「日出処の天子」38

 夏を迎えた博多那の津では隋に向かう使節団の船舶が出港準備を終えて住吉大明神に航海の安全を祈願した乗組員の乗船が始まり、見送りに出た足庭が使節の身狭寛徳に声掛けをした。

「安全を優先して下され。表敬訪問ゆえ気楽に務められよ」

「畏まりました」

 翌年、洛陽に無事到着した使節は高祖文帝に拝謁。所司を通じて俀国の風俗を問われ、

「俀王は、天を以って兄と為す。日を以って弟と為す。天未だ明けざる時、出でて政を聴く。日出れば、すなわち理務を停めて弟に委ぬ」

 謎かけのように答えた。これを聴いた文帝解さず、

「此れ大いに義理なし。是に於いて訓えて之を改めしむ」

 と訓令した。

 使節の謎かけは「天は常にあるから一番目の「兄」であり、夜明け前に輝く金星(明けの明星)は二番目であり、三番目の弟である太陽が昇ると金星は見えなくなってしまう。俀王は「明けの明星」であり、隋の皇帝は「太陽」である」の意であったが、理解を得られぬまま使節団は文帝の訓令を持ち帰り、足庭に報告、

「文帝様にはご理解を戴けず、意味不明の訓令を頂戴いたしました」

「長旅、ご苦労じゃった。次は分かり易い国書を携えて渡って貰おうかの」

「そう願います」

「日出処の天子」37

 九重山系の山間に逼塞した九州倭国額田王の柵に百済から使者がひっそりと訪れ、

「余泉章と申します。よろしくお願いします」

「額田じゃ、よう参られた」

「女王様、中国の中原に隋という統一国家が誕生し高句麗と度々衝突しており、風の噂では俀国が高句麗に駐在武官を送っているそうです」

「それは興味深い」

「百済は隋に朝貢し交流を始めます。これからの隋と高句麗と俀国の国交状況を具に伝えて参ろうと存じます」

「泉章殿、宜しく頼みます。今後これに控えております多治比広手と連絡を取って下され」

 吉貴六年春、足庭は三郎と柳井水道の王宮で外交政策を話し合っていた。

「三郎殿、今年は隋に使節を派遣しようと思うがどうであろう」

「隋は高句麗に手を焼いております。周辺国の協力を望んでおりましょう。訪問すれば受け入れると思います」

「高祖文帝の開皇二十年を迎える記念の年じゃ」

「早急に準備に掛かります」

 初夏を迎えた飛鳥の王宮では秦王国の王を交えて棟梁と各職頭領の検討会が開かれていた。大工の頭領が、

「この地で一年有余を過ごしましたが、高句麗に比べ気温が高く、雨が多く、湿気が高いと感じました。軒を深くしないと建物の傷みが早くなると考えます」

 瓦博士が、

「瓦はしっかり乾燥させ、少し低温でじっくり焼いて、気泡を無くし雨をしっかり防げる出来にしましょう」

 石工の頭が、

「建物は石の基壇の上に載せる様にして下され、その周りは砂利敷きにして雨の泥はねを防ぎましょう」

 王は、

「父、三郎からヘレニズムを教わった中で、アレキサンダー様が出られたマケドニアの隣国ギリシャの神殿は中膨れの柱列が美しいそうじゃ」

 棟梁が、

「我らもヘレニズムを学んでおります。エンタシスの柱と伝わっております。この一年、山林を具に見て回りましたが、素晴らしい桧の樹をたくさん見掛けました。エンタシスの美しい柱列が造れると喜んでおります」

 仏師が、

「我も太い桧が使えるのを楽しみにしております。微笑みを湛えた美しい仏像を彫ろうと思います」

「日出処の天子」36

 平成二十四年十二月、古代史サークルのメンバーがサンドイッチ店で四年生の送別会を開いていた。西園寺が、

「坂上、鬼が笑うかも知れないが、来年の学園祭のテーマは高松塚とキトラ古墳にしないか」

 美佳が、

「何よ唐突に来年の事は後輩に任せなさいよ」

 島津が、

「白村江前夜の国際情勢を側面から見る良いテーマだよ」

 香苗が

「島津君まで何よ」

 坂上が、

「まあ、まあ、来年の事は我ら後輩に任せてください。でも、両古墳の事をよく知りません、少し教えてください」

 麗華が、

「壁画にカビが生えたって報道は何度か記憶がありますが本質的な事は何も知らないので教えてください」

 伊集院と由紀も、

「是非、ご教授ください」

 西園寺が嬉しそうに、

「両古墳共に飛鳥の官衙の西方に築造され、玄室の四周の壁に極彩色の四神と群像が描かれ、天井には宿星図が描かれているんだ。築造年代は七世紀でキトラ古墳が少し古く、キトラ古墳の宿星図は天空図でもあり、六十八の星座と三百五十を超える星が精密に描かれており、天の赤道と黄道や地平線下に沈まない限界線の内規などの同心円が複数描かれているんだ」

 坂上が感嘆して、

「七世紀に精密な天空図が描かれるって凄いですね」

 西園寺が続けて、

「科学技術の専門家は平壌の大同江に沈んだ石刻星図の拓本を元に描かれており、内規と赤道半径などを比較して緯度計算すると北緯三八度から三九度の高句麗の平壌付近と推測されるとしているが、最近、国立天文台の人や天文学者が老人星カノープスなどの五つの星の位置から観測地点は北緯三四度付近で西暦三八四年頃と結論しているんだ」

 島津が確認するように、

「北緯三四度で西暦三八四年頃、天文観測が盛んだったのは洛陽か長安が候補地だね」

 西園寺が、

「そう、西晋末の洛陽で観測された天文図を元に、平壌で観測修正され石刻星図が作られ、その拓本が飛鳥に運ばれ、キトラの天井に宿星図として描かれたんだ。石刻星図はその後の戦乱で大同江に沈んだと言われており、キトラ古墳の天文図は大変貴重な史料で中国では十一世紀を待たないと現れていないんだ」

「日出処の天子」35

 俀国暦吉貴五年、天子足庭は柳井水道奈良島の王宮で新年の参賀を受けていた。そこに高句麗駐在武官の任務を終え、帰国したばかりの坂上隊の士官が報告に参殿した。

「坂上武麿、高句麗駐在の任務を終え帰国いたしました」

「波浪を越えての任務ご苦労であった。高句麗はどうじゃった」

「昨年、遼西で高句麗と隋が衝突し、隋の文帝が三十万もの大軍で高句麗に侵攻を企てましたが、海軍は暴風雨に遭遇壊滅し、陸軍は洪水に見舞われ伝染病と兵站不能で撤退いたしました」

「それは僥倖であった。して、弾殿は健勝かな」

「いたって、お元気です。我らと共に隋との国境線で陣張りをいたしましたが、相手が現れず落胆されました」

「弾殿らしいの。ところで天文博士と石工を連れ帰ってくれたそうじゃな」

「高句麗の絵師も一緒に連れ帰りました」

「そうであったな。ありがとうござる。一度、飛鳥檜隈に戻られて英気を養って下され」

 翌日、足庭は帰国した天文博士と石工と絵師を召して、

「若頭、高句麗は如何であった」

「墳墓造りをみっちり手伝えました。石組み、石積み、壁画、天文図など目を見張るものがたくさんありました。高句麗に行かせて下さり、ありがとうございました」

「それは良かった。どんな壁画じゃった」

「四方の壁に青龍、白虎、朱雀、玄武の四神と天井に黄龍と天文図などが描かれております。それは素晴らしいものでございます」

「ほう、天文図も描かれていたか、博士どんな天文図じゃった」

「六十八の星座が三百五十を超える星々で描かれ、幾つかの同心円が描かれております。原図の石刻がございましたので拓本を持ち帰りました。西晋末の洛陽で観測された元図に平壌で観測し手を加えた天空図と考えられます」

「洛陽から平壌か、共に我らの祖先が過ごした地じゃな。嬉しいものが手に入ったな、良かった良かった」

「我も高句麗に渡らせて頂き、ありがとうございます。これからの天文観測に役立てて参ります」

「宜しく頼みまするぞ。絵師殿、荒海を超えて俀国へ、ようこそお越し下された。ありがとう存ずる」

「黄文と申しまする。我ら一族も洛陽から高句麗に移り、研鑽を続けて参りました。此度は嬰陽王様のご指図で俀国に参らせて戴きました。更に技量を磨いて参ります故、何卒よろしくお願い申し上げます」

「弛まずに励んで素晴らしい絵を残して下され。処で壁の四神と天井の黄龍は何を意味しておろうか」

「併せて陰陽五行を表しております」

「陰陽道の思想であったか、天文博士は学んでこられたか」

「概ねは学んで参りました」

「そうであったか、何れ我にも教えて貰おうかの」

「畏まりました」

「武麿殿、皆を飛鳥に届けて下され」

「畏まりました」

「日出処の天子」34

 筑紫野も夏の盛りを迎え、水田が緑一色に染まる中、足庭と三郎は博多に完成させたばかりの鴻臚館で膝を交えていた。

「三郎殿、それでは高句麗へ早急に使いを出しましょう」

「畏まりました」

「それから琉球の領事は誰がよいかの」

「我の三男を使こうて下され」

「命の保障は出来んぞ」

「覚悟の上でございます」

「身狭隊を警護に連れて行くか」

「いえ、出来るだけ身軽が安全かと存じます」

「それでは、新米が取れ次第出立する積りで準備をして下され」

「承知いたしました」

「高句麗の駐在武官の人選じゃが、弾殿が族長は息子に譲って我が行くと申しておる。再度、弾殿と坂上隊に行って貰うかの」

「その方が、先方に喜ばれるでしょう」

「そうするか」

 高句麗駐在武官に就任した弾達は嬰陽王に拝謁。

「嬰陽王様、俀国の駐在武官として弾と坂上隊着任いたしました。宜しくお願いいたします」

「弾殿、坂上隊一同、よう参られた。感謝申し上げる。今日は乙巳文徳将軍が昇殿しておる。良い機会じゃ紹介しよう。将軍、以前話をした俀国の弾達じゃ宜しく頼みます」

「乙巳文徳でござる。先ずは情報交換をいたしましょう。軍令部に案内致します」

 軍令部に移動し懇談の席を設えた乙巳将軍は、

「弾殿、俀国は短期間に筑紫倭国を制圧されたそうじゃが戦いの要諦をお話し下され」

「短期間とは申せ、筑紫奪還は秦王国三百年来の宿願でござれば長い準備期間を経ての侵攻でござった。俀国天子足庭は沈着冷静、用意周到なる漢でございます。先代広庭様の時から奪還を志しておりました。広庭様の喪が明けると共に作戦を開始し、大和の豪族の殆どの賛同を得、総動員体制を敷き、全体戦略を描いた上で個別作戦を実行なされた」

「具体的には」

「先ずは、情報収集と敵情把握。武具と船舶の製造、兵站の準備と執行、そして侵略経路にある国々との融和策、早くから婚姻による縁戚関係の構築をしておりました」

「ほう、婚姻による融和策も執られたか」

「それから、侵攻途上で侵攻基地として最適な柳井水道という瀬戸内水運の要衝に遷都をいたしました」

「遷都までされたか」

「足庭が取りました、それからの侵攻作戦は力押しをせず、大軍による示威で戦わずして勝という、互いの人的被害を極力抑える戦法を採用いたしました」

「そんな中で実戦の肝要は何でござるかな」

「兵站の確保でござる。食い物が無ければ戦えませんでな」

「そうであれば、相手の兵站に瑕疵があれば、その弱点に付け入れば良いわけですな。態と敗走を繰り返し相手の兵站線を伸びきらせた上で、反撃をする戦法もあり得ますな」

「乙巳将軍は面白い作戦を考えられますな」

「大陸は広うござるでな、明日から国境線の巡察に出ましょう」

「それは願っても無いことでござる。宜しく願います」

 高句麗から寺大工、鑪盤博士、瓦博士などの派遣を受けた飛鳥大寺の建設は順調に進み、縄張りから掘方を終え、地固めに入っていた。秦王国王の小太郎は木工房、石工房、金物工房などを建設地の南東に作らせ、木材や石材の切り出し、瓦や金物の試作を始めさせていた。

 筑紫王が数えで五歳になった長子を連れて飛鳥大寺の建設現場を訪れ、

「太子、ここが飛鳥大寺の建設場所じゃ、何れ恵慈様より仏教の教えを受けることになる」

「分かりました。楽しみにしています」

「槻の森を抜けて甘樫の丘に登ってみるか」

「飛鳥と纏向が一望に見えるそうですね」

「良く知っておるな」

「乳母に聞きました。来年は弟も連れて来ましょう」

「そうだな」

「日出処の天子」33

 東日流十三湊に帰着していた、安倍博麻呂は岩木山の山麓に建つ総領主の館を訪ね長髄彦の末裔に拝謁して、

「俀国の筑紫奪還は無事終了いたしました」

「それは祝着であった」

「足庭様の強い要請があり、琉球に三郎様を案内いたしました」

「遠路大儀であったな」

「キキタエ様にお目に掛りましたら、総領主様に言付けをされました」

「なんと」

「王家を建てる人材が未だ育たない、長髄彦様の血を引く男の子を琉球に返して欲しいと仰いました」

「心得ておこう」

「筑紫の新米と飛鳥の絹織物と琉球の夜光貝を持ち帰りました」

「大儀であった。早速に新米を炊かせて、皆で食べよう。誰ぞ酒と肴を持て」

「博多を立つ時に高句麗訪問団が帰着し歓迎の宴に招かれました。高句麗は第二十六代嬰陽王の代になり殖産振興、富国強兵に邁進されておられるが隣国の中国を統一したばかりの隋が領土拡大政策を顕わにし、早晩衝突すると危惧されている由」

「そうか、中原に隋という統一国家が生まれたか」

「足庭様は高句麗と同盟を結び駐在武官を派遣しようと仰せでした」

「我らの祖、長髄彦様は高句麗とは浅からぬ絆。足庭殿が支援を求めて来たら対応せねばなるまい。我らも高句麗貿易に乗り出すかな」

「それは、よろしゅうございます」

  

「日出処の天子」32

 大和飛鳥に夏が訪れ、稲田が緑一色に埋め尽くされた頃、羅尾は学問僧の恵慈を甘樫の丘に案内し、飛鳥大寺建設予定地を眼下にしながら、

「恵慈様、右手一帯が飛鳥の官衙です。その南にある丘陵が島の庄で大きな方墳が先代、広庭様の陵です。左手一帯が十四代様の纏向の王宮です。今は息女様二人でお住まいです。向こうに見える山は三輪山で手前の流れが飛鳥川でございます」

「極楽浄土に相応しい場所じゃ」

「伽藍配置の構想はお決まりに成られましたか」

「飛鳥と纏向が連なる様に、南大門、中門、塔、中金堂、講堂を一直線に並べ、塔の東西に大和の豪族全てが一帯となれる様、金堂を配置しましょう」

「早速に足庭様に連絡いたします」

「羅尾殿、もう一つ、この甘樫の丘と大寺建設予定地の間にかなり広い槻野が残ります。広場にすれば飛鳥京の大きな儀式に活用できましょう」

「併せて連絡いたします」

 羅尾と恵慈が飛鳥の官衙に戻り秦王国の王の館に報告に訪れると、丁度、柳井水道に向かう父親の三郎にも出会えた。報告を終え羅尾が、

「三郎様、飛鳥大寺の伽藍配置と西門の件、足庭様にお伝え下さい」

「相分かった。急ぎ足庭様の処に戻ろう」

 恵慈が、

「三郎様、今一つ、足庭様にお伝えください。高句麗に寺大工、路盤博士、瓦博士派遣の依頼を願えますか」

「天文学者と石工が戻る時、絵師を派遣すると嬰陽王が申されていたそうじゃが、その前に寺大工などの派遣願う様、足庭様にお伝えいたす。王、それで良いの」

「父上、宜しくお願いします」

「日出処の天子」31

 ミチタリは高砂に戻り、文身国の祖父母に、

「大変、お待たせをしました。飛鳥に参りましょう」

 婆が、

「鬼退治をなされたか、黍団子を作りました。お土産になされ」

「子鬼でございました。団子ありがとうございます。さすれば、我の家来を見付ける旅にいたしましょう」

 ミチタリ一行は明石で船泊し、

「爺様、婆様、今宵は蛸料理をいただきましょう」

「婆は軟らかい料理が嬉しい」

「料理人には伝えてあります」

 蒸し料理が供され、

「これは軟らかい蛸でございますね。美味しゅうございます」

「お口に合って良かったです」

 翌日、明石海峡を抜け茅渟の海を辷るように進んだミチタリ達の船は難波津で船泊した。爺が、

「ミチタリ殿、沿岸の干拓が盛んに進んでおりましたが」

「西漢の干拓地です。塩抜きに手を焼いているそうです。明日は眼前にそそり立ちます上町大地の北側を回り込み河内湾に入り大和川を遡上いたします。今宵は鰈やカサゴや茅渟をお召し上がり下さい」

 翌日、難波津から淀川に入り上町台地の北側から河内湾に進み、

「爺様、この河内湾の干拓地も西漢の手になるものです。こちらは、塩抜きが進んでおるそうです」

「西漢は大したものじゃのう」

「お蔭で、族長会議で異議無く我ら東漢が大王に推されております」

 日下の津で船泊し昼餉にし、日下の物見にミチタリ一行の飛鳥入りを知らせさせた。

「この館は羅尾の母親の実家でございます。気楽にお過ごしください」

「詩音殿の生家でしたか。柳井水道に遷都の折、娘と一緒に挨拶に寄られたので存じておる」

 そこに、館の主が顔を見せ、

「詩音の弟の紫門でございます。姉がお世話になっております。遠路ようこそお越しくださいました」

「そうじゃ、父親の座右留殿はご健勝かな」

「足腰が弱りましたが未だ野菜つくりや山菜採りは致しております」

「それは嬉しいの若き日、纏向の王宮でお目に掛った」

「後ほど、挨拶に伺わせましょう。料理が冷めない内に、どうぞお召し上がりください」

 昼餉を済ませた一行は大和川を遡上、亀の瀬で小舟に乗り換え飛鳥の官衙に近づくと杖刀の兵が整列で出迎えており、ミチタリの妃も子供を抱いて手を振るのが見えた。ミチタリも大きく振り応え、下船し子供を抱き上げた。

「丈夫な子供をありがとう。文身国から爺様、婆様をお連れいたした」

「遠路はるばるお越し頂き誠に有難うございます」

「ひ孫は初めてじゃで、見とうなった、おめでとうござる」

「婆も付いて参った。可愛いの、土産は赤穂の塩を提げて参った。倅が甘いものを持たせてくれました」

「それは、ありがとうございます。何はともあれ館でゆっくりお休みください」

 ミチタリは妃の鬼前太后と二人だけになり、

「オニサキ、留守の間に難しい事はなかったか」

「はい、乳母の自薦がございました」

「どこからじゃ」

「土師氏様からでございます」

「それは良かった。土師氏は広庭様が大王位就任の折、豪族会議を取り仕切って呉れたそうじゃ」

「分かりました。直ぐにお願いをいたします」

「聴いて居るかな、柳井水道に遷都の折、父親の所に各地の豪族や長から娘達を妃嬪や女御にしてくれと次々と送られて来たのを、詩音様が「まるで竜宮城の様ですね。玉手箱は開けないで下さいね」と父親は「今宵は桃太郎になって鬼退治をいたそう」と我も今宵は鬼退治をいたそう」

「それは、たいへん、鬼の扮装でお待ちしております」

「それには及ばぬ、そちは名前が鬼前じゃ」

「それでは磨き込んで角を隠してお待ちしております」

「来る途中、児島で鬼退治をいたした」

「まあっ」

「女子ではないぞ、文身国の王や牛窓の長から、児島の長の横暴が目に余ると言われて懲らしめたのじゃ」

「お気を付けくださいね」

「父親がこの度、高句麗から見えた高僧の恵慈様を産まれた子の教育係にいたそうと」

「お気の早い」

「親馬鹿、いえ爺馬鹿でございますと申し上げたら、子の成長は早いものじゃと言われるのでお承けいたした。場所は建設の始まる飛鳥大寺にいたそうと」

「楽しみにいたしております」

「もう一つ、後宮を春日に移すかと問われておるのじゃが、子が小さいので飛鳥が安心じゃと思うが」

「それで宜しゅうございます」

「後で、小太郎殿の所に挨拶に行こう」

「分かりました」

「日出処の天子」30

 東航を続けるミチタリは赤穂の次の高砂で文身国の王宮に上がり、祖父母に見え、

「兵站に一方ならぬご尽力を賜りありがとうございます」

「我ら大国主一族の悲願を達成して下さり喜びに堪えませぬ。お礼を申し上げるのは我らのほうじゃ。ミチタリ殿に子が生まれたそうじゃな、おめでとうござる。ひ孫じゃ、何時か会って見たいな」

「ご一緒に飛鳥に参られませぬか」

「婆、一緒に連れて行って貰おう」

「冥途の土産に飛鳥にいきましょうかの」

「そうしてください。叔父御はお留守でございますか」

「倅は西の方に巡察中じゃが明日には戻ろう」

「それでは帰りをお待ちします」

「そうしなされ、婆の手料理をたんと召し上がられよ」

「瀬戸内は魚が美味しゅうございます」

「この辺りは桃や枇杷も殊の外、美味じゃ。手土産には塩を持ち帰って貰いましょう」

 翌日、帰館した文身国王に拝謁したミチタリは、

「先頃は筑紫侵攻作戦の兵站に協力を賜りありがとうございます」

「筑紫奪還祝着に存じます。父の代までに適えられなかった一族の悲願を達成して頂き望外の喜びでござる。感謝申し上げます。足庭様はご健勝ですかな」

「次々と訪問客があり忙しくしております。春日の王宮を立つ前も平群の弾殿達が高句麗から戻られ走り回っております」

「高句麗訪問団の帰国は、数日前に羅尾殿が仏教僧を連れて通過の折、承った。嬉しい話ばかりじゃ。そう言えばミチタリ殿に子が生まれたそうじゃな、おめでとう。父母を連れて飛鳥に戻ってくれるとか、何か祝いを考えねばな。父母は塩じゃと申しておった故、我は何か甘いものを送ろう」

「お心遣いありがとうございます」

「耳にしていると存ずるが、児島の長の横暴が目に余っておる。制裁をせねばならん」

「牛窓の長から聞かされました。その前に兵站協力の御礼に表敬訪問したおり、お会いしました。近隣から娘達が送られて来て云々申しておったが、強要して御座ったか、足庭様の了解を得て懲らしめましょう。ご協力ください」

「協力も何も自分達でお灸を据えようと思っておりました故、喜んで協力いたしますぞ」

「直ちに、早舟を柳井水道に送ります。春日から戻られておられましょう。ミチタリが児島で鬼退治をいたしますと」

 文身国の精鋭部隊とミチタリの親衛隊が児島の館を急襲、長を捕縛、娘達を解放した。

「日出処の天子」29

 弾が報告を続けた、

「隣国、隋との衝突の危険が迫っている時に飛び込んだ我らの願い事は全て聞き入れて頂けました。石工も天文学者も尚の若者も勉学に来たものは全て受け入れると、更に学問僧の派遣と石工と天文学者が帰る時は絵師を送り出して頂けるそうです」

 足庭が、

「仏教僧を派遣して頂いたが、檜隈寺の次は飛鳥に大寺を計画しておったので丁度良かった、建設を早めよう。三郎殿、秦王国王を委ねている、お主の長男の小太郎殿に総監督を任せよう」

「ありがたく、承ります」

「太子、飛鳥大寺の建設が終わったら仏教僧を太子の長男の教育係に就任させるかの」

「父上、親馬鹿、いえ爺馬鹿でございます。未だ生まれて一年でございます」

「いや、子の成長は早いものじゃ」

「ありがとうございます」

 足庭が、

「羅尾、仏教僧を飛鳥に送り届けて下され。それと、弾達が高句麗から持ち帰った馬具一式を檜隈の工人達に見せて、複製品を作らせて下され」

 三郎が、

「我も、飛鳥に戻り小太郎に飛鳥大寺の件を伝えまする」

 足庭が、

「次郎殿、弾達が高句麗から持ち帰った仔馬じゃが、阿蘇で育成するのも良いが警備が不安じゃで豊の国で育成してくれぬか」

「かしこまりました」

「馬が増えたら太子の処に分けて下され」

「重ねて、ありがとうございます」

 足庭が、

「そうじゃ、新羅にも行ったそうじゃな」

「足庭様の深謀遠慮には心底感嘆いたしました。新羅の都の金城の沖合に差し掛かりましたら案の定、新羅の巡視船に停船を命じられましたが、中臣の士官に音声を上げさせ事なきを得、運よく新羅王に面会が適いました」

「どんな話を」

「金官加羅が滅亡した折、受け入れた王侯貴族の中に中臣の血を受け継いだ者がいる。会わせてあげようと、只、自らの出自は暈されました。交易の話では我らが持ち込んだものを隋への献上品に加えようと、次に来た時は鉄を進ぜようと仰せであった」

「次に交易に行けば鉄を入手できるか、新羅に入れたのは上首尾じゃったの」

 弾が、

「高句麗と新羅では隋への対応姿勢がまるで正反対でした。交易は相手国の状況を把握しないといけませんな」

 足庭が、

「三郎殿、飛鳥からは早めに戻って下さらんか、外交と交易の責任者に就いて頂きたい」

「かしこまりました」

「弾殿、高句麗駐在武官の人選などは明日にでも相談したいのじゃが、一度、奈良島や平群に戻られて英気を養って下され」

「ご配慮、痛み入ります」

 宴の後、太子と二人になり、

「お主も飛鳥へ戻り妃や子に会って来れば、後宮を春日に移すかどうかも熟慮なされ」

「そうさせて戴きます。道々、各地の長に兵站協力の御礼をしながら参りますが宜しいですか」

「おう、そうじゃった、良く気が付かれたな、母者の里にも寄って下され」

「畏まりました」

 ミチタリは筑紫侵攻作戦後、初めて瀬戸内を東航し、尾道の次の児島で船泊し、長を表敬訪問した。

「先頃は兵站に協力頂き誠にありがとうございます」

「筑紫奪還祝着でござった。祝いの宴を開きましょう。料理と舞姫を此れへ」

「まるで竜宮城の様ですね」

「近隣の長から次々と娘たちが送られて来てこの有様だ」

「父の嬪の詩音様が、玉手箱は開けないで下さいねと申しておりました」

「白髪頭には、未だなりたくないな」

「お気を付けください。父は詩音様に、それでは今夜、桃太郎になって、そちの寝所に参ろうと」

「おうそうじゃ、今宵は妃のもとに参ろう。今宵はゆるりと休まれよ」

 ミチタリは東航を続け、宇野の次の牛窓の長の館に上り、

「先頃は、筑紫侵攻作戦の兵站に協力を賜り御礼を申し上げます」

「見事な侵攻でござったな、お祝いを申し上げます」

「ありがとうございます。港の夕日が絶品でございました」

「牛窓は魚も殊の外、絶品でござる。遠慮なく召し上がって下され」

「昔、アラビア人が居住していたと聞きおよびましたが」

「牛窓の地名はアラビア語でアラビア人の住む町から来ているそうです」

「我らの祖もオリエントからの漂着者でございます」

「隣国の児島の長の出自はよく判らぬが近隣に手を出しすぎておられる。目に余る」

「足庭様に申し伝えます」