目に当たられるが、ずっとシメオンから大王が出ている。我らレビから大王を出すには幾多の困難があろう」 「ダンとレビが結束して事に当たろう」  軍船は日下の津に程近い桟橋に静かに着けられた。 「太子、お帰りなさい」  栗色の髪を無造作に後ろに束ね、小麦色の肌に大きな茶色の瞳がキラキラ輝く、豊満な娘が太腿を露わに、舫綱を引き寄せ木杭に掛けていた。 「詩音、世話になるぞ、主殿は居られるか」 「今朝方、飛鳥から戻って寝ております」 「弾、主殿を待つ間、朝粥を馳走になろう」 「その前に、娘を俺に紹介しろ」 「詩音、我の友の弾だ、ダンの太子だ」 「始めまして、座右留の娘、詩音です」 「弾です、宜しく」 「困りましたね、太子と御呼びすると、お二人に返事されそうで」 「弾と呼んでくれ」  館に案内され、朝餉を掻き込んで程なく。 「この逞しいお方は、何方かな」 「弾です。お見知りおきください」 「座右留です。お父上には、お世話になっています。宜しく願います」 礼尾が座右留に、 「大国主様の、お加減は如何でしたか」 「半年は持ちますまい。東漢の殿から豪族達の動静に注意を払ってくれと、ご命がござった」 「親父殿はその気になられたか」 「太秦の河勝殿が見舞に見えておられた」 「鹿島扶桑国の王は先代大国主様の三男でしたね。太秦と連携されると一大勢力、何か楔を打ち込まないと」  館を辞去した、礼尾と弾が軍船に戻り、水夫に出立の指示をしていると、詩音が妹の果音を連れて見送りに来た。果音は姉に負けず劣らず、つぶらな瞳の可憐な笑みを豊かな上肢としなやかに伸びた下肢に載せていた。 「詩音、近いうちに又参るぞ」 「果音、俺も来るからな」