「日出処の天子」48

 紅葉に彩られた柳井水道の王宮に春日の竹斯王のミチタリからの急使が辷り込んできた。

「足庭様、日田の奥の九重山中で不穏な動きがみられます。倭国の挙兵と考えられます」

「羅尾、飛鳥と出雲国と文身国に出兵の連絡をして下され。留守を頼むぞ」

「畏まりました」

「三郎、高句麗の坂上隊に帰還を指示して下され」

「早急にいたします」

「三郎、琉球の息子さんにも帰国を指示して下さい」

「畏まりました」

「それから、豊の国に出向いて、殯の次郎を急ぎ埋葬して下さい。そして、愛用の馬具も一緒に葬ってください」

 足庭は身狭隊を引き連れ竹斯への急行を段取りすると共に北九州各地に戦闘準備指令を出した。玄界灘に掛かる時、宗像氏と海上警備の強化を協議し、半島からの百済兵阻止を依頼した。

 足庭は数日後、春日の王宮に入り、太子ミチタリと状況確認を行っていた。

「父上、倭国の挙兵は間違いありません。大宰府と日田の柵の間に兵三百を駐屯させました」

「有明海の監視が必要だな、柳川にも兵を出そう」

 北九州各地からの兵の参着が陸続と始まっていた。

「末盧国から西漢の部隊が到着しました」

「豊の国から東漢の部隊が到着しました」

 足庭が、

「歓迎の閲兵をする。整列させて下され」

 翌日も兵の参着が続いた。

「宇佐八幡から蘇我隊と中臣隊が到着しました」

 歓迎の閲兵を終えた足庭は太子と各隊の隊長を集め軍議を開き、

「日田から久留米の間の山間部は菊池や阿蘇から近く、何処から倭国の兵が付き出すやも知れぬ、物見を常に出そう」

 九重山中の倭国の柵でも兵の参着が続き、軍議が開かれていた。

「足庭を射止める事に集中しよう」

「弾も次郎も坂上の主力部隊も居ない今、足庭は前線に出てきましょう。きっと命を奪う機会があろう」

「弓隊を物部の主力部隊の後ろに付けよう」

 同じ頃、春日の王宮に三郎が豊国王二郎の埋葬を終え駆け付けた。

「足庭様、豊国王の埋葬は恙なく終えました」

「馬具は一緒に埋葬出来たか」

「大国様の一族が残した前方後円墳が未完でしたので、それに納めました。馬具も周辺に埋めて参りました」

「そうか、上首尾じゃった。太子、乱戦になるやも知れん、二人が共倒れすると混乱を来たす故、太子は春日の王宮で総指揮を執って下され。三郎殿は太子を補佐して下され」

 参着した兵数が八千を超える頃、倭国の兵数も七千に達していた。暫くは互いの様子を探る膠着状態が続いていたが、倭国軍が日田や久留米に向けて進軍を始め、その間の山間部の谷間からも筑紫平野に押し出す様相を見せた。

 物見の報告を受けた足庭が直ちに軍議を招集し、

「日田から久留米の間に兵を展開する。身狭隊を先頭に各隊は手筈通りに進発されたい」

 足庭は中軍右列に入り共に進軍していた。敵を攪乱するためもあり各隊々長と同じ軍装で乗馬していた。

 倭国軍の展開を待って、俀国軍は攻撃を開始した。倭国の斥候は足庭の所在確認に全力を費やし中軍の隊長一人を足庭と特定した。

 倭国の主力部隊を形成する物部軍団は足庭が指揮する中軍一隊の攻撃に集中し始めた。

 俀国東漢主力部隊の杖刀兵も応戦を始め急な乱戦模様となった。両軍互角の鬩ぎ合が続く中、足庭と親衛隊も前進し後詰に入り始めると、倭国の白丁隼の弓隊がひっそりと前進し間合いを詰めていった。その動きを見て足庭も旗下の弓隊に前進を命じ、自身は下馬し杖刀の乱戦に加わり大上段から杖刀を振るい敵を打ち据え始めた。見計らうように白丁隼人の弓隊は足庭を狙って集中的に矢を放って行った。東漢の弓隊も白丁隼人の弓隊を目掛けて一斉に矢を放った。白丁隼人の弓隊の半数ほどは盾で矢を防ぎ他の半数が尚も足庭目掛けて矢を放ち続けた。

 足庭は降り注ぐ矢嵐を物ともせず杖刀を振るい物部の強兵を打ち据えていたが、一本の矢が兜の隙間を縫い足庭の顔に命中した。その一瞬の隙に物部の強兵の刀が足庭の首に討ち込まれた。気付いた親衛隊が直ぐに足庭の両脇から腕の下に肩を入れ急ぎ乱戦のはざまを逃れ馬の背に乗せ春日の王宮を目指した。

「日出処の天子」47

 古代史サークルOB四人の旅はホータンからサマルカンドを抜けクンシュラブ峠を越えフンザに入った。フンザ川の谷間は棚田の新緑と杏子の花が見事に調和していた。

 西園寺が、島津に、

「一万二千年前にタリム盆地のモンゴロイドがクンシュラブ峠を踏破したのは奇跡だな」

「生き抜くために必死だったんだよ」

 美佳が香苗に、

「宮崎駿が此処をイメージして、風の谷のナウシカを描いたって、ピッタリね」

「ジプリは否定したけど、さもありなんの風景ね」

 西園寺が、

「スメルを自称しシュメール人と呼ばれたモンゴロイドの一団は凡そ五千年をかけてフンザ川とギルギット川からインダスを下りアラビア海に出るんだ、途中、ハラッパーやモヘンジョダロにプレインダス文明の足跡を残すんだ」

 島津は、

「都市計画的な街づくりを始めており下水道も作られていたんだ」

 美佳が、

「メソポタミアの都市国家作りの習作になったかもね」

 香苗が、

「数千年後、ハラッパーやモヘンジョダロはシュメールの植民都市になるのよね」

 西園寺が、

「その植民都市がインダス文明の遺跡として残ったんだ」

 島津が、

「その時にはドラヴィタ族が地中海方面から移動してきておりインダスの植民都市定住したんだ」

 美佳が、

「BC二千年前後から遊牧の民、セム族達がメソポタミア・シュメールの都市国家に侵入し、BC千五百年頃にはアーリア人がインダスに侵入したためインダスの植民都市は略奪や資源の枯渇により放棄され、ドラヴィタ族はインド南西部に移動したのよ」

 早苗が、

「メソポタミアのシュメール人もセム族達の圧迫に抗しきれず東遷を開始したもの、セム族と混合混血し離合集散を繰り返し、都市国家を再興したもの、海の国を興したもの、トルコのヴァン湖周辺に建国したもの、複雑多岐な興亡も、新興国アッシリア等に押し出され、殆どのシュメール族は陸のシルクロードと海のシルクロードを東遷したのね」

 西園寺が、

「シュメールの都市国家を再興したイシンは再びセム族に亡ぼされ、海の国を興したカルディア人の助けを得て、殷末期の北支に入り箕氏となり。トルコのヴァン湖周辺に建国したウラルトゥ王朝はアッシリアの圧迫にウガヤ王朝に変身、陸のシルクロードを東遷し北支に大扶余国を建国し秦帝国の圧迫で満州に移り北扶余を建国し伯族と呼ばれ。海の国のカルディア人はヒッタイト人を従えプール族となり、海のシルクロードを東遷しインドでシャキー族となり後のシャカを生み、ベトナムでは文郎国を作り、中国の南陽で製鉄部族「宛の徐」となり、秦帝国の圧迫で北支に移りアグリ王朝の「徐珂殷」を建国し濊族と呼ばれたんだ」

「日出処の天子」46

 その秋、悲報が飛び込んだ。夜麻苔の平群から早飛脚が、静養していた弾の急逝を知らせた。足庭は直ちに平群の里に急行し、殯の宮に安置された竹馬の友を悼んだ。西漢の本拠地河内の百舌に陵の建設が決められた。足庭は東漢の石工の総動員を指示した。

 柳井水道の王宮に戻った足庭に更なる悲報が待っていた。豊国王の次郎が不慮の事故で逝去したとの知らせ。足庭は王座を温める間もなく豊の国に赴き殯の儀式に参列した。

 翌春、隋は琉球に朝貢を促す軍を催し再び略奪した。そして、高句麗遠征の準備に再び着手した。

 足庭は三郎と協議を重ね苦渋の決断をした。

「隋と国交を断絶します。手続きをして下され」

「可及的速やかに手配いたします」

 煬帝は鴻臚卿に俀国との国交断絶を周辺国に通知させた。

 百済の余泉章が慌ただしく九重山系の山間に入り倭国、額田王の柵を訪ねた。

「額田王様、俀国が隋と国交を断絶しました」

 脇に控えた多治比広手が笑みを浮かべて、

「女王様、千載一隅の機会が参りました。風の噂では弾と次郎が身罷ったと」

「広手、丁度十年じゃな。直ぐに確認を取って下さい。それから各地の安羅人、伯族、濊族と物部一族と白丁隼人に戦闘準備指令を出して下さい」

 泉章が、

「百済に渡った物部の一族にも少し手伝わせましょう」

 広手が、

「人吉の相良、日向の西都原、肥後の菊池、薩摩の各地に至急手配をいたします」

「日出処の天子」45

 再び昇殿した裴清と相見えた足庭は、

「高句麗と琉球は友好国として交流しております。お手柔らかにお扱い賜り仲良くして下され」

「琉球は使者を派遣しても纏ろわず、高句麗は我が辺境を侵しており赦されない」

「琉球は国体が定まらず朝貢するだけの力がありませぬ、良しなに」

「それは適わぬ。それより夜麻苔の飛鳥を早う見せて下され」

「此処、柳井水道は海産物が殊のほか美味です。十分にお召し上がり下さい。その間に船の用意も整いましょう」

「渡り蟹が美味しいそうじゃな」

「羅尾、料理と舞姫を此れえ」

 三日後、瀬戸内を東へ向かう裴清の船旅は船泊を重ねながら若草色に染まった棚田や平田や溜池を左手に見ながら軽快に進んだ。

 前方に巨大な島影見え、裴清が、

「あれは何処じゃ」

「淡路島と呼ばれております。左手の明石海峡を抜けると茅渟の海でございます。そこから飛鳥はすぐです」

 茅渟の海から内海の河内湾に入り日下の津で船泊した裴清は傀儡館で一夜を過ごし大和川を遡上した。

 裴清は羅尾に、

「帰路も日下の津を通りますか」

「お望みであれば」

 亀の瀬で小舟に乗り換え飛鳥に到着した裴清は鴻臚卿三郎の長男で秦王国の王を務める小太郎に迎えられた。

「長旅お疲れ様です。鴻臚卿三郎長男の小太郎です」

「三郎殿のご子息か、よく似ておられる。飛鳥を見せて頂くよろしくお願いします」

「ご案内は引き続き羅尾が務めますが、先ずは暫しお寛ぎ下さい」

 官衙で休息した後、直ちに羅尾の案内で飛鳥大寺を訪れ、西門を抜け、槻の森から甘樫の丘を登り、

「裴清様、右手奥に見えます大きな方墳が先代広庭様の陵墓です。右手の山が三輪山です。その手前の建物群が先々代の十四代大国主様迄が住まわれていた纏向の旧都で、その周辺の多くの墳墓が二代様以降、十四代様迄の代々の大王陵です」

「すると足庭は十六代かな。隋も十代、二十代と続けば良いのじゃが」

 裴清と羅尾は駆けるように飛鳥を巡り、飛ぶように瀬戸内を辷り、柳井水道の王宮に戻った。足庭は送別の宴を設け裴清を労い、帰還する裴清に使者を隋伴させ方物を隋に貢献した。

 裴清は煬帝に召され報告した。

「俀国、侮りがたし」

「日出処の天子」44

 裴清は秋を待たず俀国使節団と共に俀国に向かった。対馬、壱岐を辿り、末羅半島を南に見ながら博多那の津に入り鴻臚館で三郎の出迎えを受けた。

「裴清殿、遠路の旅お疲れ様です。遥か日出る国にお越し賜りありがとうございます。鴻臚卿務めております、天子足庭の弟、三郎と申します。ご案内をさせて頂きます」

「俀国の都は未だ遠いのか」

「ここは俀国の玄関口、竹斯国でございます。これより以東は何れも俀国に附庸しており、都までは海路で三日程掛かります。都は瀬戸内海の要衝柳井水道にございます。歓迎の準備が整いますまで、こちらで暫しお寛ぎ下さい」

「都は夜麻苔の飛鳥ではなかったのか」

「先年、この地、竹斯国を三百年振りに奪還するため戦略上、瀬戸内水運の要衝、柳井水道に遷都いたしました。飛鳥には何れご案内をいたします」

「南に火の山あるそうじゃな」

「阿蘇山という大きな火山がございます。バカンという港を持ちます多婆羅国にあります。多婆羅国も俀に属しており、今は肥後の国と呼んでおります」

「末盧国は近いのか」

「西に一山超えれば眼下に見えます。末盧国も俀に附庸しております。明日は竹斯国の王を務めております、天子足庭の太子ミチタリが春日の王宮で歓迎の宴を催しますので、お楽しみください」

「倭国の王都が有った処かな」

「よくご存じですね。次の日には東隣にあります豊の国の王を務めております、天子足庭の弟、我の兄になります次郎が馬にてご案内をいたします」

「太子ミチタリには子はおるのか」

「長男と次男が既に育っております」

「それは重畳」

 緑青色の島々が春霞に煙る瀬戸内を辷り周防灘を麻里布の浦から柳井水道に入り奈良島の王宮に昇った裴清は天子足庭に見えた。

「隋大使、従八品、文林郎の裴清と申します」

「よう参られた。俀国の天子足庭です。海西に大隋、礼儀の国ありと聞こえました故、使節を派遣し朝貢いたしました。我は夷人にして海隅の辺境に住まいし礼儀を弁えませぬ故、境内に留まり、すぐにはお会いせず、殊更に道を清め、館を飾り大使をお待ちしました。願わくば大国惟心の化をお聞かせください」

「皇帝の徳は併せて二義、恩恵は四海に流れ、王を慕うを以って化し、故に使者を来たらしめ、ここに論を宣します」

 裴清は宿所に一旦下がり、人を遣わし、足庭に奏した。

「朝命は既に伝達をいたしましたので道を戒めてください」

 足庭は直ちに宴を設け裴清を招き饗応した。

「日出処の天子」43

 博多湾を廻る棚田の畔に菜の花が咲き乱れ、玄界灘を南風が吹き渡る頃、足庭は第二回遣隋使を博多那の津から出立させた。

 船団は宗像船の先導で壱岐、対馬を経由し半島西岸を北上、百済、高句麗沿岸を船泊しながら進み、遼東半島沿いを西に向かい、山東半島との間を抜け渤海湾から黄河に入り遡上した。文帝、煬帝が開削した大運河は隋都大興城までの船旅を可能にしていた。

 大興城に入った使節団は都を貫く朱雀大路を北に進み、東側を仏教寺院、西側を道教の幻都観が建ち並ぶ街区を抜け宮殿に昇り、国書を提出した。官吏は国書を取次ぎ煬帝の側近が読み上げ始めた、

「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」

 煬帝が顔を歪め、

「東海の野蛮国が天子を名乗るとは、身の程知らずめ、まあ良い使者に要件を聞け」

 官吏が使者に用向きを述べさせると、

「開西の菩薩天子重ねて仏法を興さると聞き、故に遣わして拝聴せしめ、兼ねて沙門数十人来たりて仏法を学ばんとす」

 更に使者は、高句麗や琉球との親交を伝え親善国としての立ち位置を述べた。

 煬帝は使者を下がらせて、従八品で文林郎の裴清を呼び寄せ、

「高句麗が片付いたら俀国を討伐する。俀国に疾く赴き国情を具に偵察し、速やかに報告せよ」

「日出処の天子」42

 平成二十五年四月、大学院に進んだ古代史サークルの四人は揃って休学届を提出しシュメールの足跡を辿る旅へ出ていた。

 カリフ姿の西園寺がタクラマカン砂漠を見下ろしながら、

「気候変動は人類の移動に多大な影響を及ぼしたんだな」

 アラビアのロレンスを思わせる白装束で隣に座る島津が、

「一万二千年前の急激な温暖化は氷河期を終焉させ、海面の急上昇に伴う海進でスンダ大陸を水没させ、眼下のタリム盆地では氷河の溶融が大洪水をもたらし、その後の乾燥により緑豊かな大平原を茫漠たる砂漠に変え、住みよい大地をモンゴロイドのシュメール人達から奪ってしまった」

 マフラーを町子巻きにした美佳が、

「感傷に浸っているはね。もうすぐホータンにつくわよ」

 スカーフをイスラム風に被った隣の香苗が、

「ホータンって『和田』と書くのね。タリム盆地のモンゴロイド達は食糧難から八方に移動したのね」

 西園寺が、

「その一隊がホータンからクンシュラブ峠を超えてフンザに入りインダスを下りアラビア海に到達し、メソポタミア文明に大きく関わったんだよ」

 島津は、

「大洪水に見舞われる前のタリム盆地は既に灌漑農業が行なわれ、天文観測も行われており、高度な文明が発展していたんだ」

 美佳が、

「その大洪水がノアの箱舟伝承を生み出したんですね」

 香苗が、

「古事記のプロローグも、その景色を描いているんですね」

 西園寺が、

「瓢箪から駒の伝承も同じテーマなんだ」

 美佳が、

「測量技術も建設技術も発達していたのね」

 香苗が、

「食品加工も繊維加工も既に行っていたのよ」

 ホータンに降り立った西園寺は、

「この地は北緯三十四度付近に当りキトラ古墳の天文図が観測された洛陽も同じ緯度にあり、タリム盆地の天文観測技術がメソポタミアからシルクロードを経由して中国殷代の倭人に引き継がれ発展したんだ」

 島津が、

「この地を出発したシュメール人と天文観測技術が凡そ一万年を掛けて大和の飛鳥で邂逅したんだ」

「日出処の天子」41

 光元三年正月、足庭は慶賀行事を終えると、三郎を呼び第二回遣隋使派遣の詰めに入っていた。

「三郎殿、書き留めてくれぬか、国書の書き出しじゃが『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや』で始めよう」

「足庭様、それは面白うございます。第一回の時は隋は太陽に俀を金星に擬え相手を持ち上げた積もりでございましたが理解を得られませんでした。これは易しくて判りやすい比喩です」

「少しは反発があるやも知れんが俀と隋は天子どうし対等じゃとの表明でもある。高句麗や琉球への侵攻は親善国として看過できないとも書いて貰うかの」

「それは次の機会にされた方が良くはございませんか」

「それとなく表現したい。何か上手い手立てを考えて下され」

「畏まりました。考えてみます」

「それから、使節団に学問僧を加えよう」

「恵慈殿に人選を依頼いたします」

「そうして下され」

「日出処の天子」40

 飛鳥大寺が完成、足庭は久し振りに飛鳥に戻り落慶法要に臨んだ。伽藍配置は高句麗から渡来した高僧恵慈の指導の元、一塔三金堂を回廊で囲い、その北に講堂を配している。西門は間口を大きく取り槻広場に開かれていた。足庭は恵慈を招き寄せ、

「素晴らしい仏教寺院になりましたな。貴僧の指導の賜じゃ、御礼を申し上げる」

「とんでもありません足庭様がお任せ下さったお蔭でございます」

「それにしても美しく厳かに仕上がりましたな」

「愚僧の想像を超える出来でございます。飛鳥の地、いえ俀国の地に相応しい寺院になりました」

 近くに来た秦王国王の小太郎にも足庭は声を掛けた。

「小太郎殿、よう皆を取り纏めて下された。嬉しく思います」

「私は只の聞き役で御座います。寺大工、瓦博士、石工、金工、絵師、皆が素晴らしい技を発揮してくれました」

「深い軒と裳裾の重なり、回廊列柱の優しい膨らみ、惚れ惚れしますな」

「俀国の地の多雨、湿気に耐える造りに、飛鳥の地の桧の樹の性質を調べ尽くした棟梁達皆の努力の賜でございます」

 太子の筑紫王が長子を伴って足庭の近くに寄り、

「父上、我の太子でございます」

「おお、爺馬鹿と言われた足庭じゃ。聡明な顔をしておるの、この飛鳥大寺で勉学に励んで下され。恵慈殿から仏陀の教えや宇宙の摂理を貪欲に学んで下され」

「じじ様、素晴らしい勉学の場を与えて下さり、ありがとうございます。弛まず勉めます。どうぞお見守り下さい」

「良い挨拶ができましたな。爺も楽しみにしていますぞ」

 目敏く職人集団を見付けた足庭は小太郎を伴い、自ら足を運び、職人達に声を掛けた。

「棟梁殿、ご苦労を掛けました。見事な出来栄えですな。木々が躍動しておる」

「飛鳥の桧のお陰です。素晴らしい環境で、素晴らしい資材を遣わせて頂け、ありがとうございます」

 足庭は小太郎に小声で、

「瓦博士は」

「あれにおります」

「瓦博士どの、ご苦労様でした。瓦が銀色に輝き、大きな翼の鳥が今にも羽ばたくようじゃな」

「恐れ多き、お言葉、恐懼に存じます。捏ねた土をしっかり乾燥させ、低温でじっくりと焼き、雨弾きの良い瓦が作れました。飛鳥の良質な土のお陰でございます。壮大な寺院造りに参加させて頂けありがとうございます」

 羅尾が足庭に近寄り、

「大王様、法要を始めます。桟敷席にお着きください」

「相分かった、皆々桟敷に参ろう」

 槻広場西門前に設けられた桟敷席に足庭達が三々五々着座を終え、落慶法要が営まれた。

「日出処の天子」39

 数年後の秋、新羅交易団が戻り、中臣の士官が博多鴻臚館を訪れ三郎と外交策を詰めていた足庭に報告した。

「無事、鉄を持ち帰りました」

「ご苦労さま、新羅は如何じゃった」

「丁度、インドからクシャトリアの武士団三千人が漂着し外人部隊として傭兵されました。彼らは男だけで移動を続け男色に染まり、花郎軍団と呼ばれているそうですが、新羅は強力な軍事力を抱えたと謂われております」

「そうか、近隣諸国の脅威となるな」

「金官加羅の初代首露王に輿入れしたアユダ国の王女黄玉、後の許太后様の縁を頼って入国したそうです。何れ、中臣の血を引く者が軍団を率いると言われております」

「三郎殿、来春の高句麗交易団に伝言させて下され」

「畏まりました」

 翌年、高句麗から交易団が戻り、足庭に報告した。

「隋は文帝が崩御し煬帝が即位したそうです」

 数日後、琉球から交易船が戻り、領事を務めている三郎の三男が鴻臚館の足庭と三郎に琉球事情を報告した。

「今年の夏、隋の使節が琉球を訪れ朝貢を促しましたがキキタエ様は言を左右にして明快な返事をなさいませんでした。業を煮やした使節団は琉球人十人を捕らえて連れ帰りました」

「大変じゃったな、そなた達が無事で何よりじゃ。三郎殿、隋は二代皇帝に煬帝が即位したそうじゃ。来春は再び隋に使節団を送り少しは隋を牽制しましょう」

「早速、渡航船の準備に掛かります。使節候補の選抜もいたします」

「そうじゃな、東漢だけでなく、他の豪族からも選抜して下され」

「畏まりました。近江、山城、播磨、備前まで広げて選抜いたします」