「上宮聖徳」12

 筑紫敗戦の反省もあり、秦王国の族長会議は定期的に開催されるようになっていた。

 東漢と西漢を中心とした体制から、太秦の泰氏や蘇我氏の台頭が著しい状況になり、次の大王位は東漢の一存では決めさせない雰囲気が醸成されていた。

 太秦の族長に就任していた継手が、

「上宮様は文に偏る嫌いが見え、弟宮様は武に秀でて居られるようじゃ。聞くところによれば、新羅が印度の騎士団を傭兵部隊に受け入れ、軍事国家として領土拡大政策を始めたとか、半島は争乱の様相が深くなり、何れ我が列島に影響を及ぼすかも知れん。道庭殿、弟宮様を後継に据えられたら如何じゃ」

 それから、太秦の秦氏達の上宮苛めが陰湿に始められた。

 上宮の乳母を務めていた土師氏の族長は高齢のため身罷り、足庭の弟の三郎叔父も鬼籍に入り道庭の良き協力者はいなくなっていた。

 道庭自身は新規干拓地の開発、河川の改修、足庭と弾の陵墓造り、檜隈の工人の督励、養蚕業の育成等々多忙を極めていた。

 上宮聖徳は干食王妃との間に三人の子を設けていたが、度重なる太秦達の嫌がらせに苦悩し、太秦々氏の支援を受けた弟宮との王権争いに敗れ仁王元年(623年)十一月二十二日王妃と共に刀で自害した。

 突然の上宮の死に道庭は悔恨の淵に立つも、大急ぎでレビ族の総力を挙げて、斑鳩の上宮邸や足庭の供養寺の西方至近に円墳の陵墓を造り王妃の遺体と共に懇篤に葬った。道庭が上宮に与えた高句麗渡来の華麗な馬具も一緒に埋葬された。

 大和盆地を揺るがす不祥事に驚愕した太秦の秦氏は慰霊のため太秦に広隆寺を建て毎年十一月二十二日の命日に火焚祭の法要を行い慰霊している。

「上宮聖徳」11

 飛鳥の王宮で道庭が久し振りに寛いでいると、鬼前太后が歩み寄り、

「そろそろ、上宮聖徳の正妃を決めなければ成りませんね」

「だれぞ、心当たりがあるか」

「播磨の文身国に大国主様の血を引いた干食姫がおられます」

「その姫なら上宮も面識があったかな」

「恵慈様の講義に上宮の学友を捜す折りに妹御が居られると聞いていました」

「いくつに成られた」

「十二と聞いております」

「そうか直ぐに使者を立てよう。上宮は爺様の供養寺造りに忙しいようじゃが、我から言い聞かせよう」

 道庭は上宮を王宮に呼び、

「供養寺は順調かな」

「はい、恵慈様や棟梁達のお陰で上手く進んでおります」

「立太子式を済ませたので、次は正妃選びじゃが、恵慈様の講義に文身国の太子が来て居ったが覚えているか、干食姫という妹御が居るそうじゃ。聞いて居ったか」

「はい、聞いております」

「十二になるそうじゃが、その姫で良いな」

「よろしくお願いします」

「しらす干しの様な嫋やかな姫に育っているかな」

「いえ、ちりめんの如く、しゃきしゃきに成って居られるかも」

「言うのう。それでは婚儀の使者を立てるが良いな」

「お願いがございます。供養寺の御堂に爺様のお姿を掲げたいのですが」

「なれば、黄文を召して描かせれば良いぞ」

「ありがとうございます」

「それと、斑鳩の邸、正妃を迎えられるように広げなければ成らんが、それも任せて良いかな」

「承知いたしました。棟梁達に相談いたします」

 上宮は斑鳩に戻り、再び恵慈に教えを請うた。

「爺様のお姿を描くのに絵師の黄文を使えば良いと言われました。どんな絵を描けば良いでしょうか」

「足庭様に弥勒菩薩になって頂きましょう」

「恵慈様に教わったのは未来に下界に降りて衆生を救う菩薩ですね」

「よく、覚えて居るな。お堂の壁に描いて貰いなさい」

「ありがとうございます。黄文絵師にお願いをいたします」

「上宮聖徳」10

 道庭は上宮聖徳の立太子の儀を槻広場で盛大に催した。上宮の乳母を務める土師氏達に見守られ煌びやかな衣装に身を包み道庭に譲られた馬具を装備した馬に跨がり広場を巡った。

 久し振りの明るい儀式に飛鳥は沸き立っていたが、上宮聖徳の弟の乳母を買って出ている太秦の若党が苦い思いで見物していた。

「綱手様、そろそろ弟君の大王位就任に向けて手を打って参りましょうよ」

「時期尚早じゃ」

 上宮聖徳は飛鳥大寺で学問の師の恵慈に教えを請うていた。

「恵慈様、斑鳩に爺様の供養寺を建てたいのですが」

「足庭様には大変お世話になりました。愚僧も精一杯、協力しましょう」

「どんな建物がいいですか」

「塔とお堂の二つが良いかな。塔の後ろに御堂を造りましょう。棟梁や瓦博士や皆を集めます」

「お願いします」

 飛鳥大寺を建設した技術者が斑鳩の建設予定地に集まり、太子が、

「皆様、ご参集賜り、ありがとうございます。この地に足庭様の供養寺を建てたく存じます。大寺を手掛けた皆様のお手をお借りしたく存じます。よろしくお願いします」

 恵慈が、

「塔と御堂の二つを作りたい」

 太子が、

「素朴で簡素な趣にしたく存じます。ご意見を下さい」

 棟梁が、

「弁柄色や緑青色を使わないで柿渋色か素木仕上げを試してみます」

 瓦博士が、

「大寺の軒丸瓦は素弁十葉蓮華文でしたが、更に簡素な六弁の素弁蓮華文にしましょう」

 石工頭が、

「二上山の礫石と緑石を腰壁や敷石に使いましょう。礫石の堅さを確認します」

 露盤博士が、

「塔の相輪の水煙や九輪も簡素にしましょう」

 恵慈が、

「塔は三重にしよう、寂しければ層毎に裳裾をつけましょう」

 太子が、

「ご議論頂きありがとうございます」

 棟梁達が、

「早速に資材の手当を始めます」

 太子が、

「よろしくお願いします」

「上宮聖徳」9

 平成三十年四月、上雉大古代史サークルOB四人組は久し振りに大学近くのレストランに集まった。西園寺は日銀に入行し総務人事局に配属されていた。

「島津、外務省の居心地は」

「北米局にいるんだけど、走り回っているよ。ダンスの稽古も出来ない」

「俺も、駆けずり回っているよ。美佳、総務省はどうだ」

「国会が始まって大変。毎日、残業よ」

「香苗、薄謝協会も忙しい」

「取材に追われて、毎日ハチャメチャ」

 西園寺が、

「ゴールデンウィークに明日香村にいかないか、甘樫丘の南麓の小山田古墳の全貌が見えてきたぜ」

 島津が、

「報道では墳形が方形で北辺は七十二米、南辺は八十米、南北が七十米だから、広庭の石舞台古墳を上回る規模だ」

 西園寺が、

「陵墓が南北で七十米は高麗尺で二百尺になる。高句麗帰りの石工頭が指揮しているね」

 美佳が、

「出土土器から七世紀中頃の築造と推定されているから、広庭の息子のアマタリシホコの陵墓で間違いなさそうね」

 香苗が、

「でも、リカミタフリの可能性もあるはね。下層では六世紀後半の集落跡が見られ、築造後の七世紀後半には掘り割りの埋没が認められるって、白村江で戦勝した唐新羅連合の占領軍が石舞台古墳共々壊したのかもね」

 島津が、

「占領軍の司令官は唐将軍の郭務悰でレビ族なんだ。新羅軍の手前、秦王国のレビ族を説き伏せ、二つの陵墓の解体でレビ族や他の豪族の命を守ったのかな?結果的にシメオン族大国主一族などの陵墓は守られ多くが現在天皇陵として存在することになったんだ」

 美佳が、

「郭務悰はもう一つ後世の歴史を決める重要な仕事をしたわ。鹿島神宮で中臣氏に育てられた不比等がシメオン族の族長になり奈良朝廷に出仕し、頭角を現すとガド族の娘、宮子と娶せ始皇帝の焚書坑儒以来八百年を超える両部族の抗争に終止符を打たせたのよ。後世、郭務悰は中臣鎌足とも藤原鎌足とも称せられ藤原氏の始祖に擬えられたわ」

 西園寺が、

「新羅占領政権は不比等に奈良朝廷は古来より大和存在したとする偽史を編ませるんだ。足庭、アマタリシホコ、リカミタフリの秦王国レビ族三代の大王を馬子、蝦夷、入鹿の蘇我氏三代に置き換え、シメオン族が歩んだ九州からの東遷と大和侵攻を神武東遷に組み替え、推古から持統の時代を創作し、日本書紀の原形を偽史シンジケート集団のテクラートに作成させたんだ」

 香苗が、

「聖徳太子もね」

「上宮聖徳」8

 道庭は柳井水道に取って返し、三郎叔父を労い、足庭の亡骸と後宮の女達と金銀財宝の搬送を指揮した。

 延べ三百艘に及ぶ搬送作業を終えて飛鳥に戻った道庭の元に石工頭が殯と陵墓の候補地の報告に訪れた。

「足庭様の殯の地は斑鳩近くの鳥の山が良いと存じます。太子様が寺を建立したいと仰っています」

「そうか、そうしよう」

「陵墓の地は甘樫丘の南に良い地が見付かりました」

「そうか、案内してくれ」

 甘樫丘の南、飛鳥の官衙の西に低い丘陵地が連なる一画に少し開けた場所があり、民家が点在していた。

「道庭様、こちらでございます。集落の住人には移り住んで頂きます」

「良いところじゃ。移り住みは丁重に進めて下さい。当面は河内の弾殿の陵墓の完成に全力を注いで下され」

 道庭は飛鳥の王宮を守ってくれた、三郎叔父の長子の小太郎を柳井水道に移し周防国王を命じ、九州の守りの要とした。また、博多の鴻臚館に代わる施設を難波津に設け、秦王国の新しい鴻臚館とし、三郎叔父を常駐させ責任者とした。琉球より三郎叔父の三男が戻り、父に付き外交の勉強を始めた。

 道庭は久し振りに太子と寛いでいた。

「父上、爺様の供養で斑鳩に寺を建立したいのですが」

「それは嬉しいの、恵慈殿にも相談して、飛鳥大寺を手掛けた棟梁達も元気で居ろう、声を掛けて良いぞ」

「はい、ありがとうございます。小さな寺を懸命に造ります」

「おお、爺様の喜ぶ顔が見えるようじゃ。そうじゃ、近々に立太子の儀を執り行おう。上宮聖徳と名乗って貰おう」

「ありがとうございます」

「そうじゃ、乗馬の稽古を始めておったの、弾殿が高句麗から持ち帰った二郎叔父と揃いの私の馬具を引き継いで貰おう。私は檜隈の工人に作らせていた馬具が完成したので、それを使おう」

「重ねて、ありがとうございます」

 

「上宮聖徳」7

 紅葉に彩られた柳井水道の王宮に竹斯王ミチタリからの急使が飛び込んできた。

「足庭様、日田の奥の九重山中で不穏な動きが見られます。倭国の挙兵と考えられます」

「羅尾、飛鳥と出雲国と文身国に出兵の連絡をして下され」

「畏まりました」

「三郎、高句麗の坂上隊に帰還を指示して下され」

「畏まりました」

「それから、豊の国に出向いて、殯の次郎を急ぎ埋葬して下さい。それから愛用の馬具も一緒に葬って下され」

 足庭は身狭隊を引き連れ竹斯へ急行すると共に北九州各地に戦闘準備指令を出した。玄界灘に掛かるとき、宗像氏と海上警備の強化を協議し、半島からの百済兵阻止を依頼した。

数日後、足庭は春日の王宮に入り太子のミチタリと状況確認を行っていた。

「父上、倭国の挙兵は間違いありません。太宰府と日田の柵を間に兵三百を駐屯させました」

「有明海の監視が必要だな、柳川にも兵を出そう」

 北九州各地からの兵の参着が陸続と始まっていた。

「末羅国から西漢の部隊が到着しました」

「豊の国から東漢の部隊が到着しました」

 足庭が、

「歓迎の閲兵をする。整列させて下され」

 俀国と倭国の激突乱戦の最中、足庭は物部の放つ矢嵐に眉間を穿たれ、雑兵の刃に掛かり重傷を負い、春日の王宮に運ばれたが絶命。太子と三郎は直ぐに九州撤収を決断。

 柳井水道奈良島に帰り着いた足庭の亡骸は太子ミチタリの手で殯がなされ、後宮の六后女御女官の悲しみに包まれた。

 太子ミチタリは足庭の殯を叔父の三郎に委ね、大和飛鳥に帰還し東漢の族長に就任した。そして、族長達に推挙され大王の地位に就いた。

「都を柳井水道から此処、飛鳥の地に戻すと共に、国の名も俀国から秦王国に戻します。我は道庭と改名いたします。皆様、よろしくお願いします」

「上宮聖徳」6

 翌年秋、悲報が飛び込んだ。大和の平群から早飛脚が静養していた弾の急逝を知らせた。足庭は直ちに平群の里に急行し、殯宮に安置された竹馬の友を悼んだ。西漢の本拠地、河内の百舌に御陵の建設が決められ、足庭は東漢石工の総動員を指示した。

 柳井水道の王宮に戻った足庭に更なる悲報が待っていた。豊国王の次郎が不慮の事故で逝去したとの知らせ。足庭は王座を温める間もなく豊の国に赴き殯の儀式に参列した。

 翌春、随は琉球に朝貢を促す軍を催し再び略奪した。そして、高句麗遠征のの準備に再び着手した。

 足庭は三郎と協議を重ね苦渋の決断をした。

「隋と国交を断絶します。手続きをして下さい」

「可及的速やかに手配をいたします」

 隋の煬帝は鴻臚卿に俀国との国交断絶を周辺国に通知させた。

 百済の余泉章が慌ただしく九州山系の山間に入り倭国額田王の柵を訪ねた。

「額田王様、俀国が随と国交を断絶しました」

 脇に控えた多治比広手が笑みを浮かべて、

「女王様、千載一遇の機会が参りました。風の噂では弾と次郎が身罷ったと」

「広手、丁度十年じゃな。直ぐに確認を取って下さい。それから各地の安羅人、伯族、濊族と物部一族と白丁隼人達に戦闘準備指令を出して下さい」

 泉章が、

「百済に渡った物部の一族にも手伝わせましょう」

 広手が、

「人吉の相良、日向の西都原、肥後の菊池、薩摩の各地に至急手配いたします」

「上宮聖徳」5

 飛鳥大寺が完成、足庭は久し振りに飛鳥に戻り落慶法要に臨んだ。伽藍配置は高句麗から渡来した高僧恵慈の指導の下、一塔三金堂を回廊で囲い、その北に講堂を配している。西門は間口を大きく取り槻広場に開かれていた。足庭は恵慈を招き寄せ、

「素晴らしい仏教寺院になりましたな。貴僧の指導の賜じゃ。御礼を申し上げる」

「とんでもありません足庭様がお任せ下さったお陰でございます」

「それにしても美しく厳かに仕上がりましたな」

「愚僧の想像を超える出来でございます。飛鳥の地、いえ俀国の地に相応しい寺院になりました」

 近くに来た秦王国の王の小太郎にも足庭は声を掛け、

「小太郎殿、よう皆を取り纏めて下された。嬉しく思います」

「私は只皆の聞き役でございます。寺大工、瓦博士、石工、金工、絵師、皆が素晴らしい発想と技を発揮してくれました」

「深い軒と裳裾の重なり、回廊列柱の優しい膨らみ、惚れ惚れしますな」

「俀国の地の多雨、湿気に耐える造りに、飛鳥の地の桧の木の性質を調べ尽くした棟梁達の努力の賜でございます」

 太子の筑紫王が長子を伴って足庭の近く寄り、

「父上、我の太子でございます」

「おお、爺馬鹿と言われた足庭じゃ。聡明な顔をしておるの、この飛鳥大寺で勉学に励んで下され。恵慈殿から仏陀の教えや宇宙の摂理を貪欲に学んで下され」

「じじ様、素晴らしい勉学の場を与えて下さり、ありがとうございます。弛まず務めます。どうぞお見守り下さい」

「良い挨拶ができましたな。爺も楽しみにしていますぞ」

 式典後、足庭はミチタリと三郎を交え、

「恵慈様の講義にだれぞ交えるかの」

 三郎が、

「我らの勉学の折りも他の豪族の子弟を交えました」

 ミチタリが、

「そうでしたか、学友がいた方が、勉学が捗るかも知れませんね」

 足庭が、

「小太郎殿には同じ世代の子が居ったの」

「居ります、同い年です」

 足庭が、

「ミチタリ、播磨の文身国にも居らんかな」

「確認します」

 足庭が、

「三郎、紀の国も確認して下され」

「畏まりました」

 光元三年正月、足庭は慶賀行事を終えると三郎と第二回遣隋使派遣の詰めに入った、

「三郎殿、書き留めてくれぬか、国書の書き出しじゃが『日出処の天使、書を日没する処の天使に致す。恙無しや』で始めよう」

「足庭様、それは面白うございます。第一回の時は随を太陽に俀を金星に擬え相手を持ち上げた積もりでございましたが理解を得られませんでした。これは易しくて判りやすい比喩です」

「少しは反発があるやも知れんが俀と随は天子どうし対等じゃとの表明でもある。高句麗や琉球への侵攻は親善国として看過できないとも書いて貰うかの」

「上宮聖徳」4

 そして数年後、弾が高句麗から帰国し、足庭は総出で博多港の住吉大明神前に出迎えた。

「大役、ご苦労様。無事の帰着、祝着でござる」

 弾が声を上げ、

「華やかなお出迎え、驚嘆いたしました。多数お揃いでの歓迎、痛み入ります。ありがとうござる。思い掛けない土産が多数ござる」

 足庭が目敏く、

「仔馬を持ち帰られたか」

「華麗な馬具も一緒に持ち帰りました」

「仏教僧を連れ帰られたか」

「嬰陽王様から学問僧を委ねられました。恵慈様と申されます」

「それは喜ばしい。積もる話もあろうが、皆で春日の王宮に参ろう」

 王宮での懇談の中、弾が報告を続けた。

「隣国、随との衝突の危機が迫っている時に、飛び込んだ我らの願い事は全て聞き入れて頂けました。石工も天文学者も勉学に来た者は全て受け入れると、更に石工と天文学者が帰るときは絵師を送り出して頂けるそうです」

 足庭が、

「仏教僧を派遣して頂いたが、檜隈寺の次は飛鳥に大寺を計画しておったので丁度良かった。建設を早めよう。三郎殿、秦王国王を委ねているお主の長男の小太郎殿に総監督を任せよう」

「ありがたく、承ります」

「太子、飛鳥大寺の建設が終わったら、恵慈様を太子の長男の教育係に就任させるかの」

「父上、親馬鹿、いえ爺馬鹿でございます」

「この成長は早いものじゃ」

「ありがとうございます」

 足庭が、

「羅尾、恵慈様を飛鳥に送り届けて下され。それと、弾殿が高句麗から持ち帰った馬具一式を檜隈の工人に見せて複製品を作らせて下され」

 三郎が、

「我も飛鳥に戻り小太郎に飛鳥大寺の件を伝えまする」

 飛鳥に夏が訪れ、稲田が緑一色に埋め尽くされた頃、羅尾は学問僧の恵慈を甘樫丘に案内し飛鳥大寺建設地を眼下にしながら、

「恵慈様、右手一体が飛鳥の官衙です。南にある丘陵が島の庄で、大きな方墳が先代広庭様の御陵です。左手一帯が十四代様の纏向の王宮です。今は息女様二人がお住まいです。向こうに見える山が三輪山で手前の流れが飛鳥川でございます」

「極楽浄土に相応しい場所じゃ」

「伽藍配置の構想はお決まりに成られましたか」

「飛鳥と纏向が連なるように、南大門、中門、塔、中金堂、講堂を一直線に並べ、塔の東西に大和の豪族全てが一体となれる様、金堂を配置しましょう」

「早速に足庭様に連絡を致します」

「羅尾殿、もう一つ、この甘樫丘と大寺建設地の間に、かなり広い槻野が残ります。広場にすれば飛鳥京の大きな儀式に活用できましょう。西門を大きく作るのが良いと思います」

「併せて連絡いたします」

 羅尾と恵慈が飛鳥の官衙に戻り秦王国の王の館に報告に訪れると。丁度、柳井水道に向かう父親の三郎にも会えた。報告を終え羅尾が、

「三郎様、飛鳥大寺の伽藍配置と西門の件、足庭様にお伝え下さい」

「相分かった。急ぎ足庭様の処に向かおう」

 恵慈が、

「三郎様、今一つ、足庭様にお伝え下さい。高句麗に寺大工、路盤博士博、瓦博士派遣の依頼を願えますか」

「天文学者と石工戻るとき、絵師を派遣すると嬰陽王が申されていたそうじゃが、その前に寺大工などの派遣を願うよう、足庭様にお伝えいたす。王、それで良いの」

「父上、よろしくお願いします」

 翌年、高句麗から寺大工、路盤博士、瓦博士などの派遣を受けた飛鳥大寺の建設は順調に進み、縄張りから堀片を終え、地固めに入っていた。秦王国の王の小太郎は木工房、瓦工房、石工房、金物工房などを建設地の南側に作らせ、木材の切り出し、瓦や金物の試作を始めさせていた。

 筑紫王が数えで五歳になった長子を連れて飛鳥大寺の建設現場を訪れ、

「太子、ここが飛鳥大寺の建設場所じゃ、何れ恵慈様より仏教の教えを受けることになる」

「分かりました、楽しみにしています」

「槻の森を抜けて甘樫丘に登って見るか」

「飛鳥と纏向が一望に見えるそうですね」

「よく知っておるな」

「乳母に聞きました。来年は弟も連れてきましょう」

「そうだな」

「上宮聖徳」3

 翌早朝、杖刀の兵を従えて大和川を下ったミチタリは日下の津の傀儡館で小休止した。館の主の紫門が挨拶に現れ、

「姉の詩音がお世話になっております。羅尾にも良くして頂けありがとうございます」

「何を仰いますか、詩音様には、こちらがお世話になっております。羅尾殿にも同様です。先般は我が長男の出産の伝達を父王にしていただけ、この度の帰郷にも尽力を頂いており、御礼を申し上げる」

「それでは、お言葉に甘えて、姉にお言付けをお願いします。我にも長男が生まれたとお伝え下さい」

「それは、おめでとうございます。お名前はなんと」

「紫苑と名付けました」

「良い名ですね。詩音様にも、足庭様にもお伝えいたします。そうじゃ、筑紫探索のお礼を改めて申し上げます。お陰で筑紫奪還が為りました。ありがとうございます」

「ご信頼を頂いたお陰です」

 ミチタリは瀬戸内を辷り、文身国に寄り、改めて爺婆に筑紫奪還の報告を行うとと共に、土師氏の長に太子の乳母をお願いしたと伝えた。

「土師氏の長は良く知っとるよ。随分高齢になっとろうが、安心者よ」

「お顔見知りでしたか」

「纏向の王宮でよく一緒に遊んでおったよ。良き男じゃ」

「そうでしたか、安心いたしました」

 柳井水道に帰着したミチタリは父王に見えた、

「紫門殿にも男の子が生まれておりました。紫苑と名付けたそうです」

「詩音にも報告してくれ」

「我が子の乳母に土師氏の長が名乗りを上げてくれましたので、お願いをいたしました」

「土師氏の長は先代の大王位就任に骨を折ってくれた。それは良かった。帰着早々で悪いが俀国の新体制の骨格を近く発令したい。お前には竹斯国の王を務めて貰いたい。良いな」

「畏まりました」

「私の弟の次郎には東表国を改め豊の国とし豊国王を務めて貰う。三郎には私の補佐役を務めて貰う」

「分かりました」

「出雲国王にはお前の弟を充てる。秦王国の王には三郎の長男の小太郎を任命する。この柳井水道の周防の国は私の直轄地とする」

「何時、着任すれば」

「可及的速やかに着任してくれ」

「直ちに準備いたします」

  新体制を固めた足庭は盟友、平群の長に就いている弾と久し振りに酒宴を催し、

「弾殿、此度の戦の尽力、改めて御礼を申し上げる」

「何を改まって、礼を言わねばならんのは我の方じゃ。存分に活躍の場を与えてくれて、息子達に自慢が出来た」

「弾、言い難いのじゃが、今少し尽力して頂けないか」

「水臭いの、何なりと」

「高句麗に渡って下さらんか」

「それはまた大儀な、毒食わば皿までじゃ、共に祖先が過ごした所縁の地、承知した」

「交易と外交に本腰を入れようと思うてな、琉球には三郎と東日流隊に行って貰うつもりじゃ」

「それでは、我には坂上隊を付けて下さらんか」

「承知した。坂上隊に指示を出しまする。早急に渡航船を造りましょう。半島の東側を北上するとなれば季節風の治る来春に出立されるのが宜しかろうと存ずる」

「我も急ぎ渡航船の準備に掛かろう」

「それと、新羅の沿岸を通過されるので、念のため新羅の王族達の同族の中臣と蘇我の然るべき者を同乗させましょう。それに、高句麗を出て既に数百年が経ちました故、土木技術や天文学が進歩しているやも知れません。石工の若者と天文学者を一緒に連れて行って下され」