「日出処の天子」58

 平成二十五年五月、上雉大学古代史サークルの現役メンバーは定例の部会を開き、坂上が口火を切り、

「今年のテーマはユダヤの失われた十部族でどうかな」

 麗華が、

「西園寺先輩が『高松塚とキトラ古墳』って言ってたけど、そのテーマは面白そうね」

 伊集院が、

「古代のユダヤと現在のユダヤは全然違っているんだ、いいんじゃないか」

 由紀が、

「殆どの部族が日本に来ているみたい。やりましょう」

 坂上が、

「それじゃ、来週資料を持ち寄ろう」

 麗華が、

「先輩達そろそろ戻ってくるんじゃない。お土産買って来てくれるかな」

 伊集院が、

「そりゃないな。案外ドライなんだよ」

 由紀が、

「顔見せてくれるだけでいいじゃん」

 翌週、部室に古代史サークルのメンバーが再び全員集合した。白いブラウスにダークグレーのタイトスカートを穿いた麗華がスラっとした足を組み替えて、

「知らないこと一杯あったわ」

 黒のTシャツにGパンの坂上が、

「現在はユダヤ人の定義が緩いんだな」

 グレー系市松模様のスポーツシャツ姿の伊集院が、

「大金持ち一杯いるんだね」

 水色の格子柄のワンピースを着た由紀が足を揃えて、

「銀行家や映画人にも沢山いらっしゃるのね」

 ショートヘアの麗華が、

「ユダヤは中東の遊牧の民セム族の中から出た部族です。紀元前二千年前後、始祖のアブラハムはメソポタミヤのウルから一族を引き連れて、現在のイスラエル・パレスチナ付近の「カナンの地」に移住し渡り歩く人「ヘブライ人」と呼ばれたのよ。紀元前千九百年頃、ヘブライ人にヤコブという人が現れ、自分の名をイスラエルと改めます。このイスラエルには叔父ラバンの娘で姉のレア、レアの美しい召使いジルバ、レアの妹のラケル、ラケルの美しい召使いビルハの四人の妻が居り、それぞれの妻との間に十二人の息子が生まれます。レアの子供にはルペン、シメオン、レビ、ユダ、イカッサル、ゼルブンの六人です。ジルバの子供はガド、アシェルの二人です。ラルケの子供はヨセフ、ベニミヤンの二人です。ビルハの子供はダン、ナフタリの二人です。この十二人の息子の子孫が、後のイスラエルの十二部族を形成することになります」

 お下げで三つ編みの由紀が、

「紀元前十七世紀頃、ヘブライ人はカナンの地からエジプトに移住を強制され奴隷となります。その後、ヘブライ人の指導者にモーゼが現れ、イスラエル人を率いてエジプトを脱出しようとしますすがエジプト王は許さず、絶望するモーゼに神の言葉が降り「この月の十月に子羊を捕まえ十四日に殺して、流れる血を戸口に塗りなさい。目印になる様にベッタリと、そうして家に閉じこもりなさい。その晩、私の使いがエジプト中をを風の様に過ぎ越して、目印の無い家に生まれた子供たちを全て殺していきます。そしてお前達はエジプトを旅立ちます」その夜、教えに従った家には何も起こらなかったが、目印の無いエジプト人の家では、男の初子は皆、死んでしまいました。この事に怯えたエジプト王は、暁を待たずにイスラエル人の出発を許しました。イスラエル人はそれを記念して、未来永劫に、過ぎ越し祭ることを誓いました」

 麗華が、

「この過ぎ越しの祭り神話は世界に伝承され、日本にも伝わり蘇民将来伝説になりました。備後風土記では、昔、武塔神が南海の神の娘の所へ夜這いに出かけましたが、途中で日が暮れてしまいました。そこに蘇民将来と巨旦将来の兄弟がいました。武塔神は一夜の宿を頼みました。弟の巨旦将来は金持ちで、家や倉が百もあるのに惜しんで宿を貸さなかった。兄の蘇民将来は大変貧しかったが、宿を貸しました。粟ガラで座る所を作り、粟飯をご馳走し、武塔神は無事に出発することができました。年月が流れ、武塔神は南海の神の娘の間に八人の子をもうけ戻ってきました。武塔神は兄の蘇民将来に再会して言いました。「弟の巨旦将来に報復しよう。お前の子が弟の家にいるか?」蘇民将来の娘が弟の家に婦として侍っていた。すると武塔神は「彼女に茅草で作った輪を腰につけさせよ」と教えた。武塔神はその夜、蘇民将来の娘一人を残し、弟の一族をことごとく殺してしまいました。そして「私は速須佐雄の神なり。のちの世に疫病があれば蘇民将来の子孫と言って茅草の輪を腰につけよ。そうすれば疫病を免れるであろう」といいました」

 由紀が、

「蘇民将来の茅草の輪伝承は、更に神社の大祓の家内安全神事の茅の輪くぐりとして全国に広がっています。蘇民将来の娘が腰に付けた茅草の輪がディフォルメされ、それをくぐると家内安全が図れる。行事になったのよ」

「日出処の天子」57

 平成二十五年五月、古代史サークルOB四人は揃って帰国、西園寺は降り立った成田空港の新聞スタンドの武豊キズナでダービー勝利の見出しに惹かれスポーツ紙を購入し空港バスに乗り込み、拡げた文化欄に船原古墳隣接地から黄金に輝く馬具出土のルポ記事を目敏く見付け、

「来週、福岡の船原古墳に行こうぜ、藤ノ木古墳で出土した馬具とそっくりだ」

 ネットを検索した島津が、

「豊国王だった二郎さんの愛用の馬具かも知れんな」

 同じ様にネットを検索していた美佳が、

「藤ノ木古墳は上宮聖徳が埋葬されたのよね。父親から譲り受けた、弾が高句麗から持ち帰った馬具ならそっくりでもおかしくないわね」

  香苗が、

「スポーツ紙の見出しキズナつながったかも、埋葬者論争が起きて結論が出ないまま国宝に指定されるのね」

 西園寺が、

「今も、シメオン族が連綿と守り続けた偽史シンジケートの伝統が健在なら、そうなるね」

 島津が、

「明治維新政府が自己保身のため明治憲法を制定し皇国史観浸透の徹底を企図し、東大国史学教授の黒板勝美が忖度し西都原の卑弥呼の円墳に変な尻尾を付け前方後円墳に改竄し神話に登場するニニギノ命の墓と強弁させるほか、日本書紀、古事記に反する史跡古文書を抹殺した行為が伝承されている」

 美佳が、

「卑弥呼も正当評価してほしいわね」

 香苗が、

「来週、船原古墳の後で西都原古墳にも行きましょう」

 西園寺が、

「それじゃ、決まりだね。今度は国内を歩こう」

「日出処の天子」56

 道庭は上宮聖徳の立太子式を槻広場で盛大に催した。上宮の乳母を務める土師氏達に見守られ煌びやかな衣装に身を包み道庭に譲られた馬具を装備した馬に跨り広場を巡った。久し振りの明るい儀式に飛鳥は沸き立っていたが、上宮聖徳の弟の乳母を買って出ている太秦の若党が苦い思いで見物していた。

 「綱手様、そろそろ弟君の大王位就任に向けて手を打って参りましょうよ」

 「未だ、次期尚早じゃ」

 筑紫敗戦の反省もあり、秦王国族長会議は定期的に開催されるようになっていた。東漢、西漢を中心とした体制から、太秦の秦氏や蘇我氏の台頭が著しい体制となり、次の大王位は東漢の一存で決めさせない雰囲気が醸成されていた。太秦秦氏の族長に就任していた継手は、

「上宮様は文に片寄る嫌いが見え、弟宮は武に秀でておられるようじゃ。道庭殿、弟宮様を後継にされたら如何じゃ」

 大和飛鳥の秦王国は豪族たちの鬩ぎ合が激しくなり、筑紫の倭国は本拠地を奪回したが同盟国百済が新羅の台頭に呻吟し、新羅は花郎軍団の参入に軍事大国への変貌をあからさまにし、高句麗は隋を一蹴したものの新羅との衝突を懸念していた。中原は隋が滅び、唐が勃興し大国への道を走り始め、周辺国は一斉に唐へ擦り寄り始めた。

「日出処の天子」55

 西園寺が、

「鉄を求める旅は更に続いて、再び天の鳥船に乗り福建省の南平で鉄を作り、河南省南陽に移り『宛の徐』となって一大製鉄基地を建設し東表国と共に殷文化圏の鉄供給の一端を担ったんだ」

 島津が、

「安住の地を得たと思われたニギハヤヒ一族ではあったが、紀元前二百二十一年、突如バクトリア知事ディオドトスが怒涛の勢いで殷に侵攻し秦帝国を建国し始皇帝に就任するんだ」

 美佳が、

「アレキサンダー大王の遺志を継いだシメオンの頭領ね」

 香苗が、

「最先端の軍装備で殷文化圏の倭人達は手も足も出なかったのよ」

 西園寺が、

「北支にあったウガヤ王朝の大扶余は満州の地に移り北扶余を建国し、南陽の宛の除のニギハヤヒ軍団は再び再び、アマツマラを船長に天の鳥船に乗って長江を下り黄海を北上し、渤海を更に北上し遼河を遡り遼東に除珂殷を建国するんだ」

 島津が、

「北倭記第三十一章に『是よりさき、宛の除、海を濟り、舶臻し、殷に倚り、宛難に居り、地を闢くこと數百千里、弦牟達に築き、昆莫城と稱し、國を除珂殷と號す』と書かれているんだ」

 美佳が、

「ホーチミンから南陽に飛んで」

 香苗が、

「河南省の南陽から瀋陽に飛べばいいのね」

 西園寺が、

「南陽から遼東に移ったニギハヤヒは除珂殷を建国しアグリ王朝を建てアグリナロシを名乗ったんだ。その頃、始皇帝が急死し秦帝国は脆くも滅亡し、権力の空白を埋める様に漢が勃興し帝国を建て周辺国の再編が始まる中、衛満が殷に大遼河を背にして漢の侵入を防ぎたいと申し入れ、殷はこれを入れ、衛満を大遼河と遼河の間に封じました。衛満は漢に説いて言いました。殷は秦の亡命者を匿っています、私はこれを滅して漢の郡を置き後患を断ちたいと申し入れます。漢は喜んで衛満に兵を与えます。衛満は殷を急襲し領土を奪い、漢は蒼海郡を置いて除珂殷を阻止しました。殷王は除珂殷に亡命し、秦族は半島に逃れ、殷は滅びます」

 香苗が、

「それから、どうなるんですか」

 西園寺が、

「アグリナロシは衛満の策謀に怒り、殷のために仇を討とうと思い漢に撤回を計り、漢は郡を置かないと約束し王印を与え誓いましたが、漢は楽浪郡と玄菟郡を置いたのでナロシは怒って自刃します」

 美佳が、

「それから」

 西園寺は続け、

「ナロシの子、アグリイサシは父の憤怒を思い、蒼海郡を襲い、郡主を切り殺し一族を率いてメソポタミアとペルシャ湾での縁を頼りウガヤ王朝が建国していた北扶余に合し、扶余は強大になったんだ」

 島津が続け、

「軍事力に勝るニギハヤヒ達は忽ち北扶余の実権を握り王権をウガヤ王朝から簒奪してしまいました。やむを得ずウガヤ王朝は東扶余に遷移しました。アグリイサシは名を改めて北扶余後期王朝の東明王と名乗りました」

 西園寺が、

「その後、東扶余で王権争いが生じ、他の七人王子と対立した朱蒙が卒本に亡命し建国していた高句麗が強大になり周辺諸国を略奪破壊で脅かし始めたので、ニギハヤヒ達はその膨張政策を嫌い二百四年、連合大船団を組み再び再び、アマツマラを船長に天の鳥船に乗り遼河を下り遥々渡海し、先に九州に亡命していた陜父の末裔を頼りバカンの多婆羅国に参入したんだ」

 美佳が、

「それから先は良く知っているは、東扶余王の罽須が高句麗王子五瀬命と共に公孫氏と同盟し博多と吉野ヶ里の大国主命の委奴国を攻撃、三年を掛けて勝利し、その勢いでニギハヤヒの多婆羅国を攻めるも弾き返され、東表国の仲介で和睦したのよ」

 香苗が、

「和睦に応じたニギハヤヒの尊は北扶余でウガヤ王家から奪った王権を変換しアグリの姓と十種神宝を奉呈するのよ」

 西園寺が、

「以後、これが三種の神器による天皇譲位の魁になり、そして、二代目大国主命の東遷と大和の秦王国の歴史の始まりになるんだ」

 美佳と香苗が、

「これで日本に帰れますね」

 島津が、

「早く、コメの飯と味噌汁を食いたいな」

「日出処の天子」54

 美佳が、

「マレー半島のクラ地峡ね。クアラルンプールから行くしかないのかな。遠いはね。空から見ましょうよ」

 香苗が、

「バンコック経由でクラ地峡の一番狭い所に近いラノーン空港行に乗れるは」

 西園寺が、

「ラノーン付近では早くから運河計画があったんだよ。そのルートで行こう」

 クラ地峡の上空から美佳が、

「ニギハヤヒ軍団は何故、地峡越えを選んだのかな、マラッカ海峡を通るルートもあるのに」

 島津が、

「ガンジス河口を出て季節風に乗ると眼下の海域までは簡単に来れるんだ。この先のマラッカ海峡は潮の流れが速く非常に狭隘で海賊の出没等危険が多いため安全を期したのかな」

 ラノーン空港に降り立って香苗が、

「クラ地峡は本当に細いはね。ニギハヤヒ軍団は向こう岸に船を集めて置いたのかな」

 西園寺が、

「それは考えられるな、軍団は岸伝いに北上してメナム川の河口に入り周辺のモン族モンクメールを従えて物部族の名を与え吐火羅国建て、メコン河口に移りオケオの港からメコン流域に入り文郎国を建国したんだ。これが前七世紀になるのかな」

 島津が、

「モンクメール物部氏の加入でニギハヤヒ軍団全ての顔触れが揃うんだね」

 美佳が、

「天神本記に三十二神、二十五部の神と書かれた軍団を率い饒速日尊、己に天照大神の紹を奉じ、乃ち天の磐船に乗りて大虚空翔けと描かれているわね。我らもバンコックに戻ってプノンペン空港に飛びますか」

 香苗が、

「プノンペン空港からホーチミン空港に行きましょう」

「日出処の天子」53

 デリーに到着して西園寺が、

「インダス文明の遺跡じゃないんだが、カルディアの製鉄カーストになったヒッタイト達の製鉄技術の象徴とも思える『錆びない鉄柱』を見ようよ」

 島津が、

「千五百年経っても錆びてないんだってね、行こう」

美佳が、

「ヒッタイト達のインド入りで各地に製鉄所が作られカルディア人にもアーリア人にも鉄製農具が行きわたりガンジス北側の硬い土壌の開墾が進み両者の東進は中流域から下流域に達し、下流側からもフェニキアのタルシシ船に乗って開拓者が入り、カルディア人のシャキー族がコーサラ国を、フェニキア人が中心になりマガタ国を建国したのよ」

 香苗が、

「後に、コーサラ国、別名アユダ国はヒッタイト繋がりで宇佐八幡の東表国が半島に建国した金官加羅の初代王金首露の求めに応じ、王女黄玉を嫁がせ、後に許太后と呼ばれたのよ。宇佐八幡の名前はヒッタイト王国の首都ハットウサに因んで名付けられたのよ」

 西園寺が、

「許はコーサラのことなんだ。更に後年、グブタ王朝が滅亡した時、クシャトリア達は漂流の旅に出て許太后の縁を頼り金官加羅から独立して強国となった新羅に入り外人部隊の傭兵軍団になり、新羅の軍事力の中枢を担い半島制覇の原動力になるんだ。ニギハヤヒ達はインド製塩カーストのアグリア族を吸収しアグリの姓を加えるんだ」

 島津が、

「カルディア人のシャキー族は前門のフェニキア系マガタ国、後門のアーリア人諸国の軍事的圧迫を嫌いロータルで合体したメルッハ族のアマツマラを船長に再び天の鳥船に乗りインドからマレー半島に向かうんだ。後に、シャキー族からシャカ族が興り釈迦の誕生に繋がるんだ。次はマレー半島に行こう」

「日出処の天子」52

 四人組はバーレーンのマナー空港からインドのムンバイに移動。島津が、

「カルディア人のバーレーン島出立はニギハヤヒ一族のプロト天の鳥船の処女航海になるね。それから、殷の時代を担った全ての倭人達のメソポタミアやペルシャ湾からの東遷の開始でもあるんだ。倭人達のオリエントからの東遷はセム族から出たユダヤ一族伸張の契機となりダビテがイスラエルを建国し、次のソロモンの時、最大版図となりタルシシ船のオーナーになり銅産地ソマリアのシバの女王ビルギースと出会い王子メリケリを生み、後の大物主王家の宗女卑弥呼の祖となるんだ。ロータル遺跡に行くのは何がいいかな」

 美佳が、

「空路か鉄路でアフマダーバードに行って、後は車かな」

 香苗が、

「特急で六時間、車で二時間よ」

 西園寺が、

「インドが誇る鉄道で行こう」

 一行はムンバイのセントラル駅に向かった。島津が、

「今夜はアフマダーバードに泊まりますか」

 美佳が、

「ロータルには良い宿泊施設が無いみたいね」

 香苗が、

「アフマダーバードホテルがいいんじゃない」

 西園寺が、

「そうしよう、ロータルでは宝石の加工貿易もしていたんだね」

 美佳が、

「光玉髄やラピスラズリの加工工場が作られていたのよ」

 ロータル遺跡に立った島津が、

「カルディアの海人達が通過した後、これだけの港湾施設が何で埋もれてしまったのかな」

 美佳が、

「メソポタミヤ文明、インダス文明が終焉を迎え海人達の中継貿易が終了したからよ」

 香苗が、

「ロータルの南で干拓が進み港が海から遠くなり使い勝手が悪くなったのと、付近一帯が隆起しているのも要因ね」

 西園寺が、

「ロータルに上陸したカルディア人のプール族は現地のメルッハ族と合体しヤードウ族を従えシャキィ族に変身、鉄鉱石を求めて内陸に入り、パンジャップ地方から南下してきたアーリア人と遭遇するんだ」

 島津が、

「両者は東進しながら凡そ五百年、親睦と抗争を重ねつつインド十六国時代の揺籃期をリードしていったんだ」

 美佳が、

「それが後に『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の大叙事詩を産むのね」

 香苗が、

「文明の成熟度はカルディア人シャキー族がアーリア人を上回っていたので、農耕技術や建設技術をカルディア人がアーリア人に伝授していたのよ、だけど習得が進むと共に抗争が始まったのよ」

 西園寺が、

「戦いはハングリー精神の強い方が勝つんだな。それじゃ、物語の中心地デリーに行こう」

 香苗が、

「アフマダーバードに戻って飛行機でデリーね」

 美佳が、

「世界遺産に登録されそうな女王井戸を見たいけどインダス文明の遺跡じゃないんでパスでいいわ」

「日出処の天子」51

 古代史サークルの四人はタクラマカン砂漠のホータンからクンシュラブ峠を越えフンザに入り、インダスを下りハラッパーとモヘンジョダロを巡り、アラビア海からペルシャ湾に入り、イシン、バビロンの都市国家遺跡を辿った。西園寺が、

「戻りはどうする。陸のシルクロードをウガヤ王家が辿ったルートを行くか、ニギハヤヒ王家が辿った海のシルクロードを行くか」

 島津が、

「我が家は丸に十の字だから、海のシルクロード」

 美佳が、

「卑弥呼は公孫氏大物主王家の宗女でサバの女王ビルギースの末裔だから、海のシルクロード」

 香苗が、

「ガドの猿田彦は陸だけど、移動が不便よね」

 西園寺が、

「シメオンの大国主も陸だが、ニギハヤヒが辿った海のシルクロードゆかりの地を辿って帰ることにします。まず、バーレーン島に行きます」

 美佳が、

「バーレーン島はメソポタミア文明期には海上交通の中継地として大いに栄えディルムン文明の中心地でディルムン島と呼ばれていたのよ」

 島津が、

「紀元前二千年頃からシュメールの都市国家に遊牧の民セム族が侵入を開始、バビロンやウルのシュメール人王侯貴族はディルムン島の自らの領地や別荘に一時退避したり、セム族と混血したりしながら離合集散を繰り返し、新たな民族、部族を形成したんだ」

 香苗が、

「早くからディルムン島を本拠地としたバビロンやウルのシュメール人はセム系のアモリ人と混血しカルディア人となり海の国を建て、同じ様な混血のフェニキア人はマカンを本拠地として海の民となり後背地のオマーンの銅産地を抱え、各地に銅を運び青銅器時代の隆盛期を担ったのよ。両者は、ある時は、滅んだシュメールの都市国家イシンの王侯貴族を殷に運び、ある時はアラム人達を交え共にアッシリアと戦い一度は勝利するもシャルマネサル二世に度々敗れ、アラム人は北方のトルコのヴァン湖周辺にウラルトゥ王国を建て、カルディアの海人はインドに向かい、フェニキアの海人は鉄器の登場で銅の輸出貿易が衰退すると鉄鉱石を求めてタルシシの採鉱船団を運航するようになったのよ。それが北九州の重藤海岸で大量の砂鉄層の発見に繋がり東表国の建国になるのよ」

 西園寺が、

「紀元前千二百年頃、ヒッタイトが滅亡し漂白する中、海の国のカルディア人は多くの製鉄の民ヒッタイト人を次々に吸収し、プール族に変身、インドのロータル港に向かったんだ。次はインドのロータルに行こう」

「日出処の天子」50

 道庭は柳井水道に取って返し、三郎叔父を労い、足庭の亡骸と後宮の女達と金銀財宝の搬送を指揮した。

 延べ三百艘に及ぶ搬送作戦を終えて飛鳥に戻った道庭の元に石工頭が殯と陵墓の候補地の報告に訪れた。

「足庭様の殯の地は斑鳩の近くの烏山が良いと存じます。太子様が爺の寺を建立すると仰ってます」

「そうか、そうしよう」

「陵墓の地は甘樫の丘の南に良い地が見付かりました」

「そうか、案内をしてくれ」

 甘樫丘の南、飛鳥の官衙の西に低い丘陵地が連なる一画に少し開けた場所があり、民家が点在していた。

「道庭様、こちらでございます。集落の住人には移り住んで頂きます」

「良い処じゃ。移り住みは丁寧に手厚く進めて下さい。当面は河内の弾殿の陵墓の完成に全力を注いで下さい」

 道庭は飛鳥の王宮を守ってくれた、三郎叔父の長子、小太郎を柳井水道に移し周芳国王を命じ、九州の守りの要とした。また、博多の鴻臚館に代わる施設を難波津に設け秦王国の新しい鴻臚館とし、三郎叔父を常駐させ責任者とした。琉球より三郎の三男が戻り父に付き外交の勉強を始めた。

 道庭は久し振りに太子と寛いでいた。

「父上、爺様の供養で斑鳩に寺を建立したいのですが」

「それは嬉しいの、恵慈殿にも相談して、飛鳥大寺を手掛けた棟梁達も元気で居ろう、声を掛けてよいぞ」

「はい、ありがとうございます。小さな寺を懸命に作ります」

「おお、爺様の喜ぶ顔が見えるようじゃ。そじゃ近々に立太子の儀を執り行おう。上宮聖徳と名乗って貰おう」

「ありがとうございます」

「そうじゃ、乗馬の稽古を始めておったの、弾殿が高句麗から持ち帰られた二郎叔父と揃いの私の馬具を引き継いで貰おう。私は檜隈の工人に作らせていた馬具が完成したのでそれを使おう」

「重ねて、ありがとうございます」

 翌年、高句麗に派遣していた駐在武官達が出雲経由で飛鳥に戻り道庭に報告した。

「大王様、隋の煬帝が百万の大軍を擁して高句麗に侵攻いたしましたが、乙巳文徳将軍に完膚なきまでに粉砕されました」

「ほう、詳しく聞かして下され」

「文徳将軍は隋軍の兵站に瑕疵ありと判じ、焦土作戦を取りながら態と退却し続け、隋軍を高句麗深く引き入れ、補給線を延びきらせ、薩水で補給不足に陥り疲労困憊した隋軍を包囲して殆ど全滅させました」

「おお、足庭様と弾殿の話によく出てきた乙巳将軍ですね」

「弾殿が戦の要諦を聞かれ、兵站が大事じゃと答えられた話です」

「乙巳将軍はその折の通りの作戦を実践された。痛快じゃな。これで当面、隋の我が国への侵攻は無くなりましたな。皆様は檜隈で鋭気を養って下され。ご苦労様でした」

 道庭は三郎叔父を呼び寄せ、外交政策を話し合った。

「筑紫の倭国との和平交渉を考えねばな」

「玄界灘に出るのに不自由でございます」

「宗像に仲介を頼むかな、畿内に入っている物部にも手伝っていただくかな」

「羅尾殿に下工作を頼みましょう。九州傀儡の連絡網は残っていると思います」

「そうだな、表の使者は中臣に頼もう。ウガヤ王家とニギハヤヒ王家の仲介をしたエビス王家の末裔じゃからな、その次は百済とも国交を結ぼう。中原には新しい国家ができよう、その時に邪魔立てされても詰まらんからな」

「新羅とは交易を継続してまいりましょう」

「鉄は必需品だからな。最近傭兵軍団が印度から入り軍事力が頓に上がっている様じゃ、気を付けて見て行こう」

「高句麗とは従前どおり、交易と駐在武官の派遣をいたしますか」

「やはり、早うに中原の動向を知る上で駐在武官の派遣は有効じゃ、継続しよう」

「日出処の天子」49

 春日の王宮に担ぎ込まれた足庭は既に絶命しており、太子と三郎は直ぐに九州撤収を決断し手配りを始めた。その頃、博多港に各地から増援部隊の兵を乗せた軍船が到着しており、足庭の亡骸の搬送と春日の王宮の撤収に掛かると共に、新着の兵を筑紫平野の戦線に送り込み殿戦を委ね、久留米の戦線から順次、兵を引かせ大宰府と春日の王宮の手前で後退を止め、停戦協議に入った。双方の人的被害を最小限に抑え、各地の柵の住民の平穏を図るため、食料や春日の王宮の財宝は残置した。

 玄界灘の制海権は握ったまま、最後の部隊の撤収まで全力を尽くし、足庭の亡骸は大型の軍船で柳井水道の王宮に搬送、太子も別の軍船で柳井水道を目指した。

 筑紫平野と春日の王宮を奪還した倭国、額田王は軍船を持たず俀国兵を追わず倭国内の鎮圧に専念した。

 柳井水道、奈良島に帰り着いた足庭の亡骸は太子ミチタリの手で殯がなされ、後宮の立后女御女官の悲しみに包みこまれた。

 太子ミチタリは足庭の殯を三郎叔父に委ね、大和飛鳥に帰還し東漢の族長に就任し、族長会議に臨んだ。

 蘇我氏の族長に就任していた鞍長が、

「殿戦を大過なく勤められたミチタリ殿が大王に適任と存ずる」

 弾に代わり西漢の族長を継いでいた息子の陣が、

「我もミチタリ殿を推挙いたす」

 春日の長が、

「ミチタリ殿は温厚で、既に子息が二人居り聡明じゃとか、問題あるまい」

 他の族長達も口々に賛意を唱え、河勝は

「皆様の意見は賜った。族長会議はミチタリ殿を大王に推挙いたす」

 大王就任を受託したミチタリは、

「都を柳井水道から此処、飛鳥の地に戻すと共に、国の名前も俀国から秦王国に戻します。我は道庭と改名いたします。皆様、宜しくお願い致します」