「日出処の天子」45

 再び昇殿した裴清と相見えた足庭は、

「高句麗と琉球は友好国として交流しております。お手柔らかにお扱い賜り仲良くして下され」

「琉球は使者を派遣しても纏ろわず、高句麗は我が辺境を侵しており赦されない」

「琉球は国体が定まらず朝貢するだけの力がありませぬ、良しなに」

「それは適わぬ。それより夜麻苔の飛鳥を早う見せて下され」

「此処、柳井水道は海産物が殊のほか美味です。十分にお召し上がり下さい。その間に船の用意も整いましょう」

「渡り蟹が美味しいそうじゃな」

「羅尾、料理と舞姫を此れえ」

 三日後、瀬戸内を東へ向かう裴清の船旅は船泊を重ねながら若草色に染まった棚田や平田や溜池を左手に見ながら軽快に進んだ。

 前方に巨大な島影見え、裴清が、

「あれは何処じゃ」

「淡路島と呼ばれております。左手の明石海峡を抜けると茅渟の海でございます。そこから飛鳥はすぐです」

 茅渟の海から内海の河内湾に入り日下の津で船泊した裴清は傀儡館で一夜を過ごし大和川を遡上した。

 裴清は羅尾に、

「帰路も日下の津を通りますか」

「お望みであれば」

 亀の瀬で小舟に乗り換え飛鳥に到着した裴清は鴻臚卿三郎の長男で秦王国の王を務める小太郎に迎えられた。

「長旅お疲れ様です。鴻臚卿三郎長男の小太郎です」

「三郎殿のご子息か、よく似ておられる。飛鳥を見せて頂くよろしくお願いします」

「ご案内は引き続き羅尾が務めますが、先ずは暫しお寛ぎ下さい」

 官衙で休息した後、直ちに羅尾の案内で飛鳥大寺を訪れ、西門を抜け、槻の森から甘樫の丘を登り、

「裴清様、右手奥に見えます大きな方墳が先代広庭様の陵墓です。右手の山が三輪山です。その手前の建物群が先々代の十四代大国主様迄が住まわれていた纏向の旧都で、その周辺の多くの墳墓が二代様以降、十四代様迄の代々の大王陵です」

「すると足庭は十六代かな。隋も十代、二十代と続けば良いのじゃが」

 裴清と羅尾は駆けるように飛鳥を巡り、飛ぶように瀬戸内を辷り、柳井水道の王宮に戻った。足庭は送別の宴を設け裴清を労い、帰還する裴清に使者を隋伴させ方物を隋に貢献した。

 裴清は煬帝に召され報告した。

「俀国、侮りがたし」

「日出処の天子」44

 裴清は秋を待たず俀国使節団と共に俀国に向かった。対馬、壱岐を辿り、末羅半島を南に見ながら博多那の津に入り鴻臚館で三郎の出迎えを受けた。

「裴清殿、遠路の旅お疲れ様です。遥か日出る国にお越し賜りありがとうございます。鴻臚卿務めております、天子足庭の弟、三郎と申します。ご案内をさせて頂きます」

「俀国の都は未だ遠いのか」

「ここは俀国の玄関口、竹斯国でございます。これより以東は何れも俀国に附庸しており、都までは海路で三日程掛かります。都は瀬戸内海の要衝柳井水道にございます。歓迎の準備が整いますまで、こちらで暫しお寛ぎ下さい」

「都は夜麻苔の飛鳥ではなかったのか」

「先年、この地、竹斯国を三百年振りに奪還するため戦略上、瀬戸内水運の要衝、柳井水道に遷都いたしました。飛鳥には何れご案内をいたします」

「南に火の山あるそうじゃな」

「阿蘇山という大きな火山がございます。バカンという港を持ちます多婆羅国にあります。多婆羅国も俀に属しており、今は肥後の国と呼んでおります」

「末盧国は近いのか」

「西に一山超えれば眼下に見えます。末盧国も俀に附庸しております。明日は竹斯国の王を務めております、天子足庭の太子ミチタリが春日の王宮で歓迎の宴を催しますので、お楽しみください」

「倭国の王都が有った処かな」

「よくご存じですね。次の日には東隣にあります豊の国の王を務めております、天子足庭の弟、我の兄になります次郎が馬にてご案内をいたします」

「太子ミチタリには子はおるのか」

「長男と次男が既に育っております」

「それは重畳」

 緑青色の島々が春霞に煙る瀬戸内を辷り周防灘を麻里布の浦から柳井水道に入り奈良島の王宮に昇った裴清は天子足庭に見えた。

「隋大使、従八品、文林郎の裴清と申します」

「よう参られた。俀国の天子足庭です。海西に大隋、礼儀の国ありと聞こえました故、使節を派遣し朝貢いたしました。我は夷人にして海隅の辺境に住まいし礼儀を弁えませぬ故、境内に留まり、すぐにはお会いせず、殊更に道を清め、館を飾り大使をお待ちしました。願わくば大国惟心の化をお聞かせください」

「皇帝の徳は併せて二義、恩恵は四海に流れ、王を慕うを以って化し、故に使者を来たらしめ、ここに論を宣します」

 裴清は宿所に一旦下がり、人を遣わし、足庭に奏した。

「朝命は既に伝達をいたしましたので道を戒めてください」

 足庭は直ちに宴を設け裴清を招き饗応した。

「日出処の天子」43

 博多湾を廻る棚田の畔に菜の花が咲き乱れ、玄界灘を南風が吹き渡る頃、足庭は第二回遣隋使を博多那の津から出立させた。

 船団は宗像船の先導で壱岐、対馬を経由し半島西岸を北上、百済、高句麗沿岸を船泊しながら進み、遼東半島沿いを西に向かい、山東半島との間を抜け渤海湾から黄河に入り遡上した。文帝、煬帝が開削した大運河は隋都大興城までの船旅を可能にしていた。

 大興城に入った使節団は都を貫く朱雀大路を北に進み、東側を仏教寺院、西側を道教の幻都観が建ち並ぶ街区を抜け宮殿に昇り、国書を提出した。官吏は国書を取次ぎ煬帝の側近が読み上げ始めた、

「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」

 煬帝が顔を歪め、

「東海の野蛮国が天子を名乗るとは、身の程知らずめ、まあ良い使者に要件を聞け」

 官吏が使者に用向きを述べさせると、

「開西の菩薩天子重ねて仏法を興さると聞き、故に遣わして拝聴せしめ、兼ねて沙門数十人来たりて仏法を学ばんとす」

 更に使者は、高句麗や琉球との親交を伝え親善国としての立ち位置を述べた。

 煬帝は使者を下がらせて、従八品で文林郎の裴清を呼び寄せ、

「高句麗が片付いたら俀国を討伐する。俀国に疾く赴き国情を具に偵察し、速やかに報告せよ」

「日出処の天子」42

 平成二十五年四月、大学院に進んだ古代史サークルの四人は揃って休学届を提出しシュメールの足跡を辿る旅へ出ていた。

 カリフ姿の西園寺がタクラマカン砂漠を見下ろしながら、

「気候変動は人類の移動に多大な影響を及ぼしたんだな」

 アラビアのロレンスを思わせる白装束で隣に座る島津が、

「一万二千年前の急激な温暖化は氷河期を終焉させ、海面の急上昇に伴う海進でスンダ大陸を水没させ、眼下のタリム盆地では氷河の溶融が大洪水をもたらし、その後の乾燥により緑豊かな大平原を茫漠たる砂漠に変え、住みよい大地をモンゴロイドのシュメール人達から奪ってしまった」

 マフラーを町子巻きにした美佳が、

「感傷に浸っているはね。もうすぐホータンにつくわよ」

 スカーフをイスラム風に被った隣の香苗が、

「ホータンって『和田』と書くのね。タリム盆地のモンゴロイド達は食糧難から八方に移動したのね」

 西園寺が、

「その一隊がホータンからクンシュラブ峠を超えてフンザに入りインダスを下りアラビア海に到達し、メソポタミア文明に大きく関わったんだよ」

 島津は、

「大洪水に見舞われる前のタリム盆地は既に灌漑農業が行なわれ、天文観測も行われており、高度な文明が発展していたんだ」

 美佳が、

「その大洪水がノアの箱舟伝承を生み出したんですね」

 香苗が、

「古事記のプロローグも、その景色を描いているんですね」

 西園寺が、

「瓢箪から駒の伝承も同じテーマなんだ」

 美佳が、

「測量技術も建設技術も発達していたのね」

 香苗が、

「食品加工も繊維加工も既に行っていたのよ」

 ホータンに降り立った西園寺は、

「この地は北緯三十四度付近に当りキトラ古墳の天文図が観測された洛陽も同じ緯度にあり、タリム盆地の天文観測技術がメソポタミアからシルクロードを経由して中国殷代の倭人に引き継がれ発展したんだ」

 島津が、

「この地を出発したシュメール人と天文観測技術が凡そ一万年を掛けて大和の飛鳥で邂逅したんだ」

「日出処の天子」41

 光元三年正月、足庭は慶賀行事を終えると、三郎を呼び第二回遣隋使派遣の詰めに入っていた。

「三郎殿、書き留めてくれぬか、国書の書き出しじゃが『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや』で始めよう」

「足庭様、それは面白うございます。第一回の時は隋は太陽に俀を金星に擬え相手を持ち上げた積もりでございましたが理解を得られませんでした。これは易しくて判りやすい比喩です」

「少しは反発があるやも知れんが俀と隋は天子どうし対等じゃとの表明でもある。高句麗や琉球への侵攻は親善国として看過できないとも書いて貰うかの」

「それは次の機会にされた方が良くはございませんか」

「それとなく表現したい。何か上手い手立てを考えて下され」

「畏まりました。考えてみます」

「それから、使節団に学問僧を加えよう」

「恵慈殿に人選を依頼いたします」

「そうして下され」

「日出処の天子」40

 飛鳥大寺が完成、足庭は久し振りに飛鳥に戻り落慶法要に臨んだ。伽藍配置は高句麗から渡来した高僧恵慈の指導の元、一塔三金堂を回廊で囲い、その北に講堂を配している。西門は間口を大きく取り槻広場に開かれていた。足庭は恵慈を招き寄せ、

「素晴らしい仏教寺院になりましたな。貴僧の指導の賜じゃ、御礼を申し上げる」

「とんでもありません足庭様がお任せ下さったお蔭でございます」

「それにしても美しく厳かに仕上がりましたな」

「愚僧の想像を超える出来でございます。飛鳥の地、いえ俀国の地に相応しい寺院になりました」

 近くに来た秦王国王の小太郎にも足庭は声を掛けた。

「小太郎殿、よう皆を取り纏めて下された。嬉しく思います」

「私は只の聞き役で御座います。寺大工、瓦博士、石工、金工、絵師、皆が素晴らしい技を発揮してくれました」

「深い軒と裳裾の重なり、回廊列柱の優しい膨らみ、惚れ惚れしますな」

「俀国の地の多雨、湿気に耐える造りに、飛鳥の地の桧の樹の性質を調べ尽くした棟梁達皆の努力の賜でございます」

 太子の筑紫王が長子を伴って足庭の近くに寄り、

「父上、我の太子でございます」

「おお、爺馬鹿と言われた足庭じゃ。聡明な顔をしておるの、この飛鳥大寺で勉学に励んで下され。恵慈殿から仏陀の教えや宇宙の摂理を貪欲に学んで下され」

「じじ様、素晴らしい勉学の場を与えて下さり、ありがとうございます。弛まず勉めます。どうぞお見守り下さい」

「良い挨拶ができましたな。爺も楽しみにしていますぞ」

 目敏く職人集団を見付けた足庭は小太郎を伴い、自ら足を運び、職人達に声を掛けた。

「棟梁殿、ご苦労を掛けました。見事な出来栄えですな。木々が躍動しておる」

「飛鳥の桧のお陰です。素晴らしい環境で、素晴らしい資材を遣わせて頂け、ありがとうございます」

 足庭は小太郎に小声で、

「瓦博士は」

「あれにおります」

「瓦博士どの、ご苦労様でした。瓦が銀色に輝き、大きな翼の鳥が今にも羽ばたくようじゃな」

「恐れ多き、お言葉、恐懼に存じます。捏ねた土をしっかり乾燥させ、低温でじっくりと焼き、雨弾きの良い瓦が作れました。飛鳥の良質な土のお陰でございます。壮大な寺院造りに参加させて頂けありがとうございます」

 羅尾が足庭に近寄り、

「大王様、法要を始めます。桟敷席にお着きください」

「相分かった、皆々桟敷に参ろう」

 槻広場西門前に設けられた桟敷席に足庭達が三々五々着座を終え、落慶法要が営まれた。

「日出処の天子」39

 数年後の秋、新羅交易団が戻り、中臣の士官が博多鴻臚館を訪れ三郎と外交策を詰めていた足庭に報告した。

「無事、鉄を持ち帰りました」

「ご苦労さま、新羅は如何じゃった」

「丁度、インドからクシャトリアの武士団三千人が漂着し外人部隊として傭兵されました。彼らは男だけで移動を続け男色に染まり、花郎軍団と呼ばれているそうですが、新羅は強力な軍事力を抱えたと謂われております」

「そうか、近隣諸国の脅威となるな」

「金官加羅の初代首露王に輿入れしたアユダ国の王女黄玉、後の許太后様の縁を頼って入国したそうです。何れ、中臣の血を引く者が軍団を率いると言われております」

「三郎殿、来春の高句麗交易団に伝言させて下され」

「畏まりました」

 翌年、高句麗から交易団が戻り、足庭に報告した。

「隋は文帝が崩御し煬帝が即位したそうです」

 数日後、琉球から交易船が戻り、領事を務めている三郎の三男が鴻臚館の足庭と三郎に琉球事情を報告した。

「今年の夏、隋の使節が琉球を訪れ朝貢を促しましたがキキタエ様は言を左右にして明快な返事をなさいませんでした。業を煮やした使節団は琉球人十人を捕らえて連れ帰りました」

「大変じゃったな、そなた達が無事で何よりじゃ。三郎殿、隋は二代皇帝に煬帝が即位したそうじゃ。来春は再び隋に使節団を送り少しは隋を牽制しましょう」

「早速、渡航船の準備に掛かります。使節候補の選抜もいたします」

「そうじゃな、東漢だけでなく、他の豪族からも選抜して下され」

「畏まりました。近江、山城、播磨、備前まで広げて選抜いたします」

「日出処の天子」38

 夏を迎えた博多那の津では隋に向かう使節団の船舶が出港準備を終えて住吉大明神に航海の安全を祈願した乗組員の乗船が始まり、見送りに出た足庭が使節の身狭寛徳に声掛けをした。

「安全を優先して下され。表敬訪問ゆえ気楽に務められよ」

「畏まりました」

 翌年、洛陽に無事到着した使節は高祖文帝に拝謁。所司を通じて俀国の風俗を問われ、

「俀王は、天を以って兄と為す。日を以って弟と為す。天未だ明けざる時、出でて政を聴く。日出れば、すなわち理務を停めて弟に委ぬ」

 謎かけのように答えた。これを聴いた文帝解さず、

「此れ大いに義理なし。是に於いて訓えて之を改めしむ」

 と訓令した。

 使節の謎かけは「天は常にあるから一番目の「兄」であり、夜明け前に輝く金星(明けの明星)は二番目であり、三番目の弟である太陽が昇ると金星は見えなくなってしまう。俀王は「明けの明星」であり、隋の皇帝は「太陽」である」の意であったが、理解を得られぬまま使節団は文帝の訓令を持ち帰り、足庭に報告、

「文帝様にはご理解を戴けず、意味不明の訓令を頂戴いたしました」

「長旅、ご苦労じゃった。次は分かり易い国書を携えて渡って貰おうかの」

「そう願います」

「日出処の天子」37

 九重山系の山間に逼塞した九州倭国額田王の柵に百済から使者がひっそりと訪れ、

「余泉章と申します。よろしくお願いします」

「額田じゃ、よう参られた」

「女王様、中国の中原に隋という統一国家が誕生し高句麗と度々衝突しており、風の噂では俀国が高句麗に駐在武官を送っているそうです」

「それは興味深い」

「百済は隋に朝貢し交流を始めます。これからの隋と高句麗と俀国の国交状況を具に伝えて参ろうと存じます」

「泉章殿、宜しく頼みます。今後これに控えております多治比広手と連絡を取って下され」

 吉貴六年春、足庭は三郎と柳井水道の王宮で外交政策を話し合っていた。

「三郎殿、今年は隋に使節を派遣しようと思うがどうであろう」

「隋は高句麗に手を焼いております。周辺国の協力を望んでおりましょう。訪問すれば受け入れると思います」

「高祖文帝の開皇二十年を迎える記念の年じゃ」

「早急に準備に掛かります」

 初夏を迎えた飛鳥の王宮では秦王国の王を交えて棟梁と各職頭領の検討会が開かれていた。大工の頭領が、

「この地で一年有余を過ごしましたが、高句麗に比べ気温が高く、雨が多く、湿気が高いと感じました。軒を深くしないと建物の傷みが早くなると考えます」

 瓦博士が、

「瓦はしっかり乾燥させ、少し低温でじっくり焼いて、気泡を無くし雨をしっかり防げる出来にしましょう」

 石工の頭が、

「建物は石の基壇の上に載せる様にして下され、その周りは砂利敷きにして雨の泥はねを防ぎましょう」

 王は、

「父、三郎からヘレニズムを教わった中で、アレキサンダー様が出られたマケドニアの隣国ギリシャの神殿は中膨れの柱列が美しいそうじゃ」

 棟梁が、

「我らもヘレニズムを学んでおります。エンタシスの柱と伝わっております。この一年、山林を具に見て回りましたが、素晴らしい桧の樹をたくさん見掛けました。エンタシスの美しい柱列が造れると喜んでおります」

 仏師が、

「我も太い桧が使えるのを楽しみにしております。微笑みを湛えた美しい仏像を彫ろうと思います」

「日出処の天子」36

 平成二十四年十二月、古代史サークルのメンバーがサンドイッチ店で四年生の送別会を開いていた。西園寺が、

「坂上、鬼が笑うかも知れないが、来年の学園祭のテーマは高松塚とキトラ古墳にしないか」

 美佳が、

「何よ唐突に来年の事は後輩に任せなさいよ」

 島津が、

「白村江前夜の国際情勢を側面から見る良いテーマだよ」

 香苗が

「島津君まで何よ」

 坂上が、

「まあ、まあ、来年の事は我ら後輩に任せてください。でも、両古墳の事をよく知りません、少し教えてください」

 麗華が、

「壁画にカビが生えたって報道は何度か記憶がありますが本質的な事は何も知らないので教えてください」

 伊集院と由紀も、

「是非、ご教授ください」

 西園寺が嬉しそうに、

「両古墳共に飛鳥の官衙の西方に築造され、玄室の四周の壁に極彩色の四神と群像が描かれ、天井には宿星図が描かれているんだ。築造年代は七世紀でキトラ古墳が少し古く、キトラ古墳の宿星図は天空図でもあり、六十八の星座と三百五十を超える星が精密に描かれており、天の赤道と黄道や地平線下に沈まない限界線の内規などの同心円が複数描かれているんだ」

 坂上が感嘆して、

「七世紀に精密な天空図が描かれるって凄いですね」

 西園寺が続けて、

「科学技術の専門家は平壌の大同江に沈んだ石刻星図の拓本を元に描かれており、内規と赤道半径などを比較して緯度計算すると北緯三八度から三九度の高句麗の平壌付近と推測されるとしているが、最近、国立天文台の人や天文学者が老人星カノープスなどの五つの星の位置から観測地点は北緯三四度付近で西暦三八四年頃と結論しているんだ」

 島津が確認するように、

「北緯三四度で西暦三八四年頃、天文観測が盛んだったのは洛陽か長安が候補地だね」

 西園寺が、

「そう、西晋末の洛陽で観測された天文図を元に、平壌で観測修正され石刻星図が作られ、その拓本が飛鳥に運ばれ、キトラの天井に宿星図として描かれたんだ。石刻星図はその後の戦乱で大同江に沈んだと言われており、キトラ古墳の天文図は大変貴重な史料で中国では十一世紀を待たないと現れていないんだ」