「日出処の天子」43

 博多湾を廻る棚田の畔に菜の花が咲き乱れ、玄界灘を南風が吹き渡る頃、足庭は第二回遣隋使を博多那の津から出立させた。

 船団は宗像船の先導で壱岐、対馬を経由し半島西岸を北上、百済、高句麗沿岸を船泊しながら進み、遼東半島沿いを西に向かい、山東半島との間を抜け渤海湾から黄河に入り遡上した。文帝、煬帝が開削した大運河は隋都大興城までの船旅を可能にしていた。

 大興城に入った使節団は都を貫く朱雀大路を北に進み、東側を仏教寺院、西側を道教の幻都観が建ち並ぶ街区を抜け宮殿に昇り、国書を提出した。官吏は国書を取次ぎ煬帝の側近が読み上げ始めた、

「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」

 煬帝が顔を歪め、

「東海の野蛮国が天子を名乗るとは、身の程知らずめ、まあ良い使者に要件を聞け」

 官吏が使者に用向きを述べさせると、

「開西の菩薩天子重ねて仏法を興さると聞き、故に遣わして拝聴せしめ、兼ねて沙門数十人来たりて仏法を学ばんとす」

 更に使者は、高句麗や琉球との親交を伝え親善国としての立ち位置を述べた。

 煬帝は使者を下がらせて、従八品で文林郎の裴清を呼び寄せ、

「高句麗が片付いたら俀国を討伐する。俀国に疾く赴き国情を具に偵察し、速やかに報告せよ」

「日出処の天子」42

 平成二十五年四月、大学院に進んだ古代史サークルの四人は揃って休学届を提出しシュメールの足跡を辿る旅へ出ていた。

 カリフ姿の西園寺がタクラマカン砂漠を見下ろしながら、

「気候変動は人類の移動に多大な影響を及ぼしたんだな」

 アラビアのロレンスを思わせる白装束で隣に座る島津が、

「一万二千年前の急激な温暖化は氷河期を終焉させ、海面の急上昇に伴う海進でスンダ大陸を水没させ、眼下のタリム盆地では氷河の溶融が大洪水をもたらし、その後の乾燥により緑豊かな大平原を茫漠たる砂漠に変え、住みよい大地をモンゴロイドのシュメール人達から奪ってしまった」

 マフラーを町子巻きにした美佳が、

「感傷に浸っているはね。もうすぐホータンにつくわよ」

 スカーフをイスラム風に被った隣の香苗が、

「ホータンって『和田』と書くのね。タリム盆地のモンゴロイド達は食糧難から八方に移動したのね」

 西園寺が、

「その一隊がホータンからクンシュラブ峠を超えてフンザに入りインダスを下りアラビア海に到達し、メソポタミア文明に大きく関わったんだよ」

 島津は、

「大洪水に見舞われる前のタリム盆地は既に灌漑農業が行なわれ、天文観測も行われており、高度な文明が発展していたんだ」

 美佳が、

「その大洪水がノアの箱舟伝承を生み出したんですね」

 香苗が、

「古事記のプロローグも、その景色を描いているんですね」

 西園寺が、

「瓢箪から駒の伝承も同じテーマなんだ」

 美佳が、

「測量技術も建設技術も発達していたのね」

 香苗が、

「食品加工も繊維加工も既に行っていたのよ」

 ホータンに降り立った西園寺は、

「この地は北緯三十四度付近に当りキトラ古墳の天文図が観測された洛陽も同じ緯度にあり、タリム盆地の天文観測技術がメソポタミアからシルクロードを経由して中国殷代の倭人に引き継がれ発展したんだ」

 島津が、

「この地を出発したシュメール人と天文観測技術が凡そ一万年を掛けて大和の飛鳥で邂逅したんだ」

「日出処の天子」41

 光元三年正月、足庭は慶賀行事を終えると、三郎を呼び第二回遣隋使派遣の詰めに入っていた。

「三郎殿、書き留めてくれぬか、国書の書き出しじゃが『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや』で始めよう」

「足庭様、それは面白うございます。第一回の時は隋は太陽に俀を金星に擬え相手を持ち上げた積もりでございましたが理解を得られませんでした。これは易しくて判りやすい比喩です」

「少しは反発があるやも知れんが俀と隋は天子どうし対等じゃとの表明でもある。高句麗や琉球への侵攻は親善国として看過できないとも書いて貰うかの」

「それは次の機会にされた方が良くはございませんか」

「それとなく表現したい。何か上手い手立てを考えて下され」

「畏まりました。考えてみます」

「それから、使節団に学問僧を加えよう」

「恵慈殿に人選を依頼いたします」

「そうして下され」

「日出処の天子」40

 飛鳥大寺が完成、足庭は久し振りに飛鳥に戻り落慶法要に臨んだ。伽藍配置は高句麗から渡来した高僧恵慈の指導の元、一塔三金堂を回廊で囲い、その北に講堂を配している。西門は間口を大きく取り槻広場に開かれていた。足庭は恵慈を招き寄せ、

「素晴らしい仏教寺院になりましたな。貴僧の指導の賜じゃ、御礼を申し上げる」

「とんでもありません足庭様がお任せ下さったお蔭でございます」

「それにしても美しく厳かに仕上がりましたな」

「愚僧の想像を超える出来でございます。飛鳥の地、いえ俀国の地に相応しい寺院になりました」

 近くに来た秦王国王の小太郎にも足庭は声を掛けた。

「小太郎殿、よう皆を取り纏めて下された。嬉しく思います」

「私は只の聞き役で御座います。寺大工、瓦博士、石工、金工、絵師、皆が素晴らしい技を発揮してくれました」

「深い軒と裳裾の重なり、回廊列柱の優しい膨らみ、惚れ惚れしますな」

「俀国の地の多雨、湿気に耐える造りに、飛鳥の地の桧の樹の性質を調べ尽くした棟梁達皆の努力の賜でございます」

 太子の筑紫王が長子を伴って足庭の近くに寄り、

「父上、我の太子でございます」

「おお、爺馬鹿と言われた足庭じゃ。聡明な顔をしておるの、この飛鳥大寺で勉学に励んで下され。恵慈殿から仏陀の教えや宇宙の摂理を貪欲に学んで下され」

「じじ様、素晴らしい勉学の場を与えて下さり、ありがとうございます。弛まず勉めます。どうぞお見守り下さい」

「良い挨拶ができましたな。爺も楽しみにしていますぞ」

 目敏く職人集団を見付けた足庭は小太郎を伴い、自ら足を運び、職人達に声を掛けた。

「棟梁殿、ご苦労を掛けました。見事な出来栄えですな。木々が躍動しておる」

「飛鳥の桧のお陰です。素晴らしい環境で、素晴らしい資材を遣わせて頂け、ありがとうございます」

 足庭は小太郎に小声で、

「瓦博士は」

「あれにおります」

「瓦博士どの、ご苦労様でした。瓦が銀色に輝き、大きな翼の鳥が今にも羽ばたくようじゃな」

「恐れ多き、お言葉、恐懼に存じます。捏ねた土をしっかり乾燥させ、低温でじっくりと焼き、雨弾きの良い瓦が作れました。飛鳥の良質な土のお陰でございます。壮大な寺院造りに参加させて頂けありがとうございます」

 羅尾が足庭に近寄り、

「大王様、法要を始めます。桟敷席にお着きください」

「相分かった、皆々桟敷に参ろう」

 槻広場西門前に設けられた桟敷席に足庭達が三々五々着座を終え、落慶法要が営まれた。

「日出処の天子」39

 数年後の秋、新羅交易団が戻り、中臣の士官が博多鴻臚館を訪れ三郎と外交策を詰めていた足庭に報告した。

「無事、鉄を持ち帰りました」

「ご苦労さま、新羅は如何じゃった」

「丁度、インドからクシャトリアの武士団三千人が漂着し外人部隊として傭兵されました。彼らは男だけで移動を続け男色に染まり、花郎軍団と呼ばれているそうですが、新羅は強力な軍事力を抱えたと謂われております」

「そうか、近隣諸国の脅威となるな」

「金官加羅の初代首露王に輿入れしたアユダ国の王女黄玉、後の許太后様の縁を頼って入国したそうです。何れ、中臣の血を引く者が軍団を率いると言われております」

「三郎殿、来春の高句麗交易団に伝言させて下され」

「畏まりました」

 翌年、高句麗から交易団が戻り、足庭に報告した。

「隋は文帝が崩御し煬帝が即位したそうです」

 数日後、琉球から交易船が戻り、領事を務めている三郎の三男が鴻臚館の足庭と三郎に琉球事情を報告した。

「今年の夏、隋の使節が琉球を訪れ朝貢を促しましたがキキタエ様は言を左右にして明快な返事をなさいませんでした。業を煮やした使節団は琉球人十人を捕らえて連れ帰りました」

「大変じゃったな、そなた達が無事で何よりじゃ。三郎殿、隋は二代皇帝に煬帝が即位したそうじゃ。来春は再び隋に使節団を送り少しは隋を牽制しましょう」

「早速、渡航船の準備に掛かります。使節候補の選抜もいたします」

「そうじゃな、東漢だけでなく、他の豪族からも選抜して下され」

「畏まりました。近江、山城、播磨、備前まで広げて選抜いたします」

「日出処の天子」38

 夏を迎えた博多那の津では隋に向かう使節団の船舶が出港準備を終えて住吉大明神に航海の安全を祈願した乗組員の乗船が始まり、見送りに出た足庭が使節の身狭寛徳に声掛けをした。

「安全を優先して下され。表敬訪問ゆえ気楽に務められよ」

「畏まりました」

 翌年、洛陽に無事到着した使節は高祖文帝に拝謁。所司を通じて俀国の風俗を問われ、

「俀王は、天を以って兄と為す。日を以って弟と為す。天未だ明けざる時、出でて政を聴く。日出れば、すなわち理務を停めて弟に委ぬ」

 謎かけのように答えた。これを聴いた文帝解さず、

「此れ大いに義理なし。是に於いて訓えて之を改めしむ」

 と訓令した。

 使節の謎かけは「天は常にあるから一番目の「兄」であり、夜明け前に輝く金星(明けの明星)は二番目であり、三番目の弟である太陽が昇ると金星は見えなくなってしまう。俀王は「明けの明星」であり、隋の皇帝は「太陽」である」の意であったが、理解を得られぬまま使節団は文帝の訓令を持ち帰り、足庭に報告、

「文帝様にはご理解を戴けず、意味不明の訓令を頂戴いたしました」

「長旅、ご苦労じゃった。次は分かり易い国書を携えて渡って貰おうかの」

「そう願います」

「日出処の天子」37

 九重山系の山間に逼塞した九州倭国額田王の柵に百済から使者がひっそりと訪れ、

「余泉章と申します。よろしくお願いします」

「額田じゃ、よう参られた」

「女王様、中国の中原に隋という統一国家が誕生し高句麗と度々衝突しており、風の噂では俀国が高句麗に駐在武官を送っているそうです」

「それは興味深い」

「百済は隋に朝貢し交流を始めます。これからの隋と高句麗と俀国の国交状況を具に伝えて参ろうと存じます」

「泉章殿、宜しく頼みます。今後これに控えております多治比広手と連絡を取って下され」

 吉貴六年春、足庭は三郎と柳井水道の王宮で外交政策を話し合っていた。

「三郎殿、今年は隋に使節を派遣しようと思うがどうであろう」

「隋は高句麗に手を焼いております。周辺国の協力を望んでおりましょう。訪問すれば受け入れると思います」

「高祖文帝の開皇二十年を迎える記念の年じゃ」

「早急に準備に掛かります」

 初夏を迎えた飛鳥の王宮では秦王国の王を交えて棟梁と各職頭領の検討会が開かれていた。大工の頭領が、

「この地で一年有余を過ごしましたが、高句麗に比べ気温が高く、雨が多く、湿気が高いと感じました。軒を深くしないと建物の傷みが早くなると考えます」

 瓦博士が、

「瓦はしっかり乾燥させ、少し低温でじっくり焼いて、気泡を無くし雨をしっかり防げる出来にしましょう」

 石工の頭が、

「建物は石の基壇の上に載せる様にして下され、その周りは砂利敷きにして雨の泥はねを防ぎましょう」

 王は、

「父、三郎からヘレニズムを教わった中で、アレキサンダー様が出られたマケドニアの隣国ギリシャの神殿は中膨れの柱列が美しいそうじゃ」

 棟梁が、

「我らもヘレニズムを学んでおります。エンタシスの柱と伝わっております。この一年、山林を具に見て回りましたが、素晴らしい桧の樹をたくさん見掛けました。エンタシスの美しい柱列が造れると喜んでおります」

 仏師が、

「我も太い桧が使えるのを楽しみにしております。微笑みを湛えた美しい仏像を彫ろうと思います」

「日出処の天子」36

 平成二十四年十二月、古代史サークルのメンバーがサンドイッチ店で四年生の送別会を開いていた。西園寺が、

「坂上、鬼が笑うかも知れないが、来年の学園祭のテーマは高松塚とキトラ古墳にしないか」

 美佳が、

「何よ唐突に来年の事は後輩に任せなさいよ」

 島津が、

「白村江前夜の国際情勢を側面から見る良いテーマだよ」

 香苗が

「島津君まで何よ」

 坂上が、

「まあ、まあ、来年の事は我ら後輩に任せてください。でも、両古墳の事をよく知りません、少し教えてください」

 麗華が、

「壁画にカビが生えたって報道は何度か記憶がありますが本質的な事は何も知らないので教えてください」

 伊集院と由紀も、

「是非、ご教授ください」

 西園寺が嬉しそうに、

「両古墳共に飛鳥の官衙の西方に築造され、玄室の四周の壁に極彩色の四神と群像が描かれ、天井には宿星図が描かれているんだ。築造年代は七世紀でキトラ古墳が少し古く、キトラ古墳の宿星図は天空図でもあり、六十八の星座と三百五十を超える星が精密に描かれており、天の赤道と黄道や地平線下に沈まない限界線の内規などの同心円が複数描かれているんだ」

 坂上が感嘆して、

「七世紀に精密な天空図が描かれるって凄いですね」

 西園寺が続けて、

「科学技術の専門家は平壌の大同江に沈んだ石刻星図の拓本を元に描かれており、内規と赤道半径などを比較して緯度計算すると北緯三八度から三九度の高句麗の平壌付近と推測されるとしているが、最近、国立天文台の人や天文学者が老人星カノープスなどの五つの星の位置から観測地点は北緯三四度付近で西暦三八四年頃と結論しているんだ」

 島津が確認するように、

「北緯三四度で西暦三八四年頃、天文観測が盛んだったのは洛陽か長安が候補地だね」

 西園寺が、

「そう、西晋末の洛陽で観測された天文図を元に、平壌で観測修正され石刻星図が作られ、その拓本が飛鳥に運ばれ、キトラの天井に宿星図として描かれたんだ。石刻星図はその後の戦乱で大同江に沈んだと言われており、キトラ古墳の天文図は大変貴重な史料で中国では十一世紀を待たないと現れていないんだ」

「日出処の天子」35

 俀国暦吉貴五年、天子足庭は柳井水道奈良島の王宮で新年の参賀を受けていた。そこに高句麗駐在武官の任務を終え、帰国したばかりの坂上隊の士官が報告に参殿した。

「坂上武麿、高句麗駐在の任務を終え帰国いたしました」

「波浪を越えての任務ご苦労であった。高句麗はどうじゃった」

「昨年、遼西で高句麗と隋が衝突し、隋の文帝が三十万もの大軍で高句麗に侵攻を企てましたが、海軍は暴風雨に遭遇壊滅し、陸軍は洪水に見舞われ伝染病と兵站不能で撤退いたしました」

「それは僥倖であった。して、弾殿は健勝かな」

「いたって、お元気です。我らと共に隋との国境線で陣張りをいたしましたが、相手が現れず落胆されました」

「弾殿らしいの。ところで天文博士と石工を連れ帰ってくれたそうじゃな」

「高句麗の絵師も一緒に連れ帰りました」

「そうであったな。ありがとうござる。一度、飛鳥檜隈に戻られて英気を養って下され」

 翌日、足庭は帰国した天文博士と石工と絵師を召して、

「若頭、高句麗は如何であった」

「墳墓造りをみっちり手伝えました。石組み、石積み、壁画、天文図など目を見張るものがたくさんありました。高句麗に行かせて下さり、ありがとうございました」

「それは良かった。どんな壁画じゃった」

「四方の壁に青龍、白虎、朱雀、玄武の四神と天井に黄龍と天文図などが描かれております。それは素晴らしいものでございます」

「ほう、天文図も描かれていたか、博士どんな天文図じゃった」

「六十八の星座が三百五十を超える星々で描かれ、幾つかの同心円が描かれております。原図の石刻がございましたので拓本を持ち帰りました。西晋末の洛陽で観測された元図に平壌で観測し手を加えた天空図と考えられます」

「洛陽から平壌か、共に我らの祖先が過ごした地じゃな。嬉しいものが手に入ったな、良かった良かった」

「我も高句麗に渡らせて頂き、ありがとうございます。これからの天文観測に役立てて参ります」

「宜しく頼みまするぞ。絵師殿、荒海を超えて俀国へ、ようこそお越し下された。ありがとう存ずる」

「黄文と申しまする。我ら一族も洛陽から高句麗に移り、研鑽を続けて参りました。此度は嬰陽王様のご指図で俀国に参らせて戴きました。更に技量を磨いて参ります故、何卒よろしくお願い申し上げます」

「弛まずに励んで素晴らしい絵を残して下され。処で壁の四神と天井の黄龍は何を意味しておろうか」

「併せて陰陽五行を表しております」

「陰陽道の思想であったか、天文博士は学んでこられたか」

「概ねは学んで参りました」

「そうであったか、何れ我にも教えて貰おうかの」

「畏まりました」

「武麿殿、皆を飛鳥に届けて下され」

「畏まりました」

「日出処の天子」34

 筑紫野も夏の盛りを迎え、水田が緑一色に染まる中、足庭と三郎は博多に完成させたばかりの鴻臚館で膝を交えていた。

「三郎殿、それでは高句麗へ早急に使いを出しましょう」

「畏まりました」

「それから琉球の領事は誰がよいかの」

「我の三男を使こうて下され」

「命の保障は出来んぞ」

「覚悟の上でございます」

「身狭隊を警護に連れて行くか」

「いえ、出来るだけ身軽が安全かと存じます」

「それでは、新米が取れ次第出立する積りで準備をして下され」

「承知いたしました」

「高句麗の駐在武官の人選じゃが、弾殿が族長は息子に譲って我が行くと申しておる。再度、弾殿と坂上隊に行って貰うかの」

「その方が、先方に喜ばれるでしょう」

「そうするか」

 高句麗駐在武官に就任した弾達は嬰陽王に拝謁。

「嬰陽王様、俀国の駐在武官として弾と坂上隊着任いたしました。宜しくお願いいたします」

「弾殿、坂上隊一同、よう参られた。感謝申し上げる。今日は乙巳文徳将軍が昇殿しておる。良い機会じゃ紹介しよう。将軍、以前話をした俀国の弾達じゃ宜しく頼みます」

「乙巳文徳でござる。先ずは情報交換をいたしましょう。軍令部に案内致します」

 軍令部に移動し懇談の席を設えた乙巳将軍は、

「弾殿、俀国は短期間に筑紫倭国を制圧されたそうじゃが戦いの要諦をお話し下され」

「短期間とは申せ、筑紫奪還は秦王国三百年来の宿願でござれば長い準備期間を経ての侵攻でござった。俀国天子足庭は沈着冷静、用意周到なる漢でございます。先代広庭様の時から奪還を志しておりました。広庭様の喪が明けると共に作戦を開始し、大和の豪族の殆どの賛同を得、総動員体制を敷き、全体戦略を描いた上で個別作戦を実行なされた」

「具体的には」

「先ずは、情報収集と敵情把握。武具と船舶の製造、兵站の準備と執行、そして侵略経路にある国々との融和策、早くから婚姻による縁戚関係の構築をしておりました」

「ほう、婚姻による融和策も執られたか」

「それから、侵攻途上で侵攻基地として最適な柳井水道という瀬戸内水運の要衝に遷都をいたしました」

「遷都までされたか」

「足庭が取りました、それからの侵攻作戦は力押しをせず、大軍による示威で戦わずして勝という、互いの人的被害を極力抑える戦法を採用いたしました」

「そんな中で実戦の肝要は何でござるかな」

「兵站の確保でござる。食い物が無ければ戦えませんでな」

「そうであれば、相手の兵站に瑕疵があれば、その弱点に付け入れば良いわけですな。態と敗走を繰り返し相手の兵站線を伸びきらせた上で、反撃をする戦法もあり得ますな」

「乙巳将軍は面白い作戦を考えられますな」

「大陸は広うござるでな、明日から国境線の巡察に出ましょう」

「それは願っても無いことでござる。宜しく願います」

 高句麗から寺大工、鑪盤博士、瓦博士などの派遣を受けた飛鳥大寺の建設は順調に進み、縄張りから掘方を終え、地固めに入っていた。秦王国王の小太郎は木工房、石工房、金物工房などを建設地の南東に作らせ、木材や石材の切り出し、瓦や金物の試作を始めさせていた。

 筑紫王が数えで五歳になった長子を連れて飛鳥大寺の建設現場を訪れ、

「太子、ここが飛鳥大寺の建設場所じゃ、何れ恵慈様より仏教の教えを受けることになる」

「分かりました。楽しみにしています」

「槻の森を抜けて甘樫の丘に登ってみるか」

「飛鳥と纏向が一望に見えるそうですね」

「良く知っておるな」

「乳母に聞きました。来年は弟も連れて来ましょう」

「そうだな」