「日出処の天子」52

 四人組はバーレーンのマナー空港からインドのムンバイに移動。島津が、

「カルディア人のバーレーン島出立はニギハヤヒ一族のプロト天の鳥船の処女航海になるね。それから、殷の時代を担った全ての倭人達のメソポタミアやペルシャ湾からの東遷の開始でもあるんだ。倭人達のオリエントからの東遷はセム族から出たユダヤ一族伸張の契機となりダビテがイスラエルを建国し、次のソロモンの時、最大版図となりタルシシ船のオーナーになり銅産地ソマリアのシバの女王ビルギースと出会い王子メリケリを生み、後の大物主王家の宗女卑弥呼の祖となるんだ。ロータル遺跡に行くのは何がいいかな」

 美佳が、

「空路か鉄路でアフマダーバードに行って、後は車かな」

 香苗が、

「特急で六時間、車で二時間よ」

 西園寺が、

「インドが誇る鉄道で行こう」

 一行はムンバイのセントラル駅に向かった。島津が、

「今夜はアフマダーバードに泊まりますか」

 美佳が、

「ロータルには良い宿泊施設が無いみたいね」

 香苗が、

「アフマダーバードホテルがいいんじゃない」

 西園寺が、

「そうしよう、ロータルでは宝石の加工貿易もしていたんだね」

 美佳が、

「光玉髄やラピスラズリの加工工場が作られていたのよ」

 ロータル遺跡に立った島津が、

「カルディアの海人達が通過した後、これだけの港湾施設が何で埋もれてしまったのかな」

 美佳が、

「メソポタミヤ文明、インダス文明が終焉を迎え海人達の中継貿易が終了したからよ」

 香苗が、

「ロータルの南で干拓が進み港が海から遠くなり使い勝手が悪くなったのと、付近一帯が隆起しているのも要因ね」

 西園寺が、

「ロータルに上陸したカルディア人のプール族は現地のメルッハ族と合体しヤードウ族を従えシャキィ族に変身、鉄鉱石を求めて内陸に入り、パンジャップ地方から南下してきたアーリア人と遭遇するんだ」

 島津が、

「両者は東進しながら凡そ五百年、親睦と抗争を重ねつつインド十六国時代の揺籃期をリードしていったんだ」

 美佳が、

「それが後に『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の大叙事詩を産むのね」

 香苗が、

「文明の成熟度はカルディア人シャキー族がアーリア人を上回っていたので、農耕技術や建設技術をカルディア人がアーリア人に伝授していたのよ、だけど習得が進むと共に抗争が始まったのよ」

 西園寺が、

「戦いはハングリー精神の強い方が勝つんだな。それじゃ、物語の中心地デリーに行こう」

 香苗が、

「アフマダーバードに戻って飛行機でデリーね」

 美佳が、

「世界遺産に登録されそうな女王井戸を見たいけどインダス文明の遺跡じゃないんでパスでいいわ」

「日出処の天子」51

 古代史サークルの四人はタクラマカン砂漠のホータンからクンシュラブ峠を越えフンザに入り、インダスを下りハラッパーとモヘンジョダロを巡り、アラビア海からペルシャ湾に入り、イシン、バビロンの都市国家遺跡を辿った。西園寺が、

「戻りはどうする。陸のシルクロードをウガヤ王家が辿ったルートを行くか、ニギハヤヒ王家が辿った海のシルクロードを行くか」

 島津が、

「我が家は丸に十の字だから、海のシルクロード」

 美佳が、

「卑弥呼は公孫氏大物主王家の宗女でサバの女王ビルギースの末裔だから、海のシルクロード」

 香苗が、

「ガドの猿田彦は陸だけど、移動が不便よね」

 西園寺が、

「シメオンの大国主も陸だが、ニギハヤヒが辿った海のシルクロードゆかりの地を辿って帰ることにします。まず、バーレーン島に行きます」

 美佳が、

「バーレーン島はメソポタミア文明期には海上交通の中継地として大いに栄えディルムン文明の中心地でディルムン島と呼ばれていたのよ」

 島津が、

「紀元前二千年頃からシュメールの都市国家に遊牧の民セム族が侵入を開始、バビロンやウルのシュメール人王侯貴族はディルムン島の自らの領地や別荘に一時退避したり、セム族と混血したりしながら離合集散を繰り返し、新たな民族、部族を形成したんだ」

 香苗が、

「早くからディルムン島を本拠地としたバビロンやウルのシュメール人はセム系のアモリ人と混血しカルディア人となり海の国を建て、同じ様な混血のフェニキア人はマカンを本拠地として海の民となり後背地のオマーンの銅産地を抱え、各地に銅を運び青銅器時代の隆盛期を担ったのよ。両者は、ある時は、滅んだシュメールの都市国家イシンの王侯貴族を殷に運び、ある時はアラム人達を交え共にアッシリアと戦い一度は勝利するもシャルマネサル二世に度々敗れ、アラム人は北方のトルコのヴァン湖周辺にウラルトゥ王国を建て、カルディアの海人はインドに向かい、フェニキアの海人は鉄器の登場で銅の輸出貿易が衰退すると鉄鉱石を求めてタルシシの採鉱船団を運航するようになったのよ。それが北九州の重藤海岸で大量の砂鉄層の発見に繋がり東表国の建国になるのよ」

 西園寺が、

「紀元前千二百年頃、ヒッタイトが滅亡し漂白する中、海の国のカルディア人は多くの製鉄の民ヒッタイト人を次々に吸収し、プール族に変身、インドのロータル港に向かったんだ。次はインドのロータルに行こう」

「日出処の天子」50

 道庭は柳井水道に取って返し、三郎叔父を労い、足庭の亡骸と後宮の女達と金銀財宝の搬送を指揮した。

 延べ三百艘に及ぶ搬送作戦を終えて飛鳥に戻った道庭の元に石工頭が殯と陵墓の候補地の報告に訪れた。

「足庭様の殯の地は斑鳩の近くの烏山が良いと存じます。太子様が爺の寺を建立すると仰ってます」

「そうか、そうしよう」

「陵墓の地は甘樫の丘の南に良い地が見付かりました」

「そうか、案内をしてくれ」

 甘樫丘の南、飛鳥の官衙の西に低い丘陵地が連なる一画に少し開けた場所があり、民家が点在していた。

「道庭様、こちらでございます。集落の住人には移り住んで頂きます」

「良い処じゃ。移り住みは丁寧に手厚く進めて下さい。当面は河内の弾殿の陵墓の完成に全力を注いで下さい」

 道庭は飛鳥の王宮を守ってくれた、三郎叔父の長子、小太郎を柳井水道に移し周芳国王を命じ、九州の守りの要とした。また、博多の鴻臚館に代わる施設を難波津に設け秦王国の新しい鴻臚館とし、三郎叔父を常駐させ責任者とした。琉球より三郎の三男が戻り父に付き外交の勉強を始めた。

 道庭は久し振りに太子と寛いでいた。

「父上、爺様の供養で斑鳩に寺を建立したいのですが」

「それは嬉しいの、恵慈殿にも相談して、飛鳥大寺を手掛けた棟梁達も元気で居ろう、声を掛けてよいぞ」

「はい、ありがとうございます。小さな寺を懸命に作ります」

「おお、爺様の喜ぶ顔が見えるようじゃ。そじゃ近々に立太子の儀を執り行おう。上宮聖徳と名乗って貰おう」

「ありがとうございます」

「そうじゃ、乗馬の稽古を始めておったの、弾殿が高句麗から持ち帰られた二郎叔父と揃いの私の馬具を引き継いで貰おう。私は檜隈の工人に作らせていた馬具が完成したのでそれを使おう」

「重ねて、ありがとうございます」

 翌年、高句麗に派遣していた駐在武官達が出雲経由で飛鳥に戻り道庭に報告した。

「大王様、隋の煬帝が百万の大軍を擁して高句麗に侵攻いたしましたが、乙巳文徳将軍に完膚なきまでに粉砕されました」

「ほう、詳しく聞かして下され」

「文徳将軍は隋軍の兵站に瑕疵ありと判じ、焦土作戦を取りながら態と退却し続け、隋軍を高句麗深く引き入れ、補給線を延びきらせ、薩水で補給不足に陥り疲労困憊した隋軍を包囲して殆ど全滅させました」

「おお、足庭様と弾殿の話によく出てきた乙巳将軍ですね」

「弾殿が戦の要諦を聞かれ、兵站が大事じゃと答えられた話です」

「乙巳将軍はその折の通りの作戦を実践された。痛快じゃな。これで当面、隋の我が国への侵攻は無くなりましたな。皆様は檜隈で鋭気を養って下され。ご苦労様でした」

 道庭は三郎叔父を呼び寄せ、外交政策を話し合った。

「筑紫の倭国との和平交渉を考えねばな」

「玄界灘に出るのに不自由でございます」

「宗像に仲介を頼むかな、畿内に入っている物部にも手伝っていただくかな」

「羅尾殿に下工作を頼みましょう。九州傀儡の連絡網は残っていると思います」

「そうだな、表の使者は中臣に頼もう。ウガヤ王家とニギハヤヒ王家の仲介をしたエビス王家の末裔じゃからな、その次は百済とも国交を結ぼう。中原には新しい国家ができよう、その時に邪魔立てされても詰まらんからな」

「新羅とは交易を継続してまいりましょう」

「鉄は必需品だからな。最近傭兵軍団が印度から入り軍事力が頓に上がっている様じゃ、気を付けて見て行こう」

「高句麗とは従前どおり、交易と駐在武官の派遣をいたしますか」

「やはり、早うに中原の動向を知る上で駐在武官の派遣は有効じゃ、継続しよう」

「日出処の天子」49

 春日の王宮に担ぎ込まれた足庭は既に絶命しており、太子と三郎は直ぐに九州撤収を決断し手配りを始めた。その頃、博多港に各地から増援部隊の兵を乗せた軍船が到着しており、足庭の亡骸の搬送と春日の王宮の撤収に掛かると共に、新着の兵を筑紫平野の戦線に送り込み殿戦を委ね、久留米の戦線から順次、兵を引かせ大宰府と春日の王宮の手前で後退を止め、停戦協議に入った。双方の人的被害を最小限に抑え、各地の柵の住民の平穏を図るため、食料や春日の王宮の財宝は残置した。

 玄界灘の制海権は握ったまま、最後の部隊の撤収まで全力を尽くし、足庭の亡骸は大型の軍船で柳井水道の王宮に搬送、太子も別の軍船で柳井水道を目指した。

 筑紫平野と春日の王宮を奪還した倭国、額田王は軍船を持たず俀国兵を追わず倭国内の鎮圧に専念した。

 柳井水道、奈良島に帰り着いた足庭の亡骸は太子ミチタリの手で殯がなされ、後宮の立后女御女官の悲しみに包みこまれた。

 太子ミチタリは足庭の殯を三郎叔父に委ね、大和飛鳥に帰還し東漢の族長に就任し、族長会議に臨んだ。

 蘇我氏の族長に就任していた鞍長が、

「殿戦を大過なく勤められたミチタリ殿が大王に適任と存ずる」

 弾に代わり西漢の族長を継いでいた息子の陣が、

「我もミチタリ殿を推挙いたす」

 春日の長が、

「ミチタリ殿は温厚で、既に子息が二人居り聡明じゃとか、問題あるまい」

 他の族長達も口々に賛意を唱え、河勝は

「皆様の意見は賜った。族長会議はミチタリ殿を大王に推挙いたす」

 大王就任を受託したミチタリは、

「都を柳井水道から此処、飛鳥の地に戻すと共に、国の名前も俀国から秦王国に戻します。我は道庭と改名いたします。皆様、宜しくお願い致します」

「日出処の天子」48

 紅葉に彩られた柳井水道の王宮に春日の竹斯王のミチタリからの急使が辷り込んできた。

「足庭様、日田の奥の九重山中で不穏な動きがみられます。倭国の挙兵と考えられます」

「羅尾、飛鳥と出雲国と文身国に出兵の連絡をして下され。留守を頼むぞ」

「畏まりました」

「三郎、高句麗の坂上隊に帰還を指示して下され」

「早急にいたします」

「三郎、琉球の息子さんにも帰国を指示して下さい」

「畏まりました」

「それから、豊の国に出向いて、殯の次郎を急ぎ埋葬して下さい。そして、愛用の馬具も一緒に葬ってください」

 足庭は身狭隊を引き連れ竹斯への急行を段取りすると共に北九州各地に戦闘準備指令を出した。玄界灘に掛かる時、宗像氏と海上警備の強化を協議し、半島からの百済兵阻止を依頼した。

 足庭は数日後、春日の王宮に入り、太子ミチタリと状況確認を行っていた。

「父上、倭国の挙兵は間違いありません。大宰府と日田の柵の間に兵三百を駐屯させました」

「有明海の監視が必要だな、柳川にも兵を出そう」

 北九州各地からの兵の参着が陸続と始まっていた。

「末盧国から西漢の部隊が到着しました」

「豊の国から東漢の部隊が到着しました」

 足庭が、

「歓迎の閲兵をする。整列させて下され」

 翌日も兵の参着が続いた。

「宇佐八幡から蘇我隊と中臣隊が到着しました」

 歓迎の閲兵を終えた足庭は太子と各隊の隊長を集め軍議を開き、

「日田から久留米の間の山間部は菊池や阿蘇から近く、何処から倭国の兵が付き出すやも知れぬ、物見を常に出そう」

 九重山中の倭国の柵でも兵の参着が続き、軍議が開かれていた。

「足庭を射止める事に集中しよう」

「弾も次郎も坂上の主力部隊も居ない今、足庭は前線に出てきましょう。きっと命を奪う機会があろう」

「弓隊を物部の主力部隊の後ろに付けよう」

 同じ頃、春日の王宮に三郎が豊国王二郎の埋葬を終え駆け付けた。

「足庭様、豊国王の埋葬は恙なく終えました」

「馬具は一緒に埋葬出来たか」

「大国様の一族が残した前方後円墳が未完でしたので、それに納めました。馬具も周辺に埋めて参りました」

「そうか、上首尾じゃった。太子、乱戦になるやも知れん、二人が共倒れすると混乱を来たす故、太子は春日の王宮で総指揮を執って下され。三郎殿は太子を補佐して下され」

 参着した兵数が八千を超える頃、倭国の兵数も七千に達していた。暫くは互いの様子を探る膠着状態が続いていたが、倭国軍が日田や久留米に向けて進軍を始め、その間の山間部の谷間からも筑紫平野に押し出す様相を見せた。

 物見の報告を受けた足庭が直ちに軍議を招集し、

「日田から久留米の間に兵を展開する。身狭隊を先頭に各隊は手筈通りに進発されたい」

 足庭は中軍右列に入り共に進軍していた。敵を攪乱するためもあり各隊々長と同じ軍装で乗馬していた。

 倭国軍の展開を待って、俀国軍は攻撃を開始した。倭国の斥候は足庭の所在確認に全力を費やし中軍の隊長一人を足庭と特定した。

 倭国の主力部隊を形成する物部軍団は足庭が指揮する中軍一隊の攻撃に集中し始めた。

 俀国東漢主力部隊の杖刀兵も応戦を始め急な乱戦模様となった。両軍互角の鬩ぎ合が続く中、足庭と親衛隊も前進し後詰に入り始めると、倭国の白丁隼の弓隊がひっそりと前進し間合いを詰めていった。その動きを見て足庭も旗下の弓隊に前進を命じ、自身は下馬し杖刀の乱戦に加わり大上段から杖刀を振るい敵を打ち据え始めた。見計らうように白丁隼人の弓隊は足庭を狙って集中的に矢を放って行った。東漢の弓隊も白丁隼人の弓隊を目掛けて一斉に矢を放った。白丁隼人の弓隊の半数ほどは盾で矢を防ぎ他の半数が尚も足庭目掛けて矢を放ち続けた。

 足庭は降り注ぐ矢嵐を物ともせず杖刀を振るい物部の強兵を打ち据えていたが、一本の矢が兜の隙間を縫い足庭の顔に命中した。その一瞬の隙に物部の強兵の刀が足庭の首に討ち込まれた。気付いた親衛隊が直ぐに足庭の両脇から腕の下に肩を入れ急ぎ乱戦のはざまを逃れ馬の背に乗せ春日の王宮を目指した。

「日出処の天子」47

 古代史サークルOB四人の旅はホータンからサマルカンドを抜けクンシュラブ峠を越えフンザに入った。フンザ川の谷間は棚田の新緑と杏子の花が見事に調和していた。

 西園寺が、島津に、

「一万二千年前にタリム盆地のモンゴロイドがクンシュラブ峠を踏破したのは奇跡だな」

「生き抜くために必死だったんだよ」

 美佳が香苗に、

「宮崎駿が此処をイメージして、風の谷のナウシカを描いたって、ピッタリね」

「ジプリは否定したけど、さもありなんの風景ね」

 西園寺が、

「スメルを自称しシュメール人と呼ばれたモンゴロイドの一団は凡そ五千年をかけてフンザ川とギルギット川からインダスを下りアラビア海に出るんだ、途中、ハラッパーやモヘンジョダロにプレインダス文明の足跡を残すんだ」

 島津は、

「都市計画的な街づくりを始めており下水道も作られていたんだ」

 美佳が、

「メソポタミアの都市国家作りの習作になったかもね」

 香苗が、

「数千年後、ハラッパーやモヘンジョダロはシュメールの植民都市になるのよね」

 西園寺が、

「その植民都市がインダス文明の遺跡として残ったんだ」

 島津が、

「その時にはドラヴィタ族が地中海方面から移動してきておりインダスの植民都市定住したんだ」

 美佳が、

「BC二千年前後から遊牧の民、セム族達がメソポタミア・シュメールの都市国家に侵入し、BC千五百年頃にはアーリア人がインダスに侵入したためインダスの植民都市は略奪や資源の枯渇により放棄され、ドラヴィタ族はインド南西部に移動したのよ」

 早苗が、

「メソポタミアのシュメール人もセム族達の圧迫に抗しきれず東遷を開始したもの、セム族と混合混血し離合集散を繰り返し、都市国家を再興したもの、海の国を興したもの、トルコのヴァン湖周辺に建国したもの、複雑多岐な興亡も、新興国アッシリア等に押し出され、殆どのシュメール族は陸のシルクロードと海のシルクロードを東遷したのね」

 西園寺が、

「シュメールの都市国家を再興したイシンは再びセム族に亡ぼされ、海の国を興したカルディア人の助けを得て、殷末期の北支に入り箕氏となり。トルコのヴァン湖周辺に建国したウラルトゥ王朝はアッシリアの圧迫にウガヤ王朝に変身、陸のシルクロードを東遷し北支に大扶余国を建国し秦帝国の圧迫で満州に移り北扶余を建国し伯族と呼ばれ。海の国のカルディア人はヒッタイト人を従えプール族となり、海のシルクロードを東遷しインドでシャキー族となり後のシャカを生み、ベトナムでは文郎国を作り、中国の南陽で製鉄部族「宛の徐」となり、秦帝国の圧迫で北支に移りアグリ王朝の「徐珂殷」を建国し濊族と呼ばれたんだ」

「日出処の天子」46

 その秋、悲報が飛び込んだ。夜麻苔の平群から早飛脚が、静養していた弾の急逝を知らせた。足庭は直ちに平群の里に急行し、殯の宮に安置された竹馬の友を悼んだ。西漢の本拠地河内の百舌に陵の建設が決められた。足庭は東漢の石工の総動員を指示した。

 柳井水道の王宮に戻った足庭に更なる悲報が待っていた。豊国王の次郎が不慮の事故で逝去したとの知らせ。足庭は王座を温める間もなく豊の国に赴き殯の儀式に参列した。

 翌春、隋は琉球に朝貢を促す軍を催し再び略奪した。そして、高句麗遠征の準備に再び着手した。

 足庭は三郎と協議を重ね苦渋の決断をした。

「隋と国交を断絶します。手続きをして下され」

「可及的速やかに手配いたします」

 煬帝は鴻臚卿に俀国との国交断絶を周辺国に通知させた。

 百済の余泉章が慌ただしく九重山系の山間に入り倭国、額田王の柵を訪ねた。

「額田王様、俀国が隋と国交を断絶しました」

 脇に控えた多治比広手が笑みを浮かべて、

「女王様、千載一隅の機会が参りました。風の噂では弾と次郎が身罷ったと」

「広手、丁度十年じゃな。直ぐに確認を取って下さい。それから各地の安羅人、伯族、濊族と物部一族と白丁隼人に戦闘準備指令を出して下さい」

 泉章が、

「百済に渡った物部の一族にも少し手伝わせましょう」

 広手が、

「人吉の相良、日向の西都原、肥後の菊池、薩摩の各地に至急手配をいたします」

「日出処の天子」45

 再び昇殿した裴清と相見えた足庭は、

「高句麗と琉球は友好国として交流しております。お手柔らかにお扱い賜り仲良くして下され」

「琉球は使者を派遣しても纏ろわず、高句麗は我が辺境を侵しており赦されない」

「琉球は国体が定まらず朝貢するだけの力がありませぬ、良しなに」

「それは適わぬ。それより夜麻苔の飛鳥を早う見せて下され」

「此処、柳井水道は海産物が殊のほか美味です。十分にお召し上がり下さい。その間に船の用意も整いましょう」

「渡り蟹が美味しいそうじゃな」

「羅尾、料理と舞姫を此れえ」

 三日後、瀬戸内を東へ向かう裴清の船旅は船泊を重ねながら若草色に染まった棚田や平田や溜池を左手に見ながら軽快に進んだ。

 前方に巨大な島影見え、裴清が、

「あれは何処じゃ」

「淡路島と呼ばれております。左手の明石海峡を抜けると茅渟の海でございます。そこから飛鳥はすぐです」

 茅渟の海から内海の河内湾に入り日下の津で船泊した裴清は傀儡館で一夜を過ごし大和川を遡上した。

 裴清は羅尾に、

「帰路も日下の津を通りますか」

「お望みであれば」

 亀の瀬で小舟に乗り換え飛鳥に到着した裴清は鴻臚卿三郎の長男で秦王国の王を務める小太郎に迎えられた。

「長旅お疲れ様です。鴻臚卿三郎長男の小太郎です」

「三郎殿のご子息か、よく似ておられる。飛鳥を見せて頂くよろしくお願いします」

「ご案内は引き続き羅尾が務めますが、先ずは暫しお寛ぎ下さい」

 官衙で休息した後、直ちに羅尾の案内で飛鳥大寺を訪れ、西門を抜け、槻の森から甘樫の丘を登り、

「裴清様、右手奥に見えます大きな方墳が先代広庭様の陵墓です。右手の山が三輪山です。その手前の建物群が先々代の十四代大国主様迄が住まわれていた纏向の旧都で、その周辺の多くの墳墓が二代様以降、十四代様迄の代々の大王陵です」

「すると足庭は十六代かな。隋も十代、二十代と続けば良いのじゃが」

 裴清と羅尾は駆けるように飛鳥を巡り、飛ぶように瀬戸内を辷り、柳井水道の王宮に戻った。足庭は送別の宴を設け裴清を労い、帰還する裴清に使者を隋伴させ方物を隋に貢献した。

 裴清は煬帝に召され報告した。

「俀国、侮りがたし」

「日出処の天子」44

 裴清は秋を待たず俀国使節団と共に俀国に向かった。対馬、壱岐を辿り、末羅半島を南に見ながら博多那の津に入り鴻臚館で三郎の出迎えを受けた。

「裴清殿、遠路の旅お疲れ様です。遥か日出る国にお越し賜りありがとうございます。鴻臚卿務めております、天子足庭の弟、三郎と申します。ご案内をさせて頂きます」

「俀国の都は未だ遠いのか」

「ここは俀国の玄関口、竹斯国でございます。これより以東は何れも俀国に附庸しており、都までは海路で三日程掛かります。都は瀬戸内海の要衝柳井水道にございます。歓迎の準備が整いますまで、こちらで暫しお寛ぎ下さい」

「都は夜麻苔の飛鳥ではなかったのか」

「先年、この地、竹斯国を三百年振りに奪還するため戦略上、瀬戸内水運の要衝、柳井水道に遷都いたしました。飛鳥には何れご案内をいたします」

「南に火の山あるそうじゃな」

「阿蘇山という大きな火山がございます。バカンという港を持ちます多婆羅国にあります。多婆羅国も俀に属しており、今は肥後の国と呼んでおります」

「末盧国は近いのか」

「西に一山超えれば眼下に見えます。末盧国も俀に附庸しております。明日は竹斯国の王を務めております、天子足庭の太子ミチタリが春日の王宮で歓迎の宴を催しますので、お楽しみください」

「倭国の王都が有った処かな」

「よくご存じですね。次の日には東隣にあります豊の国の王を務めております、天子足庭の弟、我の兄になります次郎が馬にてご案内をいたします」

「太子ミチタリには子はおるのか」

「長男と次男が既に育っております」

「それは重畳」

 緑青色の島々が春霞に煙る瀬戸内を辷り周防灘を麻里布の浦から柳井水道に入り奈良島の王宮に昇った裴清は天子足庭に見えた。

「隋大使、従八品、文林郎の裴清と申します」

「よう参られた。俀国の天子足庭です。海西に大隋、礼儀の国ありと聞こえました故、使節を派遣し朝貢いたしました。我は夷人にして海隅の辺境に住まいし礼儀を弁えませぬ故、境内に留まり、すぐにはお会いせず、殊更に道を清め、館を飾り大使をお待ちしました。願わくば大国惟心の化をお聞かせください」

「皇帝の徳は併せて二義、恩恵は四海に流れ、王を慕うを以って化し、故に使者を来たらしめ、ここに論を宣します」

 裴清は宿所に一旦下がり、人を遣わし、足庭に奏した。

「朝命は既に伝達をいたしましたので道を戒めてください」

 足庭は直ちに宴を設け裴清を招き饗応した。

「日出処の天子」43

 博多湾を廻る棚田の畔に菜の花が咲き乱れ、玄界灘を南風が吹き渡る頃、足庭は第二回遣隋使を博多那の津から出立させた。

 船団は宗像船の先導で壱岐、対馬を経由し半島西岸を北上、百済、高句麗沿岸を船泊しながら進み、遼東半島沿いを西に向かい、山東半島との間を抜け渤海湾から黄河に入り遡上した。文帝、煬帝が開削した大運河は隋都大興城までの船旅を可能にしていた。

 大興城に入った使節団は都を貫く朱雀大路を北に進み、東側を仏教寺院、西側を道教の幻都観が建ち並ぶ街区を抜け宮殿に昇り、国書を提出した。官吏は国書を取次ぎ煬帝の側近が読み上げ始めた、

「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」

 煬帝が顔を歪め、

「東海の野蛮国が天子を名乗るとは、身の程知らずめ、まあ良い使者に要件を聞け」

 官吏が使者に用向きを述べさせると、

「開西の菩薩天子重ねて仏法を興さると聞き、故に遣わして拝聴せしめ、兼ねて沙門数十人来たりて仏法を学ばんとす」

 更に使者は、高句麗や琉球との親交を伝え親善国としての立ち位置を述べた。

 煬帝は使者を下がらせて、従八品で文林郎の裴清を呼び寄せ、

「高句麗が片付いたら俀国を討伐する。俀国に疾く赴き国情を具に偵察し、速やかに報告せよ」